第291話 エルザのレッドブルー

「殴りたい、殴りたい、殴りたい、殴りたい……」


 これは12年前、社会人1年目の僕、アダルハード・ホラーバッハが1ヶ月働いたのちの感想だ。親のコネで入った会社だったが、僕の好む人間はそこにはいなかった。


 社会に出て、1番大切なのはだ。故に、人間関係が1番の悩みにもなりえるわけだ。


 僕は自分で言うのもなんだが短気な方だ。学生時代、気に入らない奴がいれば上級生だろうが、教師だろうが構わず食ってかかった。


 おかげで不良なんかにもよく絡まれたが、僕は腕っぷしが強かった。売られた喧嘩は買ってやったし、負けもしなかった。


「こいつ、ヤベェ……」


「完全にイッチャッてやがる……」


「た、助けて、下さい……」


 僕にやられた奴らが口にするのは大抵こんなセリフだ。僕がヤバくてイッチャッてるだって? よく分かったじゃないか。


 僕はね、お前らをぶっ殺してやりたいのを我慢しながら殴っているわけだからね。自覚はしてる。自分がマイルドサイコパスだってことは。


 そんな性格が災いしてか、恋人はおろか、友人のひとりもできずに学生生活は終わりを迎えた。



 『このままではいけない』



 僕は自分を変える努力をすることにした。社会人としてきちんと感情をコントロールし、本音と建前を使い分け、営業スマイルは忘れない。先輩を立て、先輩の言うことをいち早く理解し、先輩に従う。それが社会に適合するということ。


 歯向かうなんてしない。優しく、気配りのできる、従順で立派な社会人になって、恋人も友達も手に入れる。順風満帆な人生を送るんだ。


 そう思っていた。


「殴りたい、殴りたい……」


 今日も仕事終わり、社内の通路の自販機横の長椅子に座り、拳を見つめながら呟く。やはり会社ここにも僕にストレスを与えてくる奴らは大勢いたのだ。


 ガコンッ!


 誰かが自販機で飲み物を買ったようだ。まったく人の接近を感じなかった。さっきの僕の呟きを聞かれていなかっただろうかとヒヤリとした。


 ピトッ!


「わっ! 冷たっ!」


 いま自販機で飲み物を買った人物が、それを僕の頬にくっ付けてきた。


「ホラーバッハ君、お疲れ。これ飲みな」


 エナジードリンク『レッドブルー』


 僕の目の前にそれを差し出して来たのは、1年先輩のジルベルスタインさんだった。


「ジルベルスタインさん、ありがとうございます」


「エルザでいいよ。私も飲もっと」


 僕はこのエルザさんという人だけは、会社ここにいる他の人間とは違うということを最近知った。


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