第262話 異端

「君の作品、見せてもらったよ。素晴らしいな」


「ありがとうございます」

(こいつもしょせん『可憐』の表面の美しさしか見ていない。さっさと帰れ!)


 そう思っていた僕に、そのおっさんは驚愕の一言を発した。


「いやしかし、可憐のもうひとつの表情、実に素敵だったよ」


 『もうひとつの表情』


 それに気づく人間なんて居るはずがない! 分かるわけがないんだ!


 僕は美しい可憐を描き、その上に重ねてが美しいと感じる可憐を描いた。


 油絵具あぶらえのぐだ。絶対に分かるはずがない。ペインティングナイフで表面の絵具を削り取りでもしない限り、僕の愛する可憐の顔を見ることはできない。


 それをこのおっさんはッ!


「僕はのファンになってしまったよ。おっと、名乗っておこうか。エルリッヒだ。よろしく」


「あなたには、なんで僕の可憐が見えたんですか? 分かるわけがっ……」


 エルリッヒさんは、さらに驚くことを言い出した。


「僕には見えてしまうんだよ。本質というものが。それがたとえ絵であろうとね。ちなみに……」


「ちなみに?」


「君の寿命も僕には見える。18日後、君は死ぬ」


「18日後に死ぬっ!?」


 あまりにバカげていると思ったが、僕の愛する可憐の姿を見通す力を持つこの男の話を、聞き流す気にはなれなかった。


「冗談ではないんですか?」


「僕はあまり冗談を言うタイプの人間ではないんだよ。君は実に運がいい。『可憐』を描いたことにより、僕に出会うことができたのだからね」


「運がいい?」


「君はで生きているか?」


 エルリッヒさんのその言葉に、まるで自慰行為を見られたような恥ずかしい気持ちになった。


「本来の自分で生きる勇気はなかったです。可憐の本質を見抜くあなただ。僕の苦悩もお見通しなんでしょうね」


「君が心から描き、発表したいのは、表面のありきたりな可憐などではなく、その下でひっそりと生きる醜い可憐の方なんだね?」


 エルリッヒさんは眼鏡を外し、ピンクのブランド物のハンカチでレンズを拭いて言った。


「その通りです。僕は美醜逆転した世界を生きている。そして、それを誰にも言えずに生きてきた……」


「怖いのか? 異端扱いされるのが」


「そうかも知れません。ずっとこの世界で孤独でした。話したところで理解なんてされない。そう思って生きてきました」


「そうか。だが可憐には君のを見た気がしたんだが、僕の勘違いだったかな?」


 この男すげぇよ。エルリッヒさん、僕は初めて救われた気がする。


「僕は可憐と出会い少し強くなれた気がしてたんです。これからは少しずつ、自分の見ている世界の美しさを表現したいって思っていたのに。死ぬんですか? 僕は」


 そう言う僕に、エルリッヒさんは1枚の小さな紙を差し出した。


「さっきも言っただろう? 君はと。この紙には、悪魔の力を手にする方法が記してある。受け取れ」


「悪魔の力?」


「僕がの姿に気づくことができたのも、その力によるものだ。そして、その力を手にすると、君の命は永遠になる」


「僕の命が永遠っ!?」


 彼の持つその小さな紙に、自然と僕の手は伸びていた。

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