第236話 神と同等の力

 このエルリッヒという男は、さっきからなにが言いたいの?


 自分と話せていることはとか、自分で生きているのか? とか、ついには死とかまで言い出した。ウケんだけど。


 私は人格者。もう少しあんたに付き合ってやるよ。


「エルリッヒさん。ちなみに死を意識するとなにかいいことでもあるんですか?」


「いいことか。そうだね。とても素晴らしいことがある」


「それは? なんですか?」


 私は努めて笑顔で話した。


「人間は死と向き合った時のみ、と向き合える生き物ってことさ」


「本当のせい?」


「人間は死を避けることはできない。これだけは平等なんだ。死に方については運がいい死に方と、悪い死に方があるけどね」


「死に方にも運が?」


「もちろんだ。眠る様に穏やかに死ねる人もいれば、病で苦しんで死ぬ人、事故死、殺される人間もいるだろ?」


「そ、そうですね……」


「病気になるならないも運だ。生活習慣病も、そうなる環境に生まれ育ったことが運が悪いと言える。遺伝的な病気ならば、尚のこと運の悪さが際立つな」


「で? 死が本当の生と向き合わせてくれる、と言うのは?」


 エルリッヒは無精髭をジョリジョリ擦りながら話す。


「君は死ぬ。それが1秒後なのか明日なのか1週間後なのか1ヶ月後なのか、数年後なのか、数十年後なのか、決まっているのに分からない。それが死だ」


 ゴクッ


 私は唾を飲む。


 そして、相槌も忘れてエルリッヒの話を聞いていた。


「今すぐ死ぬかも知れないのに、君は自分らしく生きなくてもいいのか? 周囲に気を使い、合わせ、言いたいことも言わず、やりたいこともやらずに死んでしまってもいいのか?」


「そんなすぐに死ぬなんて、ありえないですよ。私、まだ31歳なんですから」


「僕にはね、君の寿命が分かるんだ。だから君はと言ったんだ」


「私の寿命? ねえっ? 私、死ぬの? そんなにすぐ?」


「僕には何日後に君が死ぬのかまでハッキリと分かる。今年中に君は死ぬ。美人薄命なんていう言葉もあるが、当てはまってしまったようだな」


「そんな! この私が? ここまで完璧な人生を歩んできて、これからも……」


「残り僅かの命と知っても、君は自分に嘘をつきながら生きると言うのか? まぁ、それはそれで大したものだがね」


「やめてよ! もうやめて!!」


 私はエルリッヒの言うことを嘘だと思えなくなっていた。彼の言葉ひとつひとつが、妙な説得力を帯び、私の心の中に不法侵入してきたのだ。


「僕はね、人生は運だと言っただろ? 運の悪いやつは仕事もうまくいかず、金もなく、病気で苦しむ。僕は比較的、仕事も順調で金に困ることもなく生活をし、至って健康な運のいい男なんだよ。さぁ、ピンクローザ、これを見るんだ」


 私は顔を上げ、エルリッヒを見た。彼の広げた手のひらの上には、小さな紙が筒状に丸められた物がのっていた。


「なんで物なんて持ちこめたんですかっ? それはなんなんですか?」


「これには悪魔の力を得る方法が記されている」


「悪魔の力ですって!?」


「そうだ。神と同等の力を得ることができるんだよ。もちろん、君の寿命は永遠となる」


「永遠の命?」


「悪魔といっても得るのは純粋に力のみ。心を乗っ取られるわけではない。その証拠というわけでもないが、僕は悪魔の力をすでに身につけている」


「あなたが、悪魔の力を?」


「そうだ。分からないだろう? 悪魔の力を得ると、自分本来の生き方、目的が明確になる。なにも恐がることはない」


「そもそもあなたは誰にその悪魔の力をもらったの?」


「それもすべてここに書いてある場所に行けば分かる。受け取れ」


 エルリッヒはアクリル板の空気穴に、その筒状の紙を差し込んだ。


「書いてある場所?」


 私はその小さな紙を摘んで受け取った。


「僕を含め、すでに6人が悪魔の力を得ている。君がラストの7人目というわけだ」


「私、まだ行くなんて言ってないわ」


 エルリッヒはニヤリと微笑んだ。


「君は間違いなくその場所へ行くだろう。言っただろ? 僕は運のいい男だと。108回目の万引きで捕まったことにも理由があると思っていた。それが君、ピンクローザとのふたりきりの時間だったというわけだ」


「私との時間が?」


「そうさ。君のような素敵な女性に僕なんかが近づいても、話なんて聞いてもらえなかっただろう。デートにでも誘おうとしてると勘違いされて、さらに距離を置かれかねない」


「そんなことはない、とは言い切れませんね」


「僕は悪魔の力を手にする人間には君が相応しいと思っていたんだ。なんとか君の寿命が尽きるまでに、ちゃんと話がしたかったから、本当によかったよ」


「私もかなり、、と言うことなのかしら?」


「間違いなくそうさ。ピンクローザ、我々と共に君臨しよう」





 『君臨』







 私はその美しい言葉の響きに、法悦ほうえつにも似た快感に襲われた。そして、紙に記された場所に向かう以外の選択肢は、その時の私にはなかった。

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