第161話 気持ち悪い

『えっ?』


「もうやめて。ゼロワールド計画は、もうやめて!」


『藤花、いいの? 永遠の方舟がこの世で最も尊い存在になれるんだよ?』


「いい。もう、私は永遠の方舟の信者じゃないから」


『ええーっ!?』


「だから、ネックレスもしてない」


 杏子は藤花の首元を見て、さらに驚いた。


『ほ、本当だっ! 藤花が方舟水晶を外すなんて、ありえないッ!』


「だから、その計画に意味はないの。私のことを本当に想ってくれてるのなら、もうやめてほしい」


『な、なーんだ。藤花はもう、永遠の方舟の、信者じゃないんだ……』


 杏子の想像していた夢の世界が、瞬く間に暗闇に包まれていく。体中の力が抜け、ガックリと項垂れてしまった。


『牙皇子様、大丈夫ですか? ゲロゲロッ!』
































『分かった。なら、もうやめるッ!』


「杏子ちゃん、本当?」


『愛する藤花がやめろということを、この私がやる訳がないでしょ?』


『き、牙皇子様ッ! ゲロゲロッ!』


『フロッグマン、終わりだよ。もう私は牙皇子狂魔じゃない。百合島杏子だから……』


「杏子ちゃん!」




























「ちょっと待ってよ」





 ゼロワールドが、そして牙皇子狂魔が『終わり』を迎えようとしていたその時、ひとりの人物が、震える声でそこに割って入った。



 天使イバラだ。



「イ、イバラちゃん?」


『ブラック・ナイチンゲールに天使イバラがいたなんて、知らなかったんですけど』

(どこまでも私の藤花にまとわりつきやがってぇ! ガルルルルッ!)


「ちょっと、ふざけないでくれる? ねぇ! 私の病気って、あなたのせいなわけっ?」


『そうなるね。うん』


「治してよッ! ねえっ!! できるんでしょ!! 勘弁してよっ!!」


 イバラは杏子を両腕を必死に掴みながら、泣き叫んだ。


『えっ? 嫌だ』


「なんでっ!?」


『私はあんたが嫌いだから』


「単なる嫉妬でしょ?」


『そうだよ。悪い?』


「マジであたおかじゃん……」


 2人の会話を聞いていた藤花が、イバラに背を向けた杏子に諭すように話しかけた。


「杏子ちゃん、私のお願い。イバラちゃんのバミューダ病を消してあげて」


『えっ?』


「消せるんでしょ?」


『消せなくはない。でも……』


「私、まんさくのファン辞めるから」


『藤花っ! 本当にっ?』


「だから、お願い! 杏子ちゃん」


『藤花っ♡ わ、分かったよ! 消すよっ! 約束だからねっ!』


「分かった。約束する」


「藤花、ありがとう! これで私は夢を追い続けることができるっ! まんさくに戻れる!」


「ごめんね。ファン辞めちゃうけど」


「寂しいけど、これから何倍もファンを増やしてみせるからっ!」



『じゃあ、始めるよ……!』























『あれっ? ないんだけど』


 イバラに右手をかざし、バミューダ病を消そうとしていた杏子が呟いた。


「どういうこと? 杏子ちゃん!」


『バミューダ病がない。既に消えてる。どういうこと?』


「あっ!!」


 藤花は最悪の事態に気がついた。


 イバラのバミューダ病はアンティキティラの力を得るのと同時に消失。


 腐神と渡り合える力は手にするが、余命は変わらず数ヶ月。それが、アンティキティラの力を得るということなのだ。











「なんで? なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないのよ……!」


 藤花の見解を聞いたイバラは青ざめ、後悔の地獄を彷徨う。


 アンティキティラの力なんて、もらわなかったら助かってたんじゃないの?


 あんな力でバミューダ病を消してなかったら、今ここで全快できてたんじゃないの?


 死なずに済んだんじゃないのっ?


 こんな自問自答の嵐が、自分を見失いかけているイバラを襲い続ける。


 だが、その答えは『否』


 アンティキティラの戦士になっていなければ、この場にいることは皆無であり、杏子牙皇子との接触もありえない。病室で日に日に衰えながら、死を待つだけだった。


 天使イバラはどっちにしても死ぬ運命。その怒りの矛先は言うまでもなく、藤花に向けられた。


 イバラは笑顔だった。アイドルとはほど遠い、腐った笑顔。


「藤花はさあ、なんで私のファンになってくれちゃったのかなあ? ねえ? なんで? 教えてくんない?」


「イバラちゃん?」


「杏子ちゃんとさあ、勝手にレズってりゃよかったじゃん! 勝手に私のファンにならないでよ! まじでバカじゃないのっ?」


「イ、イバラちゃんっ!!」


 藤花はイバラを落ち着かせようと、ぎゅっと抱きしめた。














「ねぇ、ちょっと。離れてくれる? 気持ち悪いんだけど。レズが感染うつるってば!」


 藤花を見るイバラの目は、今までに見たことがない、憎しみに満ちた目。アイドルの輝きが消え失せた目。


「あ、あ……ご、ごめん、ね」


 藤花は人生で初めて、大好きな人に嫌われるという恐怖に震えた。力なくイバラを放し、震える足で後ずさった。


 藤花が自分のファンになったせいで、杏子の異常なまでの嫉妬の対象にされ、巻き込まれた。


 完全なる被害者。


 イバラは絶望の淵に立っていた。


「なんなのよこれっ? 私の人生返してよお……っ!」













 その時だった。









『お前はまだまだ死んではいけない。輝き続ける価値のある人間だ。例え、どんな形であろうともな。そうは思わんか?』



 イバラの耳元で、囁く声がする。

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