第9章 ささやき

第56話 白田有希子

「はいっ、はいっ、大変申し訳ございません! はい、失礼します」


 ガチャ


「おいっ! 白田しらたぁ! お前は本当にしょうのないミスばっかするなあ!」


「すみません。私の確認不足で先方にご迷惑を……」


「最近 くだらんミスが多すぎるぞ。疲れてんのか? 欲求不満か? 俺でよければ今夜でも相手してやるぞ」


「いえ、大丈夫です……」



 私の名前は白田しらた有希子ゆきこ。25歳のOLです。このブラック企業に勤めて3年。遅くまでの残業や早朝出勤の繰り返しで疲労は溜まる一方。休みも寝てばかりでプライベートは何も充実していない。


「辞めたい……」


 何度も呟く。でも怖くて言えない。私みたいな能力のない人間、今の会社を辞めたところで次の就職先なんて見つかりっこない。どうせ見つかったところでまた罵倒され、こき使われるに決まってる。私なんてどうせその程度の人間。



「白田ぁっ!!」


 またやってしまった。打ち合わせの資料をページが抜けているのに気づかず印刷して配ってしまった。


 皆の冷たい視線、ため息、呆れ顔。


『もうヤダ。死にたい』


 帰宅した私は普通にそう思った。年間自殺者3万人? 割と少ないよね? 本当はもっと死にたいって思ってる人が沢山いるはず。私も死にたくても死ねない『そっち側の人間』だと思ってた。


 でも今なら……



「あはっ、死ねる」



 私はリビングの窓を開けてベランダに出た。私はマンションの7階に住んでいる。そう、ここから飛び降りれば数秒であの世にいけるのだ。


 友達もいない、彼氏もいない、自慢できるものもない、能力もない、ブス。


「あはっ、なにも楽しくない人生だったな。そもそも、生まれるメリットなさすぎる。ほぼ、嫌な事と疲れる事ばっかじゃん! なにこれっ?」



 そう呟き、あっさり自殺を決意した私は、ホコリの溜まったベランダの柵に手をかけた。その時だった。






『お前は美しい……』








「だっ! 誰っ!?」


『素晴らしい……』



「な、なに!? 耳元で、声?」


『お前は充分、能力がある。本当は死にたくない……』


「そんなことないっ!」


『能力がないのは周りの奴等だ。お前ではない……』


「そ、それはっ」


『何でもかんでもお前に仕事を回してきて、疲れ切った頭と体でどれほどの仕事ができるというのだ?』


「無理よ。なにからなにまで私に押しつけて……ミスなくなんて」


『そうだろう? お前はもっと認められるべきなのだ。あがめられるべきなのだ。そういう存在でいたいと思わないか?』


「み、認められたいっ! はぁ、はあっ! 死にたくないっ! 友達と遊びたいっ! 彼氏とエッチしたいっ! 生きたいよおッ!」


『白田有希子。我々の仲間となれ。クズ人間を根絶やしにするのだ! お前の理想を叶えるのだッ!』


「あはっ、クズ人間、根絶やし、私の理想……叶える」



 私の記憶はその辺りであやふやになっていきました。ハッキリしている事は『腐神』というドロドロの物体が、私の口から体の中に入って来たという事です。


 さっきの耳元の『囁き』が私の脳を犯していく感覚がありました。腐神を受け入れる事になんの躊躇いもなく、『契約を交わした』そう思いながら腐神を飲み込んだのです。


 私は体を腐神に提供する代わりに、『神の能力』と『永遠の命』を手に入れたのです。


『き、気持ちいい……』


『お前は腐神『那堕冷なだれ』と契約を交わしたのだ。神の冷気でクズ人間を震え上がらせろッ!』


『は、はい』


『では、今からゼロワールドの本拠地に向かう。行くぞ、白田有希子。そうよのう、お前は今日から『白雪しらゆき』と名乗るが良い』


『白雪……分かりました』

(あはっ! クズ人間は殺す!)


『ケケケッ! 行くぞ』



 私に腐神との契約を促してくれたこの方こそ、腐神『あやつり』と契約を交わした鎖鎖矢餽ささやき様だったのです。

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