はたらくふたり

 僕は困っていた。


「……うーん……」


 呟きながらうろうろしているのは、職人街に工房、釦屋ノーマンの扉の前。手に持っているのは小さな紙袋――今朝、グラナド城を出るときにマリー・シャデラン嬢が持たせてくれたアーモンドバターだった。


「どうしたものか……さすがに連日すぎるよな」


 ……美味しかったから自分用にもらっただけだけど……あの子にとって故郷の味だし。騎士団(しごとば)までの通り道だし。

 お裾分けに、渡しにきても不自然じゃない――いや立ち寄らないほうが不自然だ、たぶん。


 しかし昨日の今日。いくらなんでも、頻繁に来すぎな気がする。

 ……怒るだろうなあ。


 いや、訪ねるたびに怒られてるので今更なのだけど、朝と夜とで二日連続は本当に、ボーダーを超えていると思う。今度こそ、本気で拒絶されるかもしれない。いや、なんだかんだ言ってコーヒーを淹れてくれるのも、今日限りになるかも知れない。

 今日のところは素通りするべきか。でも、彼女もきっと、このアーモンドバターが食べたいに違いない。なら、ドアノブに引っかけていく? いや、盛りを過ぎたとはいえまだ夏だ、傷んでしまっては事である。せめて声くらいはかけたほうが……。


「うーん……」


 途方に暮れて、首を巡らせる――と――視界すぐそばに、アナスタジアの顔があった。

 腰窓から顔を出し、頬杖をついて、僕を眺めている。

 しばらく無言で見つめ合い――僕は朗らかな笑顔で言った。


「やあアナスタジア! 変わりはないかい?」

「変わるわけないでしょ昨日の今日で。何しに来たのよ馬鹿王子」

「うん、今日は君にお土産があってね! グラナド城のマリーちゃんから」

「あらそう。わざわざありがと」


 そう言って、彼女は顔を引っ込め、窓を閉めた。


 僕は首の角度を戻し、しばらく立ち尽くしていた。……ええと、それでこの紙袋はどうすれば……?

 窓辺に置こうとしたところで、扉が開いた。


「何してんの? さっさと入りなさいよ」

「ああ、いや、今日は本当に、土産を持ってきただけだから」

「じゃあなんで長々とひとんちの前をウロついてたのよ。ほんとあんたって、遠慮のボーダーがよくわかんないわね」


 ……。僕は大人しく、彼女に導かれて入っていった。

 釦屋ノーマンの工房は、すでにコーヒーの香りに満ちていた。ちょうど休憩時間だったのかと思ったが、彼女は食卓には着かず、作業椅子へ腰かけた。


「ごめん、今ちょっと手が離せないとこなんだ。勝手にくつろいでて」


 見ると、テーブルには満杯のコーヒーカップが一つ置いてある。飲んでみると、ちょうど僕が好きな甘さだ。少し冷めている。いったい彼女はどれくらい前から、僕の来訪に気付いていたのだろうか。


 ――カッ、カッ、カッ――堅いものをぶつけ合う音、どうやら細工を彫っているらしい。僕の位置からはほとんどその背中しか見えなかった。集中して仕事をしている。……僕がここにいたら、邪魔になるのでは?


「で、マリーからの土産って何?」


 不意にアナスタジアが言った。作業の手を止めず、こちらを振り向きもしないで。僕は彼女の背中に向けて、紙袋を持ち上げて見せた。


「アーモンドバターだってさ。シャデラン領でよく食べられてるって」

「ああアレかぁ。そういえば王都では見かけないわね。懐かしい。ありがと」


 ……これでもう用事は済んでしまった。今すぐ席を立つべきだと思った。

 けど、腰が重い。

 できればもう少しくらいここにいたい。


 ――いいや。どうせそのうち、「いつまでいるつもり? 早く出ていきなさい」などとアナスタジアが促すだろう。その時に去ればいいんだ、また軽口でも叩きながら。


 カツカツという彫刻音がひたすら続く。やがてそれはシュッシュッという、やすりをかける音へと変わった。いつまで経っても、アナスタジアは帰れと言わなかった。だから僕もそこにいた。

 集中して作業を続けるアナスタジア。華奢な肩が振動するたび、短い金髪もふわふわと揺れる。ほとんど後頭部しか見えないが、ときどき手を止め、指先をじっと見つめる――その時だけ彼女の横顔が見えた。

 フッと息を吹きかけ、木屑を飛ばす。またやすりを掛け、また吹く。

 間髪入れず今度は色を塗り始めた。汗を手の甲でぬぐったとき、頬に塗料が付いた。僕はアッと声を漏らしたが、彼女は手を止めなかった。蜜桃のような頬を汚したままで、ずっと、手元の釦を見つめていた。


 ――格好いいな。


 心からそう思う。


 王子様に背を向けて、薄汚れた少年の恰好で、汗と塗料と木屑にまみれて働く女。

 青い瞳が小さなボタンに向けられていることを嫉みなどしない。ただ憧れた。


 彼女は、格好よかった。


「――よしっ。出来た!」


 唐突に、アナスタジアはそう言うと跳ねるように椅子から立ち、僕のほうへ、ごく短い距離を駆け寄ってきた。手のひらに乗せた釦を差し出して、


「どうっ? 自信作」


 見せつけてくるものの、さっき塗料をつけたばかりなので触るわけにはいかない。しかしかなり繊細な細工のようで、目をこらさないとよく見えない。僕は彼女の手を掴み、腰を屈め、顔を近づけた。ワッと悲鳴を上げるアナスタジア。


「ちょっ、なんでそんな」


 何か言いかけて口を噤む。僕は目を細めて、じっと彼女の指先を見つめた。そうしているうちに焦点が合ってくる。

 鳥の羽の形をしていた。釦だと思っていたが、木彫りのブローチのようだった。手のひらの半分ほどしかないサイズに緻密な彫刻が施されている。


「……すごいね。もうこんなちゃんとしたものが作れるようになったのか」


 普通に褒めたのに、彼女はブッと噴き出した。そのままクスクス笑いだす。


「その距離で喋らないでよ。手のひらに息があたってこそばいじゃないの」

「あ、ごめん」

「ルイフォン、もしかして目が悪いの?」


 ウッ……。いや、隠しても仕方ない。僕はヘラリと笑った。


「うん、といってもノーマンのように事故で傷ついたわけじゃなく、普通の近眼。こんな繊細な細工や、字の読み書きをするでもなければ平気だよ」

「眼鏡は作っていないの? 一般人には手が出ない高級品だけどあんた仮にも王子様だし。騎士団長で、色んな書類仕事するんじゃないの」


 そう言われるといよいよ返事に窮する。黙ってしまった僕を、彼女はしばし不思議そうに見あげ、やがてふと眉を跳ね上げた。


「もしかして、眼鏡姿がかっこ悪いからって気にしてるんじゃあないでしょうねっ?」

「……。……いや……そういうことじゃ……なくはないけど」


 ……『似合わない』と、言われたくないから。彼女が考えたのとは少し違うかも知れないけど、それは真実だった。


 いつもニコニコ、脳天気でマイペースで、何も考えてないみたいな王子様。それが学生時代に勉強しすぎて近眼だなんて、イメージに合わないのだろう。

 眼鏡をかけた僕を見たひとは、みな必ず笑うのだ。似合わない、ラシクないと。

 ――そう言われたくない、というのも、僕らしくないから、黙って隠すしか出来なかった。

 アナスタジアからも思わず目を逸らしてしまう。アナスタジアはいよいよ声を上げ、大笑いした。


「馬鹿じゃないの。仕事道具に格好イイも悪いもないでしょ」


 ――ん?


 僕は顔を上げた。裸眼のせいで、わずかにぼやけた視界のなかで、アナスタジアは腹を抱えてげらげら笑っていた。


「綺麗な顔と衣装のままで、仕事ができるものですか。そんなこと気にしてる方がよっぽど格好悪いわ。バーカバーカ」


 大笑いしながら、出来た細工物を作業台へ戻す。良い仕事が出来たことと、僕の恥部を発見したことの両方で上機嫌になった彼女は、踊るような足取りで、キッチンへ向かった。


「あーあ笑ったらお腹すいてきちゃった。マリーのアーモンドトースト食べよっと」

「あ、それって塗ってから焼くらしいよ。君、パンを焼けるのかい?」

「パン屋から買ったものを温めなおすだけでしょ、フライパンで」

「普通はオーブンだと思うな」


 そうなの? と問われると、僕もちょっと自信が無い。料理経験の無さでは良い勝負なのだ。二人で一緒に首をかしげて、どのみち火が通れば美味しいだろうという結論に至った。

 薄切りにしたパンにアーモンドバターを塗り、フライパンに油を引いて並べる。しばらく待ってから引き揚げて皿に盛る。二人でまた首を傾げた。


「なんか、記憶にあるものと違うわ……」

「アーモンドに火が通ってないね。これ、一度ひっくり返さなきゃいけなかったんじゃないか」

「フライパンにバターが全部落ちちゃうじゃない」

「やっぱりオーブンだよ、この工房には無いのか」

「あるけど、使ったことないから火の入れかたが分かんない。頑張って使えても、焦げて台無しにするのがオチ」


 なるほどその通りだと頷いて、僕は大人しく食卓に着いた。小さなテーブルに二枚の皿と、二つのコーヒーを置くアナスタジア。

 あれ? 僕も食べることになっている?

 僕はもう、グラナド城で朝食に頂いたんだけど……。言い出す間もなくアナスタジアは腰かけて、祈りをささげていた。僕も黙って倣った。


 アナスタジアは、パンにがぶっと齧りついた。小さな頬を真ん丸に膨らませて、もぐもぐ咀嚼。

 一瞬だけ眉を顰めてから、すぐに笑顔になった。


「なんだ、ちょっと違うけど美味しいじゃん!」


 僕も同じようにして齧りつく。人生二度目のアーモンドトーストは、数時間前に食べたものとは全然違っていた。底は揚げパン状態、生焼けで香りの無いアーモンドバター。口の中で、溶け切っていない砂糖がジャリジャリいう。

 ――でも。


「うん。美味しいな」


 僕はそう呟いた。

 正面に座ったアナスタジアは、にっこり笑った。


「でしょ? あたしの故郷の味だもの」


 ……それとはちょっと、違うと思うけど……僕は反論も、からかいもしなかった。

 そのアーモンドトーストは確かにとても美味しくて、アナスタジアの味に違いなかったから。



 その日はあまり長居は出来なかった。昨夜は夜会の最中に、王宮を飛び出してしまったのだ。毒姫ミレーヌはもういないと思いたいが、次兄リヒャルトあたりがうるさそうである。それに急ぎの仕事――騎士団長としての書類仕事を自室に置いたままだ。早く帰って、取りかからなくてはいけない。


「ちょっと忙しくなるな。しばらくは来れないかも」


 アナスタジアに伝えると、彼女は一度だけ「そう……」と呟いた。だがすぐに眉を跳ね上げる。


「いやなんで頻繁に来るのが当たり前みたいになってるのよ。あたしだって仕事があるの、用も無く来ないでよね!」


 バン! と勢いよく扉が閉められる。でも鍵まではかけられなかったので、僕は普通にまた開けた。まだすぐそこにいたアナスタジアの腕を掴み、手のひらに、黒縁の眼鏡を載せた。


「じゃあ、お仕事の依頼。これ、さっき話した僕の眼鏡……実は昨日、落として少し歪んでしまったらしい。掛けるとズレてくるんだよ」


 まじまじと眼鏡を見つめるアナスタジア。職人のタマゴは、すぐにフレームの歪みと外れかけたネジに気が付いたらしい。すぐに弄ろうとするのを制する。


「急ぐわけじゃない、部屋にもう一つ予備があるから。でもそれが一番、度が合ってるんだ。この工房で直せないかな?」

「……たぶん、出来ると思うけど……」

「お願いするよ。出来上がる頃に、また取りに来るからよろしくね」


 断られる前に、扉を閉める。

 追いかけられる前に馬で逃げ出す。

 そうすれば、またここを訪ねる口実が出来るのだ。



 次に会えるのは十日後くらいかな。

 その時は仕事の代金とともに、何か手土産を用意しないといけない。

 ……この間話した、ステーキサンドにしようかな。王子といえど散財し放題ってわけじゃないが、さすがにサンドイッチ程度で懐が痛むことはない。

 華奢な見た目より、案外よく食べるアナスタジア。好き嫌いってものは無いらしいから、きっと何を持っていったって、美味しそうに頬張ってくれるのだろう。



 馬の背中で、そんなことを考える。

 くつくつと妙な音が耳に聞こえた。何の音かと思ったら、無意識に漏れていた、僕の笑い声だった。


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