侍女様は神父を脅迫する
神の前に紙束を掲げて、神父が跪いている。
震えながらおずおずと、
「侍女殿……こ、これで、納得できただろうか……?」
「納得できませんね」
そう言って、私は紙束をバリバリ破いた。
王国で一番大きく、そして古い教会は、床も壁も年季の入った手垢で黒ずんでいる。白い紙吹雪がよく映えた。私の衣装――いつもの侍女服からエプロンを外した黒服も、花びらを纏ったようになる。
ヒィと鳴き声を上げ、後ずさる神父。ローブの裾を踏みつけて止めた。
「先ほどから、貴方が出してくるのはただの教会のマニュアル。私が問うているのは、なぜ教会がキュロス・グラナドとマリー・シャデランの結婚式を執り行わないのかの理由です」
「わ、我々教会が、拒否しているわけではないっ!」
やけくそみたいに叫ぶ神父。
「だから、さっきの紙に書いてあったとおりだ! 教会は戦前から権力を失い、法を超えられん。わし個人の是や非ではないのだっ!」
「それは分かっています。王侯貴族の婚姻で、家督や爵位も動くとなればもはや政治活動、ただの祝い事ではない。教会はそれを執り行う場所、神父は証人……司会に過ぎません」
「そのとおりだ、だからわしは何も悪くない!」
私は目を細めた。身を屈め、跪いた神父に口づけするほど顔を寄せ、囁く。
「では、誰が悪いのでしょう?」
神父は目を逸らした。黙り込むのを、何秒も待ってやらない。私はすぐに姿勢を戻し、神父の後ろ――教会の最奥に掲げられた、神の像を顎でしゃくった。
「良かったですね、教会のシンボル、綺麗に直って。四年前でしたっけ? 酔っ払ったあなたが、うっかり倒して壊してしまったのって」
「……っ、あ、ああ……その……その時は、グラナド商会には……お世話になって……」
「復旧は、王国ではすでに失われた技術でしたからね。イプスからわざわざ職人を呼び寄せたので、たいそう金が掛かりました。私もお手伝いしたので覚えております。確か二十万ユイロほど――」
「申し訳ないとは思っている、わしはそこまで恩知らずな生臭坊主ではないっ!」
「旦那様は、恩に着せてはおりませんよ。王国の技術向上は、職人街の領主である伯爵位の義務だとすらおっしゃっていました」
そう言うと、神父はいっそう、居心地悪そうに顔をしかめた。
長い沈黙――やがてぽつぽつと語り出す。
「……キュロス・グラナド卿には、幸福になって欲しい……像の件などなくても、そう思っている」
私は黙って、続きを待つ。
「……幼い頃……リュー・リュー夫人に抱かれ、アルフレッド公とともに祝福を受けにきたときから、わしはそう願っておった。この王国で、褐色の肌と緑の目をもつこの子に幸あれと、心から神に祈った」
「旦那様に名を授けたのも、貴方でしたね」
「わしは提案をしただけだがね」
神父の声には、温かなものが滲んでいた。
この時の話はリュー・リュー様から聞いたことがある。
キュロス……イプサンドロスが共和国となる前、奴隷民族解放のため闘った、強く優しい英雄の名だ。神父の提案を、公爵はたいそう気に入り採用した。この頃から、旦那様を公爵の嫡男にと考えていたのだろう。民族や身分に拘わらず、ひとを助け繋げ合う領主となるように、と。
親心の込められた名前だった。きっと、名付け親であるこの神父も。
「……わしはあの子を、祖父のような目で見守り、成長を喜んでいた。若くして始めた商売が軌道に乗り、商会が大きくなるのを応援した。伯爵位を賜ったと聞いたときにはひとり酒を飲み、礼拝堂で踊った。王国至上思想の強いこの国で、異国の血をひく彼が王家以上の力を得ていくのを、胸がすく思いで見てきた――」
「教会は、王家に権力をもぎ取られましたからね」
「ああ、その通り! ディルツ王家などくそくらえだ!!」
神父はとうとう絶叫した。私はそのローブから足をどけ解放する。自由になった彼はさっそく立ち上がり、私の肩を掴んで喚き散らした。
「王族など大嫌いだっ! 特にこの十年、あのくそがきが――王太子のライオネル! あの鉄面皮め! あいつが現王を差し置いて出しゃばるようになってから最悪だ! 奉納金にも税が課され、祭事の縮小を命じられ、運営費はおろか建物の維持費すらゼロになった! この国から信仰を失くさせるつもりなのだ、国民の信奉を王家にだけ集めんがために。おのれライオネル、ライオネル!」
「神父様」
「あやつにグラナド卿の爪の垢を食らわせたい! グラナド卿は王国に新しい風を呼び込みながらも、伝統と年寄りの心の拠り所というもんを守ってくれておる! 時代が変わり国が変わり生活が変わるのはいかんともしがたいがその流れになんとか付いていこうとする年寄りの癒やしに神事が必要なのだとよくよく分かってくれておる! それに比べてライオネル! 血も涙もなき悪魔の所業。あやつの血の色は何色だ! ライオネル死すべき! 死ね! 殺したい!」
「まあ、落ち着いて下さい」
とりあえず腹を拳で叩き、静かにさせる。このひとから権力を奪ったのはまあまあ正解だったのではないか、という感想は口にせず、フムと唸った。
……なるほど。ではやはり、一連の黒幕は王家――おそらくは王太子ライオネルの妨害、ということか。
教会が、旦那様の結婚を邪魔する理由(メリット)がない以上、王家がらみだと思っていたが……。問題は、動機だ。
旦那様とマリー様の結婚を邪魔する利益……もしくは結婚成立することでの不利益がなにか、王家にある?
ふと、先ほどの神父の言葉が思い起こされた。
――この国から信仰を失くさせるつもりなのだ、国民の信奉を王家にだけ集めんがために――
「……グラナド商会の経済力に、公爵のもつ莫大な領土と権力が合わさってしまうから……?」
……たしかに、それは大きな不利益に思える。だけどそれは、マリー・シャデランが相手でなくても同じだ。公爵の実子とはいえ、もとは妾腹の子だった旦那様はそれほど爵位が高いわけではない。当人の好みを差し置けば、貴族の娘なら誰とでも婚姻できる身分だ。そして結婚を機に公爵に就く。仮にマリー様と破局しても、それは変わらない。
……旦那様の結婚を邪魔して、そして、どうするつもりなのだ?
ふう、と大きく息を吐く。
「……納得できない。あそこへ直接潜入しないと、らちがあかないようですね」
そうして私は、白いエプロンを身につけた。
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