ルイフォン様のご用事は?
「いやーごめんごめんっ、僕、裸じゃないと眠れないタチでさ。さすがに外泊では気を使うんだけど、キュロス君の部屋だとくつろいじゃうというか、すごく普通に脱いでたよ、ははははは」
紅茶のカップから上がる湯気ごしに、ルイフォン様の明るい声。悪びれてはいなかったけど、彼なりにしっかり謝ってくれた。わたしは血の気を引かせながら赤面するという、我ながらよく分からない血行状態で、テーブルに突っ伏していた。
「こ、こここ、こちらこそ、お休みの所を不躾に訪ねてしまってすみません。わ、わたし前にルイフォン様がそう、はだ……で、寝るって、あの、キュロス様から教えて頂いたことがあったのにその、だからわたしが悪いので……」
「マリーが悪いわけあるか、ルイフォンが泊まっていることも知らなかったのに」
ものすごく仏頂面で、キュロス様が吐き捨てた。
反面、ニコニコしているのがルイフォン様である。
「ごめんって。でもそんな怒ることもないだろう? 僕がマリーちゃんの裸を見たわけじゃないのに」
「見せるのもじゅうぶん性犯罪だっ!」
「パンツ履いてたんだから水着と一緒だろう。南国じゃこれがフォーマル」
「ここはディルツだ。この国に水泳の文化は無い」
「夏が短いし海水は冷たいからねー。でも宗教で禁止されてるわけでなし、暑い日は暑いんだから、概念だけ作ってあげれば普通に定着すると思うなあ」
「それはそうだが今その話はしていない」
「グラナド城も、中庭の噴水をプールに改装してさ。みんなで水遊びができたら楽しそうじゃない?」
「それはそうだが今その話はしていない」
「マリーちゃんの水着姿、キュロス君も見たいだろう。ラベンダー色のホルターネックのなんか似合いそうだよね」
「それはその通りだが今その話はしていないし、俺はピーコックグリーンのカシュクールが良いと思う」
……あれ? 今何の話をしていたのだっけ。
花柄だイヤ水玉だと盛り上がる男性二人と、ぼんやりしているわたしの前に、トッポがドンッとお皿を置いた。
「お二人とも。いつまでも喋ってないで、早く朝ご飯をお召し上がりくださいまし。せっかくのアーモンドバタートーストが冷めますよ」
そうしてわたしたちは、ようやく食事にありつけたのだった。
二十人が座れる食卓に、わたし達三人が並んで座り、トッポとツェリはお皿を持って退室する。普段は主従の敷居無く同席するんだけど、今日は来賓がいるので体裁を守るのだろう。あとで感想を聞かせてもらおう。
焼きたてほかほかのパンに、さらにあつあつで黄金色になったアーモンドバター。普通のバターと違い、焼いたパンに塗るのではなく塗ってから焼くのがシャデラン流だ。
わたしはパンを手で持って、そのままガブリと噛みついた。
その瞬間、口の中いっぱいに広がる香ばしいナッツの香り。甘みは優しいけど濃厚な味で、一口の満足感が大きい。なのに、そこから食欲に火が付いていく。
「――おおっ、美味しい!」
歓声は、わたしより先にルイフォン様が上げた。
「いいなこれ、食べる前から良い匂いだったけど、囓るとさらに香ばしい。ピーナッツバターと全然違うね。甘いだけのパンより、食事をしてるってかんじがする」
「オイルやビネガーと混ぜてドレッシングにも使えますよ」
「これ、少し塩が入っていないか?」
キュロス様の問いにわたしは頷いた。
「バターが、保存用に塩を混ぜてあるものなんです。シャデラン領では一般的ですね」
「王都でも市民はそうだよ。毎日フレッシュバターを食べられるなんて貴族くらいさ」
「……美味い。甘すぎなくて、いくらでも食べられそうだ」
「寝汗で塩分も出てるから、朝は塩っ気が美味いんだよ。キュロス君、これ商売にしよう。職人街で人気出るよぜったい」
「ふふっ……」
思わず、笑みがこぼれる。
わたしは現在この城でくつろぎ、暮らしているとはいえ、育った過去が無くなったわけじゃない。生まれ育ちはあのシャデラン領なのである。故郷の味で、彼らが舌鼓を打ってくれるのが正直、とても誇らしかった。
「気に入って頂けて嬉しいです。そうだルイフォン様、良かったら瓶詰めにしてお分けしましょうか」
「ほんとっ?」
ルイフォン様は顔を輝かせた。
「それは嬉しいな、ぜひひとつ――いやふたつ」
「ふたつ?」
「ああ、これって郷土料理、シャデラン家の家庭の味なんだろ? だったら彼女も――」
――と、言いかけた途中で、ぴたりと言葉を止める。首を傾げるわたしに、「やっぱりひとつでいい」と言い、そうしてまたニコニコ笑って、食べ始めた。
なんだろう、今、たしかに一瞬、顔を歪めていた。何か言いたいことがあったのでは。
……そういえばルイフォン様、昨夜はずいぶん遅くに来られたのよね。この近くで何か用事があったのだろうか。それとも、キュロス様に火急の用が? 結局すぐ寝てしまったそうだけど、大事な話がまだお済みでないなら、わたしは席を外した方がいいだろう。
そう思い、話してみると、キュロス様がパタパタ手を振った。
「用事なんか無い無い。こいつはいつもこうなんだ、なんの用もなくふらっと遊びに来ているだけ」
ルイフォン様は、ふにゃりと笑った。
「ひどいね、これでも王国の重要人物のひとりだよ。とんでもない国家機密(ネタ)を持ってきたかもしれないだろう?」
「ありえないな。執行は国王、参謀は第一王子、その補佐に第二王子が就いて、お前は政治経済にノータッチって立場だろう。議会にも参加せず、王宮には寝に帰ってるだけじゃないか」
「あっ、知られてた。そう、僕は王家の華役、飾り物のお人形。優秀な兄たちと違い、美貌しか取り柄がないのだよ、ははははは」
白銀色に輝く髪をファサッとかきあげ、高らかに笑うルイフォン様。
「――だから、ここに来るときは、ただの一人の男、キュロス君の友人だ。
というわけでキュロス君、二十五歳のお誕生日おめでとう。国家機密とまではいかないが、プレゼントを持ってきたんだよ。ちょっと遅れたけども受け取りたまえ」
キュロス様の前に、小箱を差し出すルイフォン様。あらまあ、そんなサプライズがあったなんて。思わぬ『用事』に、思わず顔がほころぶ。
「……お前が俺にプレゼント……。……そうか」
一方、とりあえず箱を受け取ったが喜びもせず、まじまじと眺めて怪訝な顔をするキュロス様。このディルツ王国の第三王位継承者から、公爵令息にして国一番の大富豪への誕生日プレゼント……いったい何が入っているのかしら。
自分は関係ないのに思わず息をのむわたし。開けてくれとルイフォン様が言うのに答え、キュロス様はやはり仏頂面のまま、小箱のリボンをそっと開いた。
――瞬間。ポポポポーンッ! と軽い破裂音とともに、バネの付いたボール球が勢いよく飛び出してきた。ボール球には目鼻口が描かれていて、あっかんべーの代わりに「おたんじょうびおめでとう」と書かれた札がぶらさがっている。食卓に散らばる紙吹雪とピンクの煙。目を点にしたわたしの眼前に、びよよんびよよんと揺れるボール。
キュロス様は頭を抱えた。
「……く、くだらないっ……」
「男が二十五歳にもなって、誕生日プレゼントなんか期待するなよキュロス君」
「お前こそ、二十四にもなって馬鹿なイタズラをしてるんじゃないっ!」
そこでふと、わたしは挙手をし、二人におずおずと声をかけた。
「あのう、ルイフォン様。前から気になっていたのですが、ルイフォン様って、本当に二十四歳なのですか?」
「ん、そうだろう、俺と同級生だから。次の誕生日で二十五」
答えたのはキュロス様。無言でニコニコしているルイフォン様に、わたしは改めて、ちゃんと尋ねた。
「ええ、初めてお会いしたときにもそう紹介されましたけど……でも王家の人物録にあった生年月日によると、ルイフォン様は今二十三歳……来月のお誕生日で二十四歳。キュロス様の一つ年下、ですよね」
「……えっ?」
素っ頓狂な声を上げるキュロス様。ルイフォン様は、やっぱりニコニコ。
「あの、あれは誤植だったのかなと思っていたのですけど、他の資料でもそうなっていたし。それにお二人が通っておられたレザモンド記念学園は、年齢ではなく能力に応じて級が上がるって、セドリックから聞いたので……もしかしてキュロス様、ずっと、勘違いを……」
ルイフォン様は、呆然としているキュロス様の肩を叩き、はっはっはと軽薄な笑い声を上げた。
「いやぁまさか僕も、十年以上騙せるとは思ってなかった。キュロス君ってほんと面白いよね」
咆哮を上げ、掴みかかるキュロス様。そのまま二人は床に転がり、ワアワア騒ぎ、取っ組み合いを始めた。あーあ、ぽかぽか殴り合ったりほっぺたをつねったり、どったんばったん、まるで子どもの喧嘩だわ。
わたしは止めもせず、被害が及ばぬよう席だけ移動して、残ったアーモンドバタートーストを平らげた。
キュロス様との死闘を終えたあと、ルイフォン様はすんなりとグラナド城から出ていった。本当にただ遊びにきただけらしい。わたしはルイフォン様を見送った後、食堂を片付け、キュロス様の乱れた黒髪を櫛で梳いてあげる。
「ルイフォン様が、キュロス様より年下だってこと、ずっと黙っていたのは驚きましたね」
「まったくだ。本気で十年間騙されてた!」
腕を組み、ぷりぷり怒って見せるキュロス様。
「まったくあいつは、くだらない嘘ばかりついて、ろくでもない。来るたびに余計なことをしていく」
アッカンベーしたボール球を弾いて言う、けど、声に不機嫌さはない。呆れながらも、ルイフォン様の来訪はやっぱり嬉しいのだ。
「ふふ……お二人は本当に仲がいいですね。キュロス様もルイフォン様も、お互いを大事に思っていて……」
「どこがだ。今日なんかずっと喧嘩してたぞ」
「だってキュロス様、結婚式の証書についてルイフォン様に尋ねなかったのは、あの方に気まずい思いをさせないためでしょう?」
わたしが言うと、キュロス様は少しの時間、沈黙した。
ルイフォン様は王族、国王の息子。証書の発行元が王家なら、彼こそがその当事者。彼をせっつくのが一番てっとりばやい。
だけどキュロス様がそうしなかったのは、さっき彼らが言っていた通り、ルイフォン様に権限が無いからだ。おそらく何も知らないし、知っていたとしても動けない事情があるに違いない。そうでなければ、彼はわたしたちのために手を尽くしてくれただろうから。
キュロス様は、それが分かっていたから無言を貫いた。ルイフォン様はキュロス様の親友、わたしたちの結婚を誰よりも祝福してくれているひとだ。それを無意味に責め立てては、ただ険悪になるだけだものね。
「……まあ、俺は王宮にも出入りして、いろいろと知っているからな……」
そうつぶやく声に、どこか苦いものが混じっていた。
いろいろ……か。貴族の家は、その経済状況にかかわらず、独特の風習(ルール)に縛られている。王家ともなればなおさら、わたしには想像もつかない複雑な環境があるのだろう。この城でいつも明るく笑っているルイフォン様、王宮ではまた別の表情(かお)があるのかも。
……それに……。
わたしは手を止めた。
……なんだか……引っかかるものがあった。
――僕は王家の華役、飾り物のお人形。優秀な兄たちと違い、美貌しか取り柄がない――
そんなことを、笑いながら言っていたルイフォン様。その言葉と笑顔に、既視感があった。
どこかで、誰かが同じこと――同じような笑顔で言っていたような気がして。
「……ルイフォン様。本当に今日、何の用も無く遊びに来ただけ、だったのかしら……」
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