いらっしゃいませ、王子様

 今日も平和なグラナド城。その厨房から、ドンドンガンガンバンバンバンと物騒な音が響く。


 わたしと、料理長トッポ、そしてツェツィーリエは横並びになり、木綿の袋を麺棒で叩きまくっていた。

 わたしたちが麺棒を振り下ろすたび、袋の中にある固いもの――アーモンドの粒が砕けていく。それでもさらに叩く、叩く、叩く。無言の作業に、ツェリがとうとう泣き声を漏らした。


「うぇえんマリー、まだぁ? ツェリ、指が痺れてきたよぉ」

「もう少しよ。大きな粒が全部砕けないと、すり鉢で潰すことが出来ないからね」

「ま、まだ作業があるの……もうやだ、もういいっ。このまま食べる!」


 叫び、両手を上げて投げ出すツェリ。

 あらあら……自分から手伝いたいって言ったのに。でも六歳児にはちょっと重労働だったかな。続きをやってあげようとしたのを、トッポにそっと止められた。クリームパンみたいなふくよかな指が、ツェリの手首をしっかり握る。


「ツェリ、だめ。料理の道は常に一本道……時短の近道は、まず基本を身につけてからなの。初心者こそ、王道を一歩ずつ」

「ううう、でも、トッポぉ」

「量を減らしてもいいから、手順はまっすぐ行きましょ。出来上がったときのおいしさも格別だから。ほらもう少し、もう少し」

「ううぅ~~」


 唸りながらも、また麺棒を振り始めるツェリ……偉いな。わたしは微笑んで、自分の作業を再開した。手応えが変わったのを感じ、そっと袋の口を開けのぞき込んでみる。


「もういいかんじかな? そろそろすり鉢に移して、ペースト状にしていきましょうか」

「それで完成?」

「ええ、そのあとはバターとお砂糖を混ぜるだけ。それで、アーモンドバターの完成よ。できたてをパンに塗って、朝ご飯に食べましょうね」

「うわあいっ!」


 ツェリは頬を紅潮させてぴょんぴょん跳ねた。あはは、現金だなあ。


 アーモンドバターは、わたしの故郷、シャデラン領の郷土料理だった。ピーナッツバターのほうが一般的だけど、シャデラン領ではアーモンドの方が安く手に入るからだろう。酪農がさかんなのでバターなら無料みたいなものだし、その二つの風味があれば、高価な砂糖はごくわずかでも十分美味しい。

 作り方は簡単だけども手間がかかる。アーモンドバター作りは、シャデラン領では子どもの仕事だった。

 アーモンドの粒があらかた潰れ、ペースト状になってきたあたりで、トッポが言った。 


「それじゃあ奥様、あとはトッポとツェリでやっておくから、旦那様を起こして差し上げて。昨夜遅くに来客があったから、まだ眠ってると思う」


 わたしは頷いた。キュロス様はいつも寝起きが悪いわけじゃないけど、お疲れの朝は、ミオやウォルフに起こされているらしい。その二人は、このごろ城を留守にしがちだった。……たぶん、わたしたちの結婚式の執り行いについて、あちこち調べにいっているんだと思う。

 もしかしたらキュロス様への来客というのもその関係かしら。わたしにも何か出来ることがあれば良いんだけど……。


 そんなことを考えながら、館の階段を上り、キュロス様の私室へ到着した。

 閉ざされた扉を、少し強めにノックする。


「キュロス様? おはようございます、お目覚めでらっしゃいますか?」


 呼びかけて……ややあって。返事の代わりに、無言で扉が開かれた。

 ヒョコッと出てきた男は、イプサンドロスとの混血を示す褐色ではなく、抜けるような白い肌をしていた。真っ白の顔に、さらに白い睫毛と眉毛、白銀色に輝く髪。アイスブルーの目をしばたたかせ、やはり白い胸をボリボリ掻いて、彼は低い声で呟いた。


「……あー、おはよう、マリーちゃん……」

「ルイフォン様! おはようございます。昨夜のお客様ってルイフォン様のことだったんですね。ごめんなさい、ご挨拶が遅れまして」

「ああ深夜……ほとんど明け方だったからね……僕も寝に来ただけみたいな……」


 ふあっ、と大きな欠伸をひとつ。


「いきなり来たし、使用人の手を煩わせるのもなんなんで、客室じゃなくキュロス君の部屋に通して貰ったんだ。彼ももう休むところだったから、ソファを借りて、そのまま雑魚寝……キュロス君はまだ寝てるよ。ふぁ……」

「朝ご飯のお誘いに来たのですが、どうしましょう。寝直しますか?」

「いや、グラナド城の朝ご飯、食べたいな……。先に行ってて、僕がキュロス君を起こして行くよ。服も着なくちゃいけないし」

「畏まりました。では食堂でお待ちしていますね。失礼致します」


 カーテシーを行って、わたしは踵を返した。


 そっかー、ルイフォン様がいらしてたのね。少しだけ久しぶりだなあ。

 普通、王子様が伯爵城に来られるならば何日も前に伝令を出し、歓迎の花を飾ってお迎えすべきだと思うのだけど、このお二人にそういった儀式は必要ない。ルイフォン様は昔からこうしてふらりと訪ねてきていたらしい。わたしの知る限りでも何度か、ふと気が付くと食堂にいたりした。まるで市民の、普通のお友達みたいね。

 ……だから、それ自体は驚かなかったけど……なんだか今日は心臓がドキドキする。足下がフワフワして、不思議な感じ。なんだろうわたし、今すごく、異常(おかし)なものを目撃したような気がするわ。何かすごく、驚くべき時に驚き損ねてしまった気がする――。


 首を傾げながら、階段の手摺を掴む。その瞬間、遠くからキュロス様の怒鳴り声が聞こえた。


「おいルイフォン! おまえまさか、そんなパンツ一丁の格好でドアを開けたんじゃないだろうなっ!?」


 ――それだっ!


 今更、王子様の半裸を見てしまった事実に気づき、わたしは悲鳴を上げて廊下に座り込んだ。



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