王子様はいつも嘘つき
「れ、レイミア――」
「お兄様お兄様ルイフォンお兄様、こんな所にいましたのね酷い、酷いわっ! 一体何をしていたんですのっ!?」
「えっ、なにどうした、僕は別に」
ミレーヌはすでに身を離し、他人のふり。ごめんあそばせと嘯いて、サロンへと降りていった。妹は妹で、フラリア王女のことなど気にもせず、僕のジャケットにぶら下がった。
「どうしてわたくしのこと助けて下さらないの、わたくし困っておりましたのに。明らかに困っておりましたのに!」
「知らないよ。僕はさっき来たばかりで。なにを困ってたって?」
「きゅーこんしゃです! ああわたくしはただ、社交界に出れば美味しいものを食べて飲んで歌って踊って楽しく騒げると聞いていたのに、なぜ? 男のひとがいっぱい集まって、寄ってたかって、わたくしに名前を覚えろというのです。なぜ? どうしてこのレイミアが、知らないぶさいくなおじさんの名前を覚えなくちゃいけませんの? 興味ないですわ。ぜんっぜん、興味がないですわーっ!」
その絶叫で、階下の男達が何人か意気消沈し、立ち去っていった。
僕はそれを半眼で見送って、とりあえずヨシヨシと、妹の頭をなでなでした。
「……あのねレイミア。この国の貴族はね、みんな十六で社交界デビューをするんだ」
「知ってますわ!」
「社交界の目的って言うのは、まあ色々あるけども……大きな目的は、出会いだ。特に男女の」
「知ってますわ!」
「だから妹よ、君のように身分が高くて可愛い女の子のデビューなら、狙い撃ちをされて当然なんだよ。誰よりも早く印象づけて、あわよくば今日のうちにも婚約をと」
「知ってますわ!」
「……分かって出てきたなら、なんで騒いでるのさ」
「わたくし、キュロス様としか結婚しないと言ったはずですわっ!」
鼓膜がビリビリするほどの絶叫に、僕は目をぱちくりさせた。眉を縦にし、顔を真っ赤にした妹……あっこれ本気で言ってるな? 僕は呆れて、笑ってしまう。
「キュロス君が来るわけないだろう。彼は先日、シャデラン男爵令嬢と婚約成立したんだよ」
「婚約でしょ? 結婚はまだでしょ?」
「無理言うなって。婚約ってのは言葉の通り、約束をするということで――」
「いくらでも破棄できるはずですわ。だってルイフォンお兄様こそ、今まで何人もの女性と婚約しては破棄してを繰り返していらっしゃるもの」
と、言われてしまうとぐうの音も出ない。
いやそれは……元々、恋愛感情どころか会ったこともないひとだし。こちらにもあちらにも、色んな打算があってのことで……。
僕が黙ったのを良いように解釈したか、妹はさらにヒートアップして、青い瞳をキラキラさせていた。
「分かっております、キュロス様にとって、わたくしはルイフォンお兄様の妹に過ぎない……無理もありませんわ、最後にお会いしたのは、本当にまだ子どもの頃でしたもの」
「今でも大人の女性には見えないけど。実年齢より、言動が」
「だけどわたくしももう十六。少し年は離れておりますが、規格外ということはありません」
「まあ、マリーちゃんとそんなに変わらないから、それはそう」
「隣にならんで見劣りすることはない、立派な大人の女性になれました」
「だから年齢の問題じゃないって。まず内面がさ」
「身も心も、こんなに美しく成長いたしましたっ!」
「あとキュロス君ってたぶん、おっぱいが大きいほうが好きだよ」
「何の問題も無いはずですっ! それなのに……わたくしが婚期になる前に、よもや男爵の娘なんぞと婚約するとは! ああどうしてもう少し待っていただけなかったの? お兄様っ、ちゃんとキュロス様に、わたくしの想いを伝えていて下さったんでしょうね!?」
僕の胸をポカポカ殴るレイミア。
……うーん、相変わらず、人の話を聞かない……。
僕は苦笑して、頬を掻いた。
こんな、淑女とはほど遠い少女だが、僕にとっては可愛い妹だった。うるさいけど懐いてくれているし、裏表のない性格も、他の兄弟と違い、楽だった。
客観的に、容姿だって悪くない。僕とは違い小柄で丸顔だが、小動物のような愛らしさがある。キュロス君にとって、マリーちゃんとはタイプが違うが、全く範疇外ということもないだろう。年の差だって知れている。
キュロス君のことを、本心から好んでいるのも知っている。……しかし、
「キュロス様……王家に次ぐ高貴な身分でありながら、雄々しく逞しくて、商才にまで恵まれて……わたくし、彼が蛮族の娼婦の子でも構わないわ。イプスの呪いはきっと王家の血によって解かれる。わたくしと彼との間には、きっとディルツ王家にふさわしい、白銀色の髪に白い肌をもつ子が生まれるでしょう……」
こういうところが、何より絶対ダメなんだよなあ。
「さあルイフォンお兄様、今すぐグラナド城に使いを出して。レイミアがあなたをお慕いしていると伝えれば、キュロス様はきっと喜んで婚約破棄をして、レイミアの部屋に来てくださるわ!」
「うっ? うーううーん、それはどうかなぁ」
「相手は男爵の娘でしょう? このディルツ王家の姫に鞍替えしない理由がありまして?」
「いや、だって彼らは政略結婚じゃなくて……」
どうにか妹を諭そうと、僕は言葉を模索する。
その時、背中にひやりと冷気を感じた。
「――まったくだ。この役立たずが」
声は、静かなものだった。
次兄のように大声でもなく、妹のようにまくし立てるでもない。ただ一言――その声で、当たりは冷気に包まれる。
凍えて、縮み上がった喉を震わせて、僕は呟いた。
「……ライオネル兄さん……」
ディルツの第一王位継承者、ライオネルは、ゆっくりと階段を上ってきた。僕が見下ろしているのに、遙か高みから見下ろされているような錯覚を覚える。やがて隣に並ぶと、兄はキッパリと僕を見下ろした。ライオネルは、僕たち四兄弟の中で一番背が高かった。
「ルイフォン。レイミアの願いを、なぜ叶えてやらなかった」
霜のように白い睫毛が、アイスブルーの瞳を縁取っている。ライオネルがそうしてひとを見つめるとき、反論は決して許されない。これは、折檻だ。
「私はもう五年も前から、グラナド伯を懐柔するよう、お前に命じていた。それをおめおめと、婚約式まで。お前はこの数年、一体何をやっていたのだ」
「…………」
「四ヶ月前、シャデラン男爵家を探るようにも命じた。没落貴族にありがちな領主の怠慢、不正行為があれば、すぐさまシャデラン家をまるごと取り潰す。マリー・シャデランは一介の村娘となり、娼館堕ちだ。グラナド伯爵との婚約は不可能になった」
「それは、調べても何も無かったから――痛っ」
言い訳をした瞬間、頬を叩かれた。決して強い力ではなかったが、僕の膝から力が抜ける。僕はその場に座り込んだ。
「る、ルイフォンお兄様……」
レイミアは心苦しそうにするも、ライオネルに逆らうことはできない。壁に張り付くようにして震えていた。ライオネルは、そんなレイミアに一瞥もくれなかった。妹が怯えようとも、この男は何の興味も示さない。
「グラナド公爵は王家に次ぐ広大な領土を持つ。その息子、キュロス・グラナド伯爵は、国家予算にも等しい財力を持つ。むざむざと公爵位を継がせては、国家の沽券に関わる」
「……はい」
「キュロス・グラナドを奪え。マリー・シャデランとの婚約を潰せ。それがお前の仕事だろう」
「…………はい」
「……その返事を聞いたのは何度目だ。五年前からずっと、お前の言葉は嘘ばかりだな」
吐き捨てるように言って、長兄は背を向けた。
その背中が見えなくなってから、レイミアはハンカチを取り出し、僕の口元へ押し当てた。ライオネルの平手打ちで、口の端が切れたらしい。赤いシミが拡がる布を受け取って、
「部屋で冷やしてくる。レイミア、レディとして最低限の挨拶はするんだよ」
立ち上がり、僕はサロンを去った。
……自室に戻り、扉を開こうとして、手が止まる。ドアノブから、強烈に甘い香水の匂いがする。フラリア王女、ミレーヌが手首に塗っていたものだ。
攫われるのを待ちきれなくて、自ら王子の部屋にやってきたらしい。
腐っても、ここは王宮、王族の私室だ。女一人が忍び込めるわけがない。ここに至るまで何人もすれ違ったメイド達、壁に立ち知らん顔をしている護衛。彼らは、僕の味方ではなかった。
「……ふっ。くくっ……」
何か、変な笑いが出た。妙に可笑しくなってしまって、笑いが止まらない。僕はクックッと笑いながら、自室に背を向け、廊下を駆けた。
サロンではまだ賑やかな夜会が続いている。眠らない夜、眠れない夜。
こんな日は、あのひとに会いたくて仕方なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます