嘘だらけの女

 吹き抜けから、階下のサロンホールを見下ろす。


 ……思いのほか人が多いな。


 今夜の社交界は、何も特別な祝典ではない。ただディルツ王国の姫、十六になった妹が初めて参加するというだけだ。

 しかしいつになく賑わっている。しかも王女の婿を狙えるほどの上級貴族、それに近隣の王族までが来ているようだった。


 ……確かに、これは僕も顔を出すべきだったかな。


 階段を降りようとした、その時。


「だぁーれだ?」


 後ろから不意に、目隠しされた。手首に塗られた甘ったるい香水のにおい、鼻に掛かった特徴的な声――なにより、王宮でこんなことをするのはあの女しかいない。僕は答えた。


「誰だろう、この涼やかで可愛らしい、心を惑わす甘い声。妖精かな。それともミレーヌ姫か」

「うふふっ、あたり。久しぶりね、ルイフォン」


 ミレーヌは笑って手を外してくれた。

 こんな少女じみたことをしたわりに、ミレーヌの衣装は地味(シック)だった。ダークグリーンのクラシックドレスで、妙齢の貴婦人らしくきちんと髪も纏めている。珍しい。彼女が僕を訪ねてくるときは、いつもフリルたっぷりのピンクドレスか、扇情的なナイトドレスかの二択なのに。

 まるで淑女のような格好じゃないか。ひとつ浮かんだ推察で、僕は言った。


「ミレーヌ、もしかして今日は旦那さんと一緒なのかい?」

「いいえ息子と。ほらあそこ」


 指さしたほうを見下ろすと、着飾った少年がひとりぽつんと立っていた。年の頃は妹と同じくらい。ということは、きっと彼も婿候補としてわざわざフラリアから来国したんだろうけど……。

 だめだな、あれは。年上の男達に気合い負けして、動けなくなってしまっている。競争の場に立つことすら出来ていない。ミレーヌはクスクス笑った。


「だめねぇあの子は。見た目が不味いのに性格まで気が弱くて」

「テコ入れしてやらなくていいのかい? フラリア王子は本気で、うちの妹に気があるみたいだけど」


 ミレーヌは高笑いした。本気で冗談だと思ったらしい、明るく、当たり前のように言う。


「王族が恋愛結婚なんて出来るわけないでしょう? 息子にはそのうち、国内で適当な令嬢でもあてがうわ。惚れた腫れたは、結婚してから余所(よそ)で遊べばいいんだから」


 ねえ? と、同意を求められ、僕は笑った。


「かつての共闘国、ディルツ王家と繋がるのは、現国王の悲願だろう?」

「五十年も前の義理人情なんて知ったことではないわね。父は、もう老いぼれよ。近いうちに我が夫、いいえこのわたくしがフラリアの支配者になる」

「だったらなおさら、軍国ディルツの姫は王太子妃に欲しいんじゃないの?」

「武力があったってどうせ使えないでしょ。経済で戦争する時代よ。うちがディルツから購入する兵器の予算は、年々減っているの」


 ――知ってるよ。


「フラリアのチカラが欲しいのは、ディルツのほうよね」


 ――その通りだよ。


 クスクスと笑っている王女に、僕はにっこり、笑顔を返した。


「それで、ミレーヌ。妹が目的じゃないなら、今日はどうして王宮に来たの」


 そう言うと、王女は頬を膨らませた。


「……いじわる」


 僕の胸を指でつつき、服の上をツウとなぞる。臍まで来たところで、手首を押さえた。


「人目があるよ」

「平気よ。みんなレイミア姫を見てる」

「ミレーヌ、僕は今夜、大事な仕事があるんだ」

「それってディルツの年間軍事予算より、経済効果の高い仕事なの?」


 言った直後、ミレーヌは僕の返事を聞かぬまま、僕の唇に噛みついた。

 ……こうなることは分かっていた。僕は抵抗も反論もせず、自分から彼女の腰を抱き、深いキスを捧げる。この女は毒婦のくせに、強引に吸われるのが好きなのだ。僕はまるで餓えた少年のように、彼女を欲しがる声を出す。満足そうに微笑んで、ミレーヌは囁いた。


「だめよルイフォン、これ以上は、こんな場所じゃ……」


 これはつまり、僕の部屋に連れて行けということ。

 僕は素直に頷いて、彼女を抱き上げようとして――


「お兄様! ルイフォンお兄様! お兄様ぁあ――っっ!!」


 耳をつんざく絶叫に、前のめりにコケた。


 慌てて振り向くと、階段の下に少女が一人。我が妹、レイミア姫だ。

 幼さが多分に残る顔立ち、白銀色の髪を編み込みで纏め、少女らしい華やかなドレス姿である。そんな格好で、あとを追ってくる男達を軒並み蹴り飛ばしはね除けて、階段を駆け上がってくるところだった。

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