ミオの真実 後編

 深夜――厨房からは、甘い匂いが立ち上っていました。

 暗闇の中、ほんのわずかな燭台の灯り。そして人間ひとりが動く小さな物音。


 作業台の上には、病的なまでに夥(おびただ)しく、大量のクッキーが積まれていました。

 しかし彼女は、舌なめずりなどしませんでした。闇の中、白く尖った指で一枚だけを摘まみ取り、小さな紙の上に。

 ポケットから小瓶を取り出し、震える指で蓋を開け……クッキーにポトリと一滴。素早く紙に包み、ポケットにしまい、また嘆息。

 酷く物憂げなその横顔は、皮肉なことに、とてもお美しく見えました。


「ローラ夫人」

「いッ――!?」


 ローラ夫人は飛び跳ねるように身をのけぞらせました。作業台にぶつかり、クッキーがいくつか床に落ちました。私はそれを、目で追いかけて。


「……もったいない。せっかくローラ夫人がお作りになったのに」

「あっ――あ、あなた……あなたは。……あの、蛮族の連れ子……」


 壁に背中を貼り付けて、怯える夫人。私は首を振りました。


「私とリュー・リュー様は、親子ではありません。もちろん公爵様とも、キュロス坊っちゃんとも。この屋敷と何の関係もない、ただの居候です」


 ローラ夫人は押し黙り、私を不気味そうに見ていました。私は床のクッキーを拾いました。

 端が欠けてしまいましたが、やっぱり美味しそうです。私は夫人に尋ねました。


「これ、いただいても良いですか? 私は生まれが下賤なもので、綺麗な床に一度落ちたくらいなら気にしません」

「……そ……っ……ど、どうぞ……」


 許可をいただいたので、一口。


「……美味しいです。実は私、夕食を食べ逃してしまって、とてもお腹がすいていまして。何か残り物が無いかと厨房へ来たんです」


 半分、真実でした。ちょうどいいタイミングで、ぐうと腹の虫が鳴りました。

 それで、ローラ夫人は何か、ホッと大きく息を吐きました。優しい微笑みを浮かべ、台の上からクッキーを取ると、私に差し出してくれました。


「どうぞ、いくつでも召し上がって。明日の朝、お城のみんなに配るつもりで作ったの」

「そうでしたか。では、キュロス坊っちゃんのぶんも持っていきますね」


 ――案の定、ローラ夫人の笑顔が強張りました。

 私は無断で、クッキーの山から三つほど取り、ハンカチーフに包もうとしました。しかしその手を掴まれました。


「キ……キュロス君は……今日ひきつけを起こしていたでしょう? 何か、悪い病気かもしれない。……今夜は様子を見た方が良いわ」

「明日以降に食べるよう言いつけます。この頃は、ひとの言うことをよく聞く子です」


 ローラ夫人はまた黙り込みました。しばらく逡巡し……やがて諦めたのでしょう。私の手を離しました。


 ――逃がさない。


 私は、ローラ夫人の腰元を指さしました。


「それを持っていった方がいいですか? そのクッキー、坊っちゃんに食べさせるようにと取り分けたものですよね?」


 ヒュッ――と、ローラ夫人が息を呑む、乾いた音。


 ――逃がさない。


 私は夫人に飛びつくと、ポケットに手を突っ込み、紙包みを抜き取りました。

 すかさず包みを開くと、わずかに変色したクッキーがありました。

 絶対の確信、証拠があったわけではありません。しかし私は断言しました。


「ローラ夫人! あなた、この毒入りクッキーを坊っちゃんに食べさせようとしましたね!」

「……っ!!」


 ローラ夫人が奪い返そうと手を伸ばす。私はそれを払いのけ、後ろへ飛びすさった。距離をとって追及する。


「いつから狙っていましたか? その毒薬はいつ手に入れましたか? いつ実行するつもりで、坊っちゃんに優しい大人を演じていたのでしょうか。

 いえ、そんなことはどうでもいい。あなたは明朝、坊っちゃんに毒を食わせるつもりだった!

 ローラ夫人! あなたは、キュロス坊っちゃんを殺そうとした!!」


 私の声が、深夜の厨房に響く――それを防ぐためでしょう。ローラ夫人は、私の喉に手を掛けました。


「――ぐっ!」


 一瞬で呼吸(いき)が潰れる。すごい力でした。

 大人の女性は、八歳児の首を両手で掴み、中空へとぶら下げていました。骨張った指が喉に食い込み、さらにぎゅうぎゅうと締め上げてきました。

 大人と子ども。倍の身長差。

 あっという間に意識が遠のいていきました。霞む視界に、完全に狂人の目つきになった、ローラ夫人の顔があります。私は呻きながら、にやりと笑みを浮かべました。


 ――ああ。良かった。何もかも、作戦通りだ。



 ……ローラ夫人は、キュロス坊っちゃんを憎んでいると確信していました。

 人間はそんなに、綺麗ではないから。

 キュロス坊っちゃんが、妾腹の子とされているうちはまだしも、いつか正式な公爵令息として認められたら……激しい憎悪を、坊っちゃんに向けるに違いないと。

 しかし直接手を下すのは、彼の成長とともに難しくなる。公爵令息には護衛が付き、どこへ行くにも送迎される。当人も強くなり、中年女の細腕でいかんともしがたくなるだろう。

 優しいおばちゃんの差し入れに、疑うことなく食いつく幼年のうち。まだ、『リュー・リューの子』である今日この日――。

 平常、坊っちゃんがいきなり倒れたら緻密な捜査をされるだろう。毒入り菓子も、一対一で差し入れたなら、疑いから逃れることはできない。

 しかし屋敷中に配られたクッキー、『持病持ち』の幼子の急死を、毒のせいと疑うのは難しい。使用人数人を経て差し入れれば、クッキーの製作者は、容疑者のひとりでしかなくなる。ローラ夫人は、この館の女主人。毒の瓶を処分するのは容易でしょう。

 だから、今夜、この時――

 公爵の世継ぎが、まだ身内に口伝されただけの今。坊っちゃんが原因不明の引きつけを起こし、発作の前兆だったと考えられる、今、この時。


 ローラ夫人は坊っちゃんを殺す。

 そしてその悪意から、坊っちゃんを護り、かつ彼女を『実行犯』として裁くには……今このとき、私が殺されること。

 何も知らずに眠るリュー・リュー様のそばに、ローラ夫人を糾弾する文書を置いて出ている。今ならば、言い逃れの出来ない証拠――私の死体が出来る。

 

 ――今この時しか、無かったのです。


 尖った爪が首の皮膚を抉る。その痛みも、私はもう感じませんでした。

 覚悟をしていたのに、無意識に酸素を求めて藻掻いてしまいます。


「ぐ……う……っぅ――……」

「――おまえには分からない」


 ローラ夫人が、低い声で呟いていました。


「――我が子を愛する母の気持ちなど――おまえには分からない」


 ええ、確かに。私にはきっと一生分からない。私は母でも姉でもないから。

 だけどきっとあなたにも、私の気持ちは分からないでしょう。幼くて弱くて、こんなことでしか義母に報いることが出来ない孤児の気持ちなど、きっと誰にも分らない。


 ――リュー・リュー様。これでやっと……あなたに頂きっぱなしだったものを返せるわ――


 私は目を閉じました。


 その時でした。横からドンと大きな衝撃があり、私とローラ夫人は倒れました。その拍子に、私を掴むローラ夫人の手が離れ、私は床に墜落しました。ゲホゲホと咳き込む私の前に、小さな人間が背を向け、仁王立ちになっておりました。

 私は、枯れた声で叫びました。


「キュロス坊ちゃん……!?」


 まだ四歳。跪いた私とさほど変わらぬ背丈の男児……倍以上もある大人を見上げて、坊ちゃんは金切り声を上げました。


「いけません! やめてください!」


 ――それは……普段私が、何度となく彼に言い聞かせてきた言葉でした。

 外界を知らぬ、無垢な幼児は、ひとを制止する言葉を他に知らなかったのです。

 あっけに取られるローラ夫人――坊ちゃんは、彼女の足に飛びつき、ぎゅっと抱きしめました。


「こら! けんかをしたらだめでしょう!」


 これは、リュー・リュー様の言葉……自分が知る、もっとも有効な手段で、解決を試みておりました。

 私を護ろうとしておりました。


「坊ちゃん……」


 ――そこで、私はハッと息を呑みました。いけない! ローラ夫人の、もともとのターゲットは坊ちゃんだ――私は坊ちゃんを庇おうとしました。しかし私を払いのけたのは坊ちゃん自身。短い手足を目いっぱいに開いて、ローラ夫人と私の前に立ちふさがったのでした。

 そんな坊ちゃんを、ローラ夫人は無言で見下ろしていました。その表情から、感情を読み取ることはできません。

 しばらくそのまま佇んで――やがて背を向け、厨房を飛び出していきました。私は追いかけませんでした。それよりも、坊ちゃんを強く抱きしめました。


 そのとたん、坊ちゃんは火が付いたように泣きました。幼すぎる彼は、ローラ夫人が私の首を絞めていたことをよくわかっていませんでした。もちろん、自分が毒殺されそうになっていたことなど、つゆほどにも。

 ただ自分が好意を持っている人間が二人、喧嘩をしていただけ。それだけで、坊ちゃんは泣き喚いていたのでした。


 ……なんて弱くて優しい子。そして強くて大きな子。

 リュー・リュー様に似ていたのは、肌や髪だけではなかったのですね……。



 泣いて泣いて、疲れて眠ってしまった坊ちゃんを、私は部屋まで運び、リュー・リュー婦人の隣に寝かせました。

 扉に内鍵をかけ、その前に跪いて、一晩を過ごしました。

 逃げたローラ夫人を追いかけはしませんでした。彼女を裁くのはいつでもいい。私の仕事は、今この場所で、母子を護りぬくことでした。



 翌日。自室で胸にナイフを突き立て、自害したローラ夫人の遺体が発見されました。

 坊ちゃんはひどくショックを受けていました。昨夜のやりとりや、自分が公爵の跡継ぎに指名されたことが関係していると考えたようです。自分のせいだろうかと悩む彼に、そうではないと慰めながらも、殺人未遂のことは話しませんでした。

 リュー・リュー様には伝えましたが、坊ちゃんにはやはり口止めされました。公爵様にも、ローラ夫人の娘たちにも。リュー・リュー様は、亡きローラ様の名誉を守り、自分自身が公爵邸を出ていくことにしたのです。


 そして――


◇◆◇◆◇


「そして……どうなったの?」


 わたしが聞くと、ミオは苦笑いした。前を行くトマスも息を呑んでいる。


「それからは、みなさんご存じのとおりですね。坊ちゃん……もとい、旦那様と私もリュー・リュー様と共に古城へ移り住み、私は旦那様の世話役兼遊び相手から侍女へと就任しました。

 城には信頼のおける使用人のみを置いておりますが、やはりやんごとなき身分の方。またいつか、御身を狙う者が現れぬとも限りません。

 私は侍女をつとめながら、女の体型でも出来る格闘術を学びはじめたのです」

「旦那様を護衛するためにですか! すごい! ミオ様にそんな献身的な忠誠心があったなんて知りませんでしたっ!」


 トマスが歓声をあげた。


「はぁーっ、ドラマチックだなあ! 姉弟みたいな関係だっていうのは知ってたけど、そんな幼いころから命を懸けていたなんて。あんなに強くなったのも、旦那様に庇われた恩返し。いやぁカッコイイ! びっくりです。僕、ミオ様の見え方変わっちゃいましたよ」


 大騒ぎする少年に、ミオはちらりと目をやって、フッと笑った。私はそれが、嘲笑じみた笑みであることに気付いてしまった。


 ……違うわ、トマス。ミオの見え方が変わったのはわたしも同じだけど……彼女の忠誠心、恩義を感じているのは、キュロス様ではなくて……。


 歩きながら、ミオは囁くように語る。


「マリー様は、お判りいただけたでしょう。私はこれからもこの城を出ていくことはありません。ずっとグラナド家の方のそばにいて、この身に換えてもお護りいたします。……一度だけリュー・リュー様が提案したことも、万が一にもあり得ませんので」

「……ええ。……ごめんなさい、実の親子が暮らした方がいいとか、余計なことを言って」


 わたしが謝ると、首を振る。顔や声こそ冷淡だけど、ミオはいつだって優しい。

 正門は、もう目の前に見えていた。鉄門の向こうに豪奢な馬車が二台見える。トマスが声を上げた。


「あれっ? グラナド家の馬車がある。旦那様もお帰りになったのかな」

「……来客と鉢合わせになってしまったようですね。面倒ごとになる前に、さっさと追い返しましょう」


 足を速めたミオに、わたしはさらに速足で追いつくと、その手をキュッと繋いで止めた。振り向いた彼女に耳打ちする。


「あんまり背負い込まないで。わたしも一緒に、グラナド家を護りたいから」  


 ぎょっとする彼女の手を放し、わたしはトマスを追いかけていった。



 白亜の古城の門前に、二台の馬車と、大男が二人。

 一人はグラナド城の主にして、わたしの婚約者キュロス・グラナド伯爵。

 彼と向かい合っているのは……大男……ああもう、大男、としか言いようがない大きな男だった。

 身長は、一般的な成人男性よりもゆうに頭三つは上だろう。頭一つ大きいキュロス様が小さく見えるほどの長身。

 横幅はさらにインパクトがあり、太い首、丸みのある胸板は隣にいる牡馬以上のボリュームだった。

 それでいてウエストは不気味なくらいにくびれていて、薄手のシャツ越しに、でこぼこした腹筋が透けていた。

 ……年の頃は、四十……いや、五十歳を越えているかも。顔の半分が髭、もう半分は筋肉で出来ていて、年齢とか造形とかがよくわからない。ヒトと同じ速度で加齢するかも怪しいし。

 栗色の髪と髭と胸毛をした生物がそこにいた。

 ……なぜか無言で、キュロス様の前でポーズを取っている。全身の筋肉を見せつけているらしい。

 ……田舎のシャデラン領に、動物園はない。初めて見る光景に、わたしは茫然としつつ、呟いた。


「ぉおう……」


 彼を指差し、トマスは言った。


「ね? あれ絶対ミオ様のおとうさんでしょ?」

「あなたは私を何だと思っているのですか」


 すかさずミオはトマスを蹴飛ばした。……ごめん、わたしもトマスと同意見だわ……。 


「あっトマス、どこへ行ってたんだ。それにマリーもミオも一緒になってどうした」


 キュロス様は、案外どうということもない表情で、わたしたちを迎えた。


「おまえたちの知り合いか、この男。ちょうど帰ってきた俺と鉢合わせたんだが、名前を聞いてもポージングを切り換えるだけで話にならんぞ」

「…………そうですか」

「それきりちっとも喋らないから、本当に状況が分からない。ミオ、アポのある客ならもてなして、知人なら茶店にでも連れて行け。できるだけ遠くの」

「いえ。全然知らない動物ですね」

「ミオっ!?」


 ミオの気持ちもわからないじゃないけど、それはちょっと、良くないと思うわ!?

 しかしミオは大男を通り過ぎ、キュロス様の荷物を預かろうとする。キュロス様も首を傾げつつ、城へ入ろうとする。トマスは地面で失神している。ど、どうしよう……。

 ひとり右往左往しているわたしの肩を、大男が指先で、ドシドシつついた。


「ひあっ! な、なんでしょうっ?」


 振り向いたわたしに、やはり無言のまま……ピンクの封筒に入った、かわいらしいお手紙が渡された。中を見ると、小さな便箋に、これまたかわいらしい字が書かれている。


「…………拝啓、ミオ様。夏の息吹が強く感じられる季節になりましたね。ミオ様に置かれましては、お元気でお過ごしでしょうか。

 初めまして、あなたの実の父親です。……突然の訪問をお許しください……」


 読み上げるわたし。後ろからキュロス様が覗き込み、続きを読んだ。


「生後間もなく、あなたをひとりぽっちにしてしまってごめんなさい。寂しい思いをさせてしまいましたね。……あなたをおいてけぼりにしたのは、決して愛情が無かったからではありません。並々ならぬ事情がありました……」

「――申し遅れました、当方の名はバルバロッサ・ストロンガー。国々を放浪し各国の格闘王を屠ってきた、世界最強の武闘家です。妻があなたを置き去りにしたあの日、ワタシは宿敵、ライトニング・ゴリラ・ゴリラに命を狙われて――……」

「なるほど。これは間違いなくミオの実父だな」

「旦那様までなんですか」


 ミオは容赦なく、キュロス様も蹴飛ばした。ごめんねミオ、そしてキュロス様。わたしも同意見だけど、蹴られたくないから黙っていた。


 手紙はまだ長々と続いていたけれど、要するに、並々ならぬ事情があり、妻子の安全を願えばこそ赤子を置いて行ったのだということ。良き人に拾われたことを、ひそかに観測してずっと見守っていたこと。そして今は問題が解決し、ミオを迎え入れても大丈夫だということ。

 しかしミオ自身が望むなら、無理に連れ帰るつもりはないということが、とても丁寧に書き綴られていた。


「……ミオ、どうする。俺はおまえが望むように援助する。きっと、リュー・リューも」


 キュロス様の言葉に、ミオは一度黙り込み……やがて深々と頭を下げた。


 出会ったばかりの大男に向けて。


「――迎えに来てくれて、ありがとうございます。……本当に私の血縁者なのか、真偽はともかくとしても、嬉しいです」


 ……ミオ……。

 息を呑んで見守るわたし達。


 「しかし」と、ミオは顔を上げた。


「私は、もう大人です。自分の居場所は自分で決める。そして今はもう、ここが私の家であり、家族がいます」


 その言葉に、わたしとキュロス様は顔を見合わせ、ホッと息を吐く。

 大男は、眉をほとんど真下に垂らし、悲しみの表情を浮かべた。しばしの静寂……そして。

 ニカッ! と、底抜けに明るい笑みとともに、白い歯をきらめかせて見せた。



___________________


 侍女の制服から部屋着に着替え……おさげに編んだ髪をほどく。

 ――ふう。

 小さく嘆息。


「珍しいわね、あんたが溜め息なんて。おつかれ?」


 すかさず気遣いの声が飛んでくる。私は頷いた。


「……ちょっとね。今朝、面倒な客が来て」

「ふーん? なぁに、あんたの求婚者? さてはラブレターもらったんでしょ」


 私は苦笑いして、「似たようなものかな」と答えておいた。彼女ももちろん本気で言ったわけじゃない。それで会話を終えて、鏡台の前で髪を梳かし始めた。

 私はそこへ歩み寄った。椅子に座った彼女の腿に尻を下ろす。膝に乗られて、彼女はオッ? と、歓声じみた声を上げた。


「なぁにミオ、甘えちゃって」

「……ん。髪の毛、結んで」

「はいよー。いつものおさげでいいの?」


 軽く応じて、私の髪にブラシを入れ始めるリュー・リュー様。

 ちょっと雑で、とても優しい。私は時々、首をぐらぐらさせながらも、黙って目を閉じていた。



 ……私は彼女を、おかあさん、と呼んだことはない。だから、他に誰のこともそう呼ばない。

 名前を付けられない関係でも、言葉にできない気持ちでも、確実にそこに在るもの――。

 ただそれを大切に、護り続けていたいだけなんだ。


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