おまけの番外編③ マリーの一日 前編

 最近、俺には悩みがある。


「それじゃあマリー、行ってくる。今日は少し遠出するから、帰りは明後日になると思う」


 俺が言うと、彼女は穏やかに微笑んだ。決してスネたり、寂しがる様子はない。

 分かりましたと頷いて、丁寧に頭を下げるのだ。


「行ってらっしゃいませキュロス様。お疲れの出ませんように」


 その柔らかな見送りは、これ以上無く心地いいものだが――。


「もうちょっとくらい、寂しがってくれてもいいんだぞ」


 試しに、そんなことを言ってみた。すると彼女は一瞬だけ驚いて、しかしすぐに、眉を垂らした。かすかに頬を染め、遠慮がちに……囁いてくる。


「……寂しいわ、あなた。早く帰ってきてね」

「っくあっ!」


 俺は咆哮した。突然の奇声に、ビクッと身を震わせ反射的に逃げ出そうとするマリー。その手首を掴まえ、引き寄せて抱擁する。


「キ、キュロス様」

「一秒でも早く帰るっ! 待ってろよマリー、土産をいっぱい買ってくるからなっ!」


 俺が言うと、照れくさそうに微笑むマリー……しかし、ふと眉を寄せた。


「あの、お土産は大丈夫です」

「遠慮をするな。会談場所は香木を使った彫刻で有名な町でな。特産品から何か……可愛い動物の彫像とか」

「彫像っ!?」


 マリーは本気で顔を曇らせた。

 俺の抱擁からもすり抜けて、後ずさる……あれ?


「ご、ごめんなさい、本当にお土産は結構です! それより、事故のないよう、ご安全に。キュロス様が健康で帰ってきて下さいね」


 そう言って、そそくさと逃げるように屋敷へ戻っていく……。

 ……むう……。


「お悩みですか、旦那様」


 すかさず、声が掛かる。もちろんいつもの無表情な侍女である。いつのまに背後に――しかしいつものことなので、俺は気にせず呟いた。


「最近マリーが、贈り物を喜んでくれない気がする」

「もともと物欲は薄い方(かた)でしょう。ねだったことは一度もないかと」

「それでも手渡せば目を輝かせていた。……さっきのは、遠慮とは違う気がするんだ」


 ミオは、否定も肯定もしなかった。軽く首を傾げ、


「確かに、本当に不要なので買ってくるなと釘を刺す感じでしたね。マリー様もグラナド家の一員として、旦那様の無駄遣いに眉を顰めておられるのでは?」

「心配されるような資産状況じゃない。彫像など、使用人全員分を等身大で作らせて、園庭に並べることだって出来るぞ」

「不気味なのでやめてください」


 きっちり突っ込みは入れながらも、やはり腑に落ちない様子のミオ。


「まあ、マリー様ならそのくらいは理解されているでしょうし。たとえ物が気に入らなくても『気持ちが嬉しい』と笑って受け取られるようには思います。何かが変わった、とは、私も感じています」

「案外本当に、物欲が出てきたからこそ、好みが分かれるようになったとか」

「それは、たいへん喜ばしいことでございますね」


 即答するミオに、俺はウンウン頷いた。

 好きな物と嫌いな物が出来てきた――それはまさに、俺たちが待ち望んでいた、健全な精神状態だ。何をされても光栄です、自分にはもったいのうございますでは不健全だ。もっともっと、マリーにはワガママになってもらいたい。


「素直にリクエストしてくれたら、宝石鉱山でも城でも買い取ってやるのに」

「それで喜ぶ感性の女性なら、楽でいいですね。しかし、マリー様のお望みはそんなものではないでしょう。今一度、マリー様のお好みを探る必要があるかと」

「……とりあえず、今日は仕事に出かけてくる。その間に、何か気が付いたことがあればまた教えてくれ」

「畏まりました。では、お気を付けて行ってらっしゃいませ」


 一礼するミオに背を向け、馬車に乗り込む。

 座席で会談の資料を眺めながらも、頭の片隅には常にマリーのことがあった。いや俺が一人で考えていてもどうにもならないのだが。

 ――マリーの心情は、ミオに探らせるのが一番いい。ミオはよく気が付くし、同性で、俺よりも日常的にそばにいる。朴念仁な俺が下手に動くより、蛇の道は蛇――それはそうなんだが。 

 マリーと夫婦になるのは、この俺だ。これから数十年、一緒に生きていくのに、すれ違うたび他人を挟んでいるようではいけないだろう。

 俺が直接、マリーの言葉で本音を聞きたい……あるいは、俺の眼だけで気付けるようになりたい。

 俺は馬車に揺られながら、低い唸り声を漏らした。




「――ということで。これからなるべく一日中マリーとくっついて過ごすことにした!」


「ええっ!?」


 俺の単刀直入な提案に、マリーはシンプルな悲鳴を上げた。


 山吹色の瞳を明らかに揺らし、しばらく考えてから、おずおずと挙手する。


「あのう、ということで、とはどういうことでしょう……」

「やはり今まで、一緒にいる時間が単純に短いことに気が付いた。外出しない日も、自室に籠もって書類仕事をしているし。顔を合わせるのが夕食だけということも多かったからな」

「そ、そう……ですか。それは、良かったです……」


 …………あれ? なんか、思っていた反応と違う……。

 俺はマリーの表情を窺いながら、恐る恐る、確認してみた。


「もしかしてまだ、あんまり長い時間俺といるのは落ち着かないだろうか?」

「いえ決してそのような! 一緒にいられるのは嬉しいです! ほんとにっ!」


 ぶんぶん首を横に振ってから、続けて立てにぶんぶん振って、めまいを起こしかけるマリー。これは本音で言ってくれていると思うが、ではどうして、あまり浮かない様子なのだろう?

 確認してみると、彼女はひどく遠慮がちに呟いた。


「ただ……それが、キュロス様のご負担になってしまうのではないかと思って。お仕事に差し支えたり、休養が取れないのではないですか?」


 ああなんだ、そういうことか。俺は笑って、鞄を持ち上げて見せた。


「それなら、こうして持ち歩くから問題ない。もともと城の部屋はただの仮眠室。俺の私室はこの館にあるしな」


 月に一度も寝ないけども、これは事実だった。

 そう――俺たちがすれ違いがちなのは、単純に部屋が遠いのだ。城にある仕事部屋から、マリーのいる貴賓室まで、ほとんど端から端なのである。


「本来の自室なら、このマリーの部屋の程近くだし、三度の食事も一緒に摂れる。なんなら仕事も、マリーの部屋でデスクを借りられたら――」

「あっなるほど、そういうことなら良かったです!」


 やっとマリーの笑顔がはじけた。俺もホッと胸をなで下ろす。

 しかしマリーは立ち上がると、いそいそとデスクの上を片付け始めた。読みかけらしい本や筆記用具を持ち上げて、ティーテーブルへ運んだのである。俺は苦笑いした。


「そんな気を遣わなくても、空いているところでいい。マリーも何か作業をしていたんじゃないのか?」

「いえ、ちょうど作業が終わったところで、図書館へ運ぶつもりだったんです」


 作業? 読書を楽しんでいたわけじゃないのか?

 ……そういえば、とふと考える。

 日中、俺が仕事で出かけている時や、部屋に籠もっている時……マリーは何をして過ごしているのだろう?

 デスクに積まれた本を抱え上げるマリー。俺も手伝おうと手を伸ばした時、こんこんと扉がノックされた。


「マリーさんいる?」


 俺の母親、リュー・リューの声。マリーはハッと顔を上げた。


「いけないっ、もうレッスンの時間だわ」


 レッスン? 手のふさがっているマリーの代わりに俺が開くと、やはりリュー・リューが、腰に手を当てて立っている。


「あれ、キュロスじゃない。マリーさんの部屋でなにやってんの」

「なにって別に、ただそばにいたって良いだろう。婚約者なんだから」

「そりゃ良いけども、今からマリーさん連れてっちゃうわよ。あんたどうするの?」

「すみませんキュロス様。ではわたし、行ってきますね。良かったらデスクお使い下さい」


 マリーは腕に、本を山ほど抱えていた。どうやらその『レッスン』のあと、図書館へ直行するらしい。

 え? まさかの、俺だけ部屋で留守番という展開……?

 呆然としている俺を、リュー・リューは半眼になって見つめ、鼻で笑った。


「まさかあんた、自分が仕事してる間、マリーさんがずっと暇を持て余してると思ってた?」


 …………まあ、大体、半分くらいは。さっきまでそう思っていたかもしれない。


「あのね、マリーさんにはマリーさんの時間と、仕事があるの。あんたの時間が空くのを、一人寂しく待ちぼうけしてるわけないでしょ。

 あんたがマリーさんと一緒にいたいなら、自分がマリーさんについていらっしゃい。

 ――あんたたちはこれから、何十年と一緒に暮らす夫婦になるんだ。『ハコ』を用意する前に、『中身』を識らなきゃね」


 …………。

 分かるような、分からんような。俺は微妙に首を傾げながら、とりあえずマリーから荷物を奪って、二人のあとを付いて歩いた。



 城のサロンホールは、様々な用途に使われる。

 主には、賓客のもてなし。式典やパーティ、夜会に使われる広い会場だ。以前、ダンスの練習に明け暮れていたのもここだった。またダンスをするのかと思いきや、リュー・リューは部屋の隅にある、グランドピアノに腰かけた。


「じゃあマリーさん、昨日の続きからね」

「はい、よろしくお願いします」


 マリーは、胸の前で手を組み、緊張した面持ちで佇んでいる。まず深呼吸するように言ってから、リュー・リューは鍵盤をひとつ、指で押さえた。


「いくわよ――はい、これが、ド。ド、ド、ド――繰り返して」

「ど、ど、ど」

「最後のだけちょっと外れた。次はレ。レ、レ、レ」

「れ、れっれっ、れ……」

「やっぱりズレた。出だしでつんのめるのと、後半不安定になって揺れるのね。真ん中は合ってた。よく聞いて、ド、レ、ミ。ド、レ、ミ。の、ド、ド、ドー」

「ド、ド――――」


 ……なるほど。歌のレッスンだったのか。

 確かに――婚約式ではダンスを披露するだけだったが、結婚式では讃美歌を歌う場面がある。客に聞かせるものではないので、わざわざ練習する必要は感じないが、やって無意味ということはないだろう。

 そういえば、これまでマリーの歌って聞いたことなかったな。ダンスの時、リズムを取るのに口ずさんでいたくらいか。どんな歌声だろう――地の声が綺麗だから、きっと素敵な歌になるだろう。


 俺は本の山を抱えたまま、壁にもたれかかった。

 せっかく同じ部屋にいながら会話も出来ないが、これはこれで。マリーの歌声に癒やされよう……。

 ――ところが。


「ど、どれみ、どれみ、みれど、みれど……」

「違う、最初っから最後まで全部違う。一音一音丁寧に聞いて。はい、ドーーー」

「ど~~~~……?」

「途中で不安になるな! ドー、レー、ミ―」

「どぉ~れぇ~みーーーー?」


 鍵盤に突っ伏すリュー・リュー。思わず、俺も肩をこけさせていた。

 いや、うん。俺がいるから緊張させているのかな? と思ったが、以降もここから全然進まない。

 ……な、なんというか、これは。……声がきれい、汚いという話ではなく……。音が取れていないというか、声が歌になっていないというか……。


 マリーは……音痴だった。


「ごめんなさい……いつまでも同じ所で引っかかって、上達しなくてごめんなさい……」


 顔を両手で覆い、ひたすら委縮するマリー。そんな嫁を、ちょっと乱暴にガシガシ撫でて慰めつつ、リュー・リューはどやしつけた。


「メソメソしたってしゃぁないっ! 天性の歌姫もいれば、どーしよーもない音痴の星に生まれる子だっているでしょうっ」

「お、音痴の星」

「心配しないで、別にプロの歌手になろうってんじゃない、結婚式で神父をコケさせなきゃいいんだから。そんなに上手くなくても音だけ外さなければ大丈夫。コツコツ練習でどうにかなる、なる」

「は、はいっ。がんばりますっ」

「うーん、まずは発声練習からかしらねー。耳が悪いわけじゃないし、腹筋はちゃんとあるから、声の出し方よね。自信をもって、大きく口を開ける、腹から出す、のどを開く! セリフを言うんじゃないのよ、歌うの」

「よくわからないです……」


 マリーは、この城に来たばかりのように俯いて、小さくなっていく。


 芸術は、貴族の基本的な教養だ。読み書き計算と同様、貴族の学校や家庭教師から、絵画や演奏、詩を習うものである。

 しかしマリーは、両親からそういった教育を受けさせてもらえなかった。お抱えの音楽家がいたとは思えないし、王都の演奏会にも、一度も行ったことがないだろう。

 せいぜい安物のピアノを姉妹で鳴らし、わらべ歌、村の祭り囃子を楽しんだくらいだろうか。


「わたし、今まで歌をうたったことが一度もなくて……人前で、大きな声を出してはいけないと言われていましたし、母から子守歌を聴いたこともありません」


 ……次元が違った。


 これには、リュー・リューも笑うしかない。


「音楽、という文化が、マリーさんの中に無いのね。こりゃ大変だわ。あたしは歩けるより早く踊っていたような子だったからねえ、正直そのレベルの子にどう教えていけばいいやら」


 ごめんなさい、とまた肩を落とすマリー。

 ……ふむ……。


 俺はふと思いつき、本を置くと、サロンから出て行った。たくさんの人間が集まる場所だから、掃除道具置き場はすぐそばにある。なるべく綺麗なバケツを持ちだし、マリーの前に差し出した。


「なんですか、それ」

「これを、逆さにしてかぶってみろ。帽子みたいにじゃなく、アゴまですっぽり収まるように」

「えっ、バケツを? ……は、はい」


 戸惑いながらも素直に受け取り、恐る恐る……肩から上がバケツの状態になるマリー。

 そして、ホウと息を吐いた。


「なんだか落ち着く。懐かしい気持ちです」

「いやそういう意図で被らせたわけじゃないんだが」


 俺は咳払いして、いったんバケツを持ち上げてやった。


「これを被ったまま、歌ってみろ。自分の声がよく聞こえて、音程を取りやすくなる。マリーの場合、顔や口元が隠れていた方が思い切って歌えるようだしな」

「あっ、なるほど、確かに。……あー、あー、あー。わぁすごい、声がよく響いてます!」


 口元でバケツを上げ下げしながら、マリーは嬉しそうな声を上げた。

 さらにリュー・リューはピアノを鳴らすと、「ちゃんと聴こえる!」と歓声を上げる。リュー・リューも笑った。


「じゃあそれで行ってみましょうか。さっきと同じく、音を繰り返してね。ドー、レー、ミー」

「ドォー、レーェ、ミーィ……」

「あっイイカンジイイカンジ。大丈夫よ音程合ってるから、怖がらずに大きく歌って!」

「はいっ!」


 俺は再び壁にもたれ、目を細めた。


 うん、リュー・リューの言葉はお世辞ではなく、本当に音程が合ってきている。有効だったようだな。

 良かった。王侯貴族用学園、持久走で情けない声を上げたらこれで己の弱さと向き合えという洗礼が、こんなところで役に立つとは。

 マリーの声が少しずつ明るくなっていく。笑顔が見えないのが残念だが……バケツヘッドのマリーも、これはこれで、可愛く見えてきた。



「うん、基本の音は取れたわね。じゃあ一回バケツ取って、曲に歌詞を乗せてみましょうか」

「あ――。聖なるかーみの、御(み)ぃ前に誓わん――」

「……。もう一回被って、歌ってみましょー」



 たぶん今、この空間で、俺が一番楽しんでいる。


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