おまけの番外編② ミオの真実 前編
それは、まさしく青天の霹靂だった。
夏のよく晴れた早朝。何の前触れもなく唐突に、事件はわたしの部屋へと飛び込んできた。
「た、たたたた大変です!」
大騒ぎしているのは門番のトマス。どうしたの、とわたしが尋ねるより早く、トマスは後ろ向きにひっくり返った。扉のそばに居たミオが、足を引っかけて倒したのだ。
「……何事ですか、トマス。ノックも無しに飛び込んでくるなんて。もしもマリー様がお着替え中などであればどうします」
「ふ、ふぁい、すいません……」
「次やったら首を飛ばしますよ。物理的に」
「だ、大丈夫よミオ。それよりトマス、そんなに慌てて何があったの?」
わたしが声をかけると、トマスは仰向けになったまま呻いた。
「本当に、大変なことが起きたんです。す、すごいひとが今、門のところに……」
……とても嫌な予感。わたしが震え上がっていると、トマスは、ミオのほうを見つめた。ミオは眉をひそめる。
「私の客ですか?」
コクコク頷くトマス。
「そうです、大変です。大変なんです! ミオ様の、実の親が名乗り出て来られましたっ!」
「えっ――!?」
トマスの言葉に、叫んだのはわたしだけだった。ミオはほんのわずかに眉を上げただけ。
「何も大変なことはありませんね。トマス、もういいから出て行ってください。これからマリー様は読書をされるところでしたので」
「ええっ!?」
今度はわたしとトマスが一緒に叫ぶ。本当に何も気にしていない様子で、ティーセットを片付け始めるミオ。わたしは慌てて彼女を止めた。
「わたしの読書なんてどうでもいいわ。それよりミオ、あなたの家族が見つかったんでしょう? これが大変じゃなくてなんだというの」
しかし、ミオは首を振る。いつも通りの無表情で。
「よくいるのですよ。こうして私の身内を騙ってくる輩は」
「……騙り?」
トマスも首をかしげ、ミオを見つめる。
「はい。ご存じの通り、私は物心つくより前に、旅芸人であったリュー・リュー夫人に拾われました。その後、夫人や公爵のご厚意により公爵邸に居住。さらには令息の侍女となり、グラナド城の侍従頭までも務めさせていただいております」
それはキュロス様たちの厚意ではなく、ミオの実力だと思うけど……今は口を挟むまい。彼女はやはり表情を変えずに、淡々と続ける。
「それは公然の事実として知られています。さらに尾ひれ脚色もついて、広く語られていたりもするようです。名字もない捨て子が、美しい旅芸人に拾われて、城勤めにまで成り上がる――部外者にはちょっとした戯曲(ドラマ)のように映るのでしょう。良くも悪くも。
……そうすると、そのオコボレに預かろうという者が出てくるのです。ボクワタシがお前の親だよ会いたかった、ついてはちょっとばかり公爵や城主、グラナド商会の旦那様に口利きを……と」
な、なるほど。
確かに、身元不明ならその親や親戚だと名乗ったもの勝ち。あるいはお前の親に金を貸していたとか、婚約者だったとか。
――なんて、残酷な詐欺!
わたしは激しく憤った。よくあることというのが、どれほどの頻度なのか……そして初めての時に、ミオはどう感じたのかは分からない。けど、ミオはとっくに乗り越えて消化済みなのね。ショックを受けるわたしをむしろ慰めるように微笑んで、本当にどうということもない所作で、トマスを追い出そうとした。
しかし、トマスは退かない。
「いえ、今回のは騙りじゃないんです。だって来られたのはとんでもない大物で、すごいひとなんですよ!」
「ちょっとした富豪や食い詰めた貴族くらいなら、これまで二度ほど来ましたが」
「違うんですって! と、とにかく来てください。会えば分かりますからっ!」
トマスはミオの手を取り、強引に連れ出した。反抗するのも面倒になったのか、嘆息しているミオ。わたしも気になって、二人のあとをついていく。
だって……今まで何度も騙りがやってきたとしても、今度のひとも絶対嘘だって確証はないのだし。
もし本当だったら……もしかしたら、ミオはこの城を辞めて…………。
「関係ありませんよ。仮に、実の親だったとしても」
わたしの思考など何もかも見透かしたらしい、ミオは言い切った。隣を歩くわたしに、優しく語る。
「私は保護をされるような年齢ではなく、今の生活に不満もありません。旦那様からそう言いつかるまで、この城での暮らしや仕事を辞めることはありませんので」
「でも……実の親が、会いたいと言っているのだから、会えたら良いことだし……」
「あちらはそうかもしれませんが、私は何とも思いませんね。
――路傍に生み捨てた事情がどうであれ。拾い、育ててくれたのはリュー・リュー夫人です。私の家族は公爵家と、この城にいるひとたちですよ」
その声に、わたしはハッとした。……もしかしてわたし、ずっと誤解をしていた? ミオの主人……この優秀な侍女が本当に忠誠を誓い尽くしているのは、キュロス様ではなくて――。
「……マリー様には、お話しておいたほうがいいのかもしれませんね。私がなぜ、グラナド家に心身を捧げているのか。そしてこの城で私が担っている、本当の役割を――」
グラナド城は広くて大きい。客の待つ正門まで歩き進みながら、ミオは淡々と話し出す。
口調こそ普段の彼女と何も変わらなかったけど、あかされた真実はとても意外で、知らなかったことばっかりで……まさに、青天の霹靂といった話だった。
◇◆◇◆◇
――私が、街道沿いの宿屋で旅芸人一座に拾われたのは、物心つくよりもずっと前。私はやっと、乳以外のものを食べることができる程度の赤子でした。
王都へ興行にいく途中であった旅団は、旅の垢を落とすために宿泊。二十人の老若男女からなる大所帯ですから、小さな宿は満室に。そこでリュー・リュー様は、見知らぬ異国の女と相部屋になったのだそうです。
翌朝、リュー・リュー様が目を覚ましたときには女はおらず、赤子だけがベッドに残されていました。
『ミオという名です。どうかよろしくお願いします』という、置き手紙一枚とともに。
……リュー・リュー様はその子を保護し、一座へ迎えることを座長に粘り強く交渉しました。
「だって可哀想だよ! 宿屋の主人の目を見ただろう? あたしたちが見捨てたら人買いに売られちまう。買われた先でこの子がどんな生き方をすると思うのさ!」
「しかしリューよ、うちで芸を仕込むにしても幼すぎるぜ。金と世話がかかるばかりじゃねえか」
「あたしが育てるよ。この子の飯代もあたしが稼ぐ、それでいいだろ」
「そりゃあ……だが芸事と子育ての両立なんて続くもんか? だいたいお前だってまだ十五の小娘で……」
「だったら座長も手伝いなっ! ほら、ミオのおしめが濡れてるよ。あたしが換えるから座長はお湯と新しい布、それからパン粥を炊いとくれ」
「ええっ?」
――この時の様子は、のちに座長から笑い話として、何度も聞かされたものです。
その二年後、ディルツ王宮の式典に一座が呼ばれ、リュー・リュー様は看板芸人として踊りを披露。来賓のアルフレッド・グラナド公爵は、一目で彼女に心を奪われたそうです。
自分には妻があるが、もとより政略結婚で互いに愛など無い。側妻として邸宅に来てくれたら、何不自由ない暮らしを約束する――
そんな条件よりも、リュー・リュー様自身、精悍なアルフレッド公爵に惹かれていたのでしょう。拒絶はせず、しかし頷くこともせず返事をはぐらかし続けました。焦れた公爵が、とうとう問い詰めたとき。
リュー・リュー様は、答えたのです。
「あたしには、子どもが居るんだよ。あたし以外に頼れるひとのいない、小さな女の子がさ。それなのに、男女色恋の惚れた腫れたで放り出すわけにいかないだろう?」
公爵は最初は驚きましたが、実子ではない、縁もゆかりもない拾い子と聞きますます困惑しました。
「旅の一座にはたくさんの大人がいる。君が抜けても誰かが面倒を見るだろうし、私も十分以上の援助をする。なんならその子ごとうちにくればいい」
それほどまで言われても、リュー・リュー様は首を振りました。
「……ミオの人生は、ミオのもんだ。あたしが母親でいいのか、公爵様が父親になってもいいのか……旅芸人に残るか、どこかの町で一人で生きるのか。ミオが自分で選べるようになるまで――せめて、自分の気持ちを言えるまで――あたしはミオにたくさんの選択肢を用意して、自分の可能性を教えないと。
それが、子どもを育てるっていうことでしょう?」
その言葉に、公爵様はますます、リュー・リュー様に心酔なさいました。
「必ず二人ともを幸せにする。そしてその子が成長した時、あらゆる選択を援助しよう。どうか私を信じてほしい」
踊り子の少女に、公爵は頭を下げて懇願したそうです。それでも渋るリュー・リュー様……頑固な二人の攻防は、何十日にも渡って続きました。
やがて、一座が王都を出立するという日になり……リュー・リュー様は、私とともに公爵邸に残ることを選びました。
どんな口説き文句で、彼女にそう決断させたのかは、誰も教えてくれませんでしたが……。
「ミオのために、自分を売ったってわけじゃないからね」
成長した私に、彼女は笑ってそう話しました。それが嘘ではないことは分かりましたが、全くのゼロではなかったのではとも思います。
そのときも、疑惑が顔に出ていたのでしょう。リュー・リュー様は私の髪をクシャクシャになるまで撫で回し、苦笑いをして言いました。
「ミオ、どうもあんたは、気を遣いすぎる性分みたいだね。大雑把なあたしに育てられたくせに……。それがあんたの良いところなのかもしれないけどさ。出来ればもっと馬鹿みたいに、大人に甘えてほしいんだよ」
この頃から、あまり表情の変わらない子だと言われてきました。それこそ生まれついての性分なのでしょう。
しかし、決して感情が無かったわけではありません。
クシャクシャになった私の髪に櫛を入れ、整えてくれるリュー・リュー様。
「うん……やっと髪が伸びて、二つ結びも出来る年になったのね。可愛いよ、ミオ」
顔を左右に振り、ぶらさがるおさげ髪を揺らしてみる。鏡が無かったので、それがどんな髪型で、自分に似合っているのかは分かりませんでした。
それでもなんだかくすぐったくて、声を立てて笑ったことを、ぼんやりと記憶しているのです。
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