キュロス様のお誕生日(後編)
そんな彼女を、俺は抱きしめてキスをしようと手を伸ばし――スカッと空振り。距離を取った彼女は、とても元気になっていた。
「良かった。でもまだコレで終わりじゃないのです。ここに来て四ヶ月、いや初めて出会ってからの半年ぶんたまっているのですから」
「へ?」
目を点にする俺の前で、彼女は何やらメモを広げた。
「ええと次は――キュロス様そのままそこに立っててくださいね。そう……行きますよ。『すみません、そこの、男の人。道が分からなくなってしまいました、案内してください、ありがとう』」
「……んん? それは何だ?」
「シャデランの屋敷で、初めて声をかけてくださったときの言葉です」
「ああ、あの夜……それの何が嬉しい言葉なんだ?」
「はい! わたし、この背丈なので暗がりでは男性と間違われることが多くて。お嬢さんって、女と分かってもらえたので!」
俺はその場でコケそうになった。俺の動揺を知ってか知らずか、マリーはウキウキと、ピクニック計画を話す子供のように身を揺さぶっている。
「案内を頼まれたのも、ホッとしました。わたしはあの夜、誕生日なのに相手にされず、サロンを抜け出しても引き止められなかったの。自分は何の役にも立てない――って落ち込んでいたから、ゲストをご案内できて良かったーって」
「あ、ああ……そうか……」
「それから、これはミオのセリフですが……『グラナド家の姉弟は四人、前妻の娘が三人と、イプサンドロスの後妻との息子が一人。あなたは一人息子のキュロス様ですね』! これも嬉しかったわ。もしかしたらわたし、本当にもらわれっ子で、シャデラン家の公式家系に載ってないんじゃないかと不安でした」
「……なるほど」
「はい。存在を認識していただき、ありがとうございます。では次――」
待て、まさかこのレベルのことが、このペースで続くのか!?
ちょっとした脅威を感じてのけぞる俺。マリーは引き続き、俺と出会ってからの「嬉しかったこと」を再現していった。
イプス語での談笑、使用人と間違えたことを謝罪してくれたこと、泣いて逃げ出した自分を引き止めてくれたこと、色々と誤解はあった熱烈な求婚願(ラブレター)や財宝も。
姉の死を嘆き、無礼な父親を拒絶してくれたこと。豪華な客室で歓待してくれたこと、美味しいお茶、お菓子、お風呂にドレスに硝子の靴――
延々と続くマリーの嬉しかった報告劇場を、ベッドに腰掛け、観覧する俺。もともと他人の言動を置き換えているだけあって、普段マリーがしない動作が見れて、とても楽しい。
祝福の鐘や花火の音真似まで始めたのは驚いたが。
俺自身が記憶もしていない、日常のことまで、微に入り細に入り再現してくれるマリー。よく覚えているなと聞いてみると、印象に残ったことだけですよと返ってくる。マリーが聡明で、記憶力に優れているのは知っていたが……たった数ヶ月で、これだけの思い出を胸に刻み込んでいては、そのうち溢れて零れるのではないだろうか。
俺の左手を取り、薬指を撫でるマリー。そこにはまだ何も無い。マリーに贈ったレッドダイヤモンドは婚約指輪で、結婚式で使うペアのリングはまだ製造中だ。
裸の指に、自身の指を滑らせて、輪を填める真似をする。これは結婚式の予行演習ではなく、俺が以前、マリーに填めてやったときの再現だ。
「……キュロス様はお洒落だから、男性用の指輪くらい、何度も着けたことがありますよね」
「ああ。でも、その指にはまだ一度もない」
心なしか、マリーの口元がわずかに震えた。目を伏せて、ほうと息を吐く。
「……良かった。誰にも奪われなくて」
そのセリフは、あのときの俺の真似だろうか。それとも、今この瞬間のマリーの本心だろうか。
マリーは多くを語りはせず、俺の手を取り、その場に立たせる。
「婚約式でのダンス、楽しかったですね。また、機会があれば踊りましょう」
俺は答えた。
「機会なんかなくても、いつでも。今すぐに、ここででも」
彼女の肩を抱き、ワルツのステップを踏み出す。彼女も笑って身を任せる。仕事用の書斎兼仮眠室であるこの部屋は、決して広くない。俺たちは小さなスペースで、ただ体を揺さぶるようなワルツを踊った。
踊りながら、歌うように、マリーは言う。
「わたしの手を取ってくれて、ありがとう。嬉しかったわ」
「どういたしまして。こちらこそ」
「あなたが大きなひとで良かった。わたしが小さな、可愛らしい女の子みたいになれるもの」
「君がまた成長して、俺より大きくなったとしても、マリーは可愛い女の子だよ」
「……あなたがわたしより小さくて、弱い少年だったとしても、わたしはあなたを好きになった」
「あんな形で出会ってしまったのに、夫婦になれたんだ。これから何が起きたって、俺たちは変わることなく愛し合い続けることができるだろう」
ふふっ、とマリーは声を立てて笑った。
「やめて、もう。プレゼントが終わらなくなっちゃう」
「やめない」
俺は足を止めた。彼女の腰を抱き寄せ、のけぞらせる。睫毛が触れるほど至近距離で見つめ合い、もう何度目になるか分からぬ言葉を伝えようとした。
だがそれより早く、マリーが指を立て、俺の口を塞ぐ。
「だめ。今日は、わたしが言うの」
拗ねたように尖らせた唇から、低く、甘い声が囁かれた。
「わたしの大事な、可愛いひと。愛してるわ」
俺も同じことを言い、言葉と意思と、二つの唇を重ねた。
【 おまけ 】
「本当に、ありがとうマリー。最高の誕生日プレゼントだよ」
「喜んでもらえたなら、良かったです。……けど、実はもう一つその、贈り物みたいなものも用意がありまして……」
「ん? なんだろう、手ぶらのようだけど」
「は、はい。えーと、何と申しましょうか。その……あのですね。……一応、チュニカの案も採用してみたわけですが……。ええとその。
…………今、要ります?」
「おそようございます旦那様。もう夕方ですが、ご昼食はお召し上がりに?」
「……ああ、じゃあ、軽い物を。……あとマリーの分も包んでくれ。今は寝てるけど、起きたらお腹がすいてると思うから……」
「承知いたしました。……ところで、遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。四捨五入すると三十路になるお年になられましたが、ご心境はいかがですか」
「明日にでもまた、二十六歳の誕生日が来て欲しい」
「そう生き急ぎなさらず。人生ごゆっくり、お茶でもどうぞ」
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