キュロス様のお誕生日(中編)
自分が、二十五歳になったのだと気が付いたのは、当日の朝。書類に日付を入れた時だった。
「ああ……今日は誕生日だったか。一年は早いものだな」
思わず独りごちる。なんだか年々、時間が経つのが早くなったように感じる。あっという間の一年間――だが、これまでになく、濃密な四ヶ月間。
マリーと共にある日々は、一瞬一瞬がすべて輝き、俺の記憶に刻まれている。まだ想いが通じ合う前、初めて出会った瞬間からだ。あの日――マリー・シャデランの十八歳の誕生日……政略結婚の相手を、半ばやさぐれた気持ちで物色に行った夜。
俺は、正しい名も分からぬ少女に恋をした。ボサボサの赤毛に薄汚れた肌をした、長身の女。今となっては信じられないほど、悲しい顔をしていた。その表情が少しずつほぐれると、彼女は絶世の美女へと変貌した。
それはもちろん、彼女自身がもともと持っていた美貌だ。驚くほど知的で好奇心旺盛なのも、明るく人なつっこい素朴さも、見蕩れるほどに気丈で、凜とした強さも。
俺や使用人たちは、それを引き出したにすぎない。彼女の魅力は、彼女自身の強さによって開花した。その手助けとして、雫一滴ぶん、役に立てたことが誇らしい。
――素敵なブローチ! キュロス様、ありがとうございます――
幸福そうに笑うマリー……自分の誕生日なのに、思いを馳せるのはマリーのことばかりだった。目を伏せて、ハァ……と嘆息。ぼそりと独り、呟く。
「しあわせ……」
コツコツ、扉がノックされる音。少し遅れて、「キュロス様」と涼やかな声がする。俺はすぐ扉へ駆けつけた。開いた先に、期待通りの少女がいる。
「おはようございます、キュロス様。朝早く押しかけてすみません」
「何も、すまないことはない。おはようマリー」
少し緊張したような面持ちだった彼女、俺がそう言うと安心したように、細い眉をふにゃっと垂らした。この表情の変化がたまらない。
女性としてはかなり長身のマリーだが、それ以上に俺が無闇に大きいので、頭半分見下ろす形になる。丸みのある額に、切れ長気味の双眸は年齢(とし)より大人びて見えるが、上目遣いに見上げる瞳は子供のように無垢で透明で――。
ああもう、毎朝毎朝……呆れるほど可愛い。
「きゃっ」
と、小さな悲鳴でふと気が付くと、腕の中にマリーがいた。いかん、また無意識に抱きしめてしまったらしい。俺はいつか何かの罪で逮捕されるんじゃないだろうか。
とりあえず謝罪して、俺はマリーを解放した。
「マリーが、朝からここを訪ねてくるのは珍しいな。何か用事か?」
「あっ、あの……今日、お誕生日ですよね? 二十五歳の……」
「ああ、そうらしい。俺もさっき気が付いたよ」
「おめでとうございます。それでわたし、何か贈り物をしようと思ったのだけど、時間が足りなくて――」
言葉を濁す彼女に、俺は首を振った。気を遣うな、祝いの言葉だけで十分以上だと伝える。しかし彼女は、その場を去らなかった。赤面して、もじもじと体を揺さぶりながらも、それほど恐縮しているようでもない。
「すみません……。えっと。ミオやチュニカも、そう言ってくれたのだけど、でも、やっぱり今までキュロス様には色んな物を頂いてて……どうしてもわたし、何かお返しがしたくて……」
「いいって。俺の贈り物で、君が喜んでくれたなら何よりだ」
「は、はい。それで……だからわたし。自分が嬉しかったことで、そのまま出来ることを、お返ししようかと……」
「うん? どういうことだ?」
「あの――失礼しますっ」
なぜか全身を真っ赤にしながら、両手を伸ばすマリー。立ったまま背伸びをして、俺の髪に指を入れた。……なんだ? 髪を結んでくれるのだろうか。
俺は普段、自分ひとりで朝の支度をする。ウォルフやミオに髪を結んでもらうなど、よほど難しい礼装の時くらいだが。
しかしマリーはいつまでも結びはせず、ただ俺の髪を弄んでいるだけ。なんの儀式だろうかと首を傾げた瞬間、彼女は、低い声で呟いた。
「……キュロス。綺麗だ……」
…………。
「は?」
本気で困惑しながら見下ろすと、彼女は手を抜き、真っ赤になって俯いた。そのまま小刻みに震えている。ええと?
「マリー、何だ今の」
「あっ、違うんです! 決してキュロス様の声に似せようとしたわけではなくてっ。ただ話し方をなぞるとつい男言葉になってしまっただけで口調には何の意味はないんです!」
「え、今のは俺の真似だったのか。確かに、そういうことはよく言うけどなぜ今」
「すいませんすいませんすいません」
深々と頭を下げたまま、器用に後退していくマリーを捕まえて、その意図を追及する。
「わたし、キュロス様のお誕生日に、何か喜んでもらえるようなものを差し上げたかったんです。今までキュロス様に本当に色んな物を頂いていてたから……。高価な物や貴重な物だけじゃなく、していただいたことやかけてくださった言葉も、嬉しかったことがたくさんあって。
考えてみれば、それのお返しは何も出来ていないし、お礼すら言えてなかったの。だから本当にそのお返しで、自分が嬉しかったことをそのままキュロス様にしてみたらどうかなと」
「じゃあさっきのは――俺が君を、綺麗だと褒めたのを再現したのか」
「わ、わたしをというか、髪をですね」
彼女は自分の赤毛を一房摘まんだ。
「ずっと、この髪はコンプレックスでした。ずたぼろで毛玉だらけになる前から、不吉だと貶められるばかりで。……だけどキュロス様は、そんな髪を撫でて、綺麗だと、褒めてくださいました。なかなか素直に受け入れられなくて、お礼を言う機会がないまま、だったけど……。
本当は、とても、嬉しかったのです。だから……」
そこで、マリーは今更のようにハッと息を呑んだ。
「ご、ごめんなさい、キュロス様はわたしと違って、誰が見てもお美しくて、コンプレックスなんてないですよね。すみません、頓珍漢なことをしてしまって!」
「いや……そうでもない。俺も、同じような経験がある」
嘘ではなかった。そういえば、あまりマリーには言っていなかった気がする。美醜とは違うが、俺もまた自分の髪や肌、目の色を、蛮族の血だと侮辱されて育った。俺は卑屈にはならなかったし、母からの遺伝を誇らしく思っていた反面、やはり良い気持ちはしなかった。
マリーが俺を蔑むことなく、まっすぐに視線を合わせてくれたことが、嬉しかった。
そしてまた改めて、綺麗だと褒められれば嬉しい。それに何より、マリーが、俺の言葉で喜んでいたと知れたことが、とても嬉しい。
俺が褒めると、マリーはたいてい赤面したり全身をこわばらせたり、お世辞や冗談と聞き流す。心地悪い思いをさせているのかと、自制したこともあったが……
良かった。ちゃんと届いて、喜ばれていたんだな……。
俺はホウと息を吐き、微笑んだ。
「素晴らしいプレゼントを、ありがとう。本当に嬉しいよ」
マリーは眉を垂らし、照れくさそうに笑った。
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