喜んでしまいそうです

 わたしの一日は、カーテン越しに差し込む朝日とともに始まる。

 まだ頭も体もぼんやりしているうちに、己を鼓舞して起き上がって、カーテンを開く。夏を間近に控えた王国は、この時刻でもうすっかり明るくなっていた。せっかくだから窓を全開にし頭を出して、深呼吸。朝の空気を思いっきり吸い込んで、わたしは覚醒した。

 見渡す限り、グラナド城の敷地。真下には花が咲き誇る園庭が広がっており、顔を上げると、どこまでも青空が広がっている。


「んーっ、今日もすっごく良い天気!」


 大きな独り言をいったところで、扉がノックされた。


「おはようございます、奥様。もうお目覚めでいらっしゃいますか?」


 扉越しの声は、ミオのものではない。とても心地が良く穏やかな、男性の声だ。

 ああ、今日は『執事』の番なのね。性別が違うぶん、彼は侍女よりも遠慮がちなのだ。わたしは扉を開け、出迎える。


「おはようウォルフガング。もう起きてるわ。今日はわたしの勝ちね」

「ほほっ。負けてしまいましたな」


 にっこり笑う、老紳士。見た目も言動もスマートな執事は、「僕は夜明け前に起きて待機しておりました」なんて言わない。いつもこうして、わたしの子供っぽい遊びを穏やかに許してくれるの。


「しかし奥様、髪がたいへん、面白おかしいことになっておいでです。また窓から頭を出しましたね?」

「あっ、バレた」

「転落防止柵があるので危なくはございませんが、そんなに面白おかしいと、僕は吹き出してしまいます。僕を迎える前に、手櫛で整えておいてくださいませ」


 ――と、叱ることも忘れないのだけど。


「はぁーい」


 わたしが頷くと、彼の足下からタタタッと小気味の良い足音を立て、少女が飛び込んできた。ウォルフガングが止めるより早く、わたしの足に抱きついてくる。


「マリー! おはようっ!」


 おっと危ない、幼児といえどこの勢いで抱きつかれたら倒れそうになる。わたしはすんでで踏ん張って、体勢を直し、


「おはようツェツィーリエ。今日は早起きね」

「うん! 見てマリー、あたしチュニカに髪をお団子にしてもらったの。可愛い? 可愛い?」


 言われて見ると、白銀髪(プラチナブロンド)のちっちゃなコブ……もといお団子髪が、左右対称にちょこんと二つ。ピンクのリボンも結んであった。あらあらまあまあ、これはこれは。


「すっごく可愛いわ! こんなに可愛いお団子見たことない。こんなに可愛いお団子が、こんなに似合う子も初めて見た!」


 わたしが絶賛すると、ツェツィーリエはニヤァーッと、チェシャ猫みたいな笑顔になった。


「でしょー? マリーもお団子つくろ。おそろい、おそろい」


 うわああん可愛い。たまらなくなって、わたしはツェツィーリエを抱きしめた。半分ほどしか背のない少女は、満面の笑みで大騒ぎ。

 ウォルフガングが眉を垂らして身を屈めた。


「これ、ツェリ。奥様に甘えるのはいいが、そんなに暴れちゃ奥様が痛いだろう。それと、言葉使いも何度言ったら」

「平気よウォルフガング。わたし、楽しんでるから」


 わたしが許すと、ウォルフガングはますます困った顔をした。ふふふ、ウォルフガングにとっても可愛い孫だろうけど、わたしからしたら弟と同い年の女の子、妹のようなんだもの。それもこんなに懐かれたら、もう本当に、可愛くって仕方ない。


 ウォルフガングは、このグラナド城使用人で最年長の執事だ。やはりキュロス様が幼いころから、父のように祖父のように、そして番犬のように仕えてきたという。キュロス様に就く侍従頭はミオだけど、どうしても女性が入れない場所や、多忙の時は彼が就く。

 代わりに、どうしても男性執事が出来ない仕事――わたしの着替えなどは、グラナド城使用人最年少、侍女見習いの孫娘がお手伝い。


 わたしとの初顔合わせのとき、最初はガチガチに緊張していたツェツィーリエだけど、人見知りのわたしが幼児以上に緊張しているのを見て、打ち解けてしまったみたい。すぐにマリー、マリーと懐いてくれた。

 するとわたしも、すぐにツェツィーリエが大好きになった。一緒に遊んでる時、なんだか精神年齢が移ってしまうようで、祖父の老執事にはわたしまでついつい甘えてしまうの。


 わたしの髪を、ちっちゃな手でブラッシングしながら、ツェリが頬を膨らませた。


「もーずぅっと、ミオさまが留守だったらいいなぁ。そしたらあたしが毎日、マリーの侍女なのに」

「あら、ミオがいたって、遊びに来(く)ればいいじゃない」

「やーだ。あたしあのひと怖い」

「どうして? ちょっと表情は少ないけど、優しいひとよ。あっでも上司だもんね。侍女の教育には厳しいのかしら」

「そういうことじゃなくてぇ……」


 ツェリの頬袋がますます膨らんだ。横で、朝食を並べているウォルフガングをちらっと見て、わたしの耳元に唇を寄せる。


「おじいちゃんには内緒ね。……あのひと、ハトを持ってるの」

「は、鳩? ミオが?」

「そう。あたしがお城で迷子になっちゃったときね。コレについていきなさいって、エプロンのポケットから、ハトを……」

「ええっ嘘、オモチャじゃないの? ……あっでもミオだからなあ」

「いくらなんでも、ちょっとおかしいと思うの。ふつうにかんがえて」

「うーん……でもミオだからなあ」


 そんな話をしているうちに、わたしの頭にも、赤いお団子が完成。左右でちょっと大きさや位置が違うけど、どうせあとからチュニカが直してくれるしね。

 ちょうど朝食の皿も並んだ。


 今日の朝食は、甘くないスコーンとヴィシソワーズ、大きなベーコンが一枚と、ホタテの殻を器に使ったミニグラタン。


「今日も美味しそう! いただきます」


 一口食べて、歓喜に震える。先に朝食を済ませた侍女見習いの、ヨダレでじゅるじゅるのお口にもお裾分けして、完食。


「ミオ様ほど上手ではございませんが、このウォルフガングも、お茶には少々こだわりがございます」


 そう言って注いでくれたのは、鮮やかな赤色のハーブティー。花のような香りで、甘酸っぱくて爽やかな味だ。


「これって何?」

「ハイビスカスとローズヒップのブレンドに、城で採れた新鮮なペパーミントを添えたものです」

「スッキリして、朝にぴったりね。美味しい!」

「恐れ入ります」


 深々と一礼する老執事の横で、まったく同じ姿勢を取った侍女見習いが、バランスを崩してコケていた。



 ――ミオは、なんだか最近、留守が多い。キュロス様がお仕事の日にも、用事があるからと城を出て行くのだ。ミオがいない日、わたしの世話をしてくれるのが彼ら二人。

 ウォルフガングもドレスを用立てたり、化粧を仕上げることは出来るそうだけど、わたしはあえて、自分でやらせてもらっていた。


「んー……むう。いけない、またはみ出ちゃった……」


 紅を塗るのも悪戦苦闘。見様見真似で、たぶんツェリに頼むよりも下手くそだ。それでもなんとか、その日のベストを尽くしてみる。

 時間をかけて、なんとか完成。続いて、ドレス選びにまた唸る。


「……今日はお団子で、ちょっと幼い感じだから……袖の丸い、裾のふんわりしたもの? うーんでもなぁ」


 暗中模索。クローゼットの前で右往左往、ああでもないこうでもないと体に当てる。

 その時間、わたしの前には大きな鏡。その鏡には、わたしの姿が映っている。


「マリー、まだぁー?」

「急かしちゃいけないよツェリ、奥様にとって、大事な時間だ」


 退屈し始めた孫を膝に乗せ、優しい執事は、ニコニコと見守ってくれている。

 お言葉に甘えて粘るわたし。


「――うん。やっぱり、コレがいちばん、わたしに似合う」


 そうして手に取ったのは、緑色のロングドレス。夏山に朝日が差したような、濃く鮮やかなエメラルド・グリーン。


「どうかしら?」


 体に当てて、二人を振り向く。


「マリー、かっわいい!」


 手を叩いて、ツェツィーリエ。ウォルフガングはやっぱり「ほほっ」と笑って、お綺麗ですと頷いた。


「今まで見た中で一番お似合いです。旦那様が帰ってこられたら、うっかり抱きしめてしまうでしょう」


 言われて、一瞬頭の中に浮かんでしまった。赤くなってしまった顔を両手で隠す。

 言葉が出なくなってしまう。


 ああ……わたし、どうしたんだろう。

 最近、こんなお世辞が……嬉しくて。

 ……本気にとってしまいそうなの。


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