わたしに何の御用ですか?
わたしは慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません! このたびは大変な失礼をいたしました。わたしからお伺いするべきところを、ご足労まで頂いて」
「構わん、ミオがここにいろと言ったんだろう」
「は、はい、でも……あの、父は?」
「帰ったよ。結納の品は返さなくても良い、アナスタジア嬢の墓前に捧げてくれと言ったら、すぐに」
さらりと、伯爵は言った。
……どうしよう。ありがとうございます、姉の霊も慰められるでしょう、と言えばいいのだろう。しかしそれは嘘だ。財宝はすでに売り払われて、シャデラン家のために使われてしまった。
わたしたちはそれを伯爵に詫びるべきだと思う。アナスタジアのためにも。
だけど伯爵のご傷心に塩を塗り込むのもどうか……。
――ん? お父様が帰った!?
わたしは慌てて飛び出そうとした。
伯爵が扉をふさぐ。
「追いかけなくていい。君には聞きたいことがある」
「な、何でしょう」
「マリー……君は家族に、虐待を受けていたのか?」
「えっ!?」
ぎょっとして、呼吸が止まる。
虐待……虐待?
お腹を殴られたような気分だった。強烈な言葉に、息が止まって、めまいがする。
虐待って……なに?
たしかに、わたしはあまり可愛がられてない子だと思う。
だけど本当に可愛くないのだから仕方ない。
父母がわたしに、よくよく自覚し謙虚であるようにと言い聞かせるのも、趣味を否定するも、わたしのため。わたしが可愛がってもらえるようにと、躾をしてくれていただけ……。
「そんなことはありません」
確信を込めて、わたしは答えた。
「父は思慮深い方です。幼いわたしでは理解が及ばぬことや、厳しく言いつけられたこともありますが、それは貴族の家の主として必要なのだと思います。グラナド伯爵には、どう見えているのか存じませんが――」
「キュロスだ」
「……え?」
唐突な単語に、口上が止まる。伯爵は先ほどと何も変わらない顔で、繰り返した。
「キュロスだ、俺の名前。伯爵様と称号で呼ばれるのは好きじゃない。俺もシャデラン男爵令嬢をマリーと呼んでいるのだから、ファーストネームで呼んで欲しい」
「……畏まりました、キュロス様」
言われた通りに従ったのに、なぜかキュロス様は眉を寄せた。
……なんだろう? 彼が不機嫌になる理由が分からない。噂通り、気難しい方だな……。
「あの、なぜそんなことをお聞きになったのですか?」
「ではあの日、あんな地味なドレスを着ていたのは何故だ」
質問したのに、質問を重ねられてしまった。そしてそれは何とも答えにくい問いかけで、わたしは言葉に詰まってしまった。
キュロス様は、いつまでも待ってはくれない。
「あれが君の趣味だと言うのか。シャデラン領の風習は知らないが、王都では普通、ああいった服は未亡人や修道女が着る。男を拒絶する色だ。君は尼僧になるのか?」
「……いえ……」
「じゃあ、ただの男嫌いか」
「…………いいえ……」
そんなことはない、と思う。
だけどピンと来ないのは事実だ。
男性と全く接点がない生活ではなかったけど、彼らはみんなアナスタジアに夢中だった。姉の圧倒的な輝きに、わたしは陰になる。
恋愛小説は好きだったし、異性に興味がないわけじゃない。だけど現実に期待はしていない。望んだことがないので、好きも嫌いも分からなかった。
「……では、望んで姉の引き立て役になったのか」
「…………」
「シャデラン家の暮らしに不満は?」
「………………」
「黙り込まれたらわからん」
……望んだ生活ではない。でも、そこから抜け出すことを期待してもいない。
なんて答えたらいいのか分からない。
嫌だ、もう。この時間がつらくて仕方ない。逃げたい。矢次早に問い立てられて声が出なかった。
ああ……泣いてしまいそう……。
「……わたしは……可愛くないので……」
搾りだした答えはこれしかなかった。
キュロス様は「そうか」と呟き、それで納得したらしい。しばらく黙り込んだ後、大きな声でミオを呼んだ。
「はい旦那様、なんでしょう」
「マリーを連れて行け」
ビクッ、わたしは一度身をこわばらせ、すぐに脱力した。……なにも驚くことはない。初めから、追い出されるのはわかっていたこと。
お父様、もう遠くへ行ってしまったかしら。馬車で四日の道を徒歩はつらい。合流できたら助かるのだけど。
ミオはにっこり、満面の笑みを浮かべると、主に深々と一礼した。
「畏まりました。チュニカはすでに待機させております」
「ああ、よろしく頼む」
「衣装は、『アナスタジア様』のために用立てたものはございますが?」
「捨てろ。改めてマリーを採寸しイチから仕立てるんだ」
「さすがに時間がかかりすぎてしまいます。既製品で、最高級のものを見繕います。丈直しならすぐに出来ます」
「では今日のところはそれで」
……ん? 何の話だろう。
「俺はリュー・リューを呼んでくる。俺たちを待たせて良い、今日出来るだけのことをすべてやれ。時間も金も惜しむな。徹底的に磨きあげるんだ」
さっぱりわからないわたしに、ミオが丁寧にお辞儀した。
「ではマリー様、参りましょうか」
「は、はい。あの、どこへ……」
「必要なものはこちらにすべてご用意してございます」
「必要なもの? 旅の荷物なら一応、わたしも持っていますけど」
聞き返しても答えてもらえず。わたしは部屋から引っ張り出された。
肩越しに振り向くと、キュロス様が仏頂面で、フリフリと手を振っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます