申し訳ないけどお菓子がおいしい

 わたしが通された客室は、素晴らしく豪奢なところだった。


「……父は、どこへ?」


 ソファに座ったまま、ミオを見上げる。

 先ほど、父を部屋から追い出し他の使用人に押しつけていた彼女は、あっけらかんと、


「旦那様と面談してます。旦那様から色々とお話がありましてね」

「あっ……あの、急に押しかけて、本当にごめんなさい」

「あなたは連れてこられただけでしょう?」

「いいえ同罪です。伯爵様にはお詫びの言葉もありません……」


 詫びたところで許されるとは思えないが、無一文のわたしには他に、賠償できるものがない。

 いっそ罰を与えて欲しい。

 そう願うわたしに、ミオはパチクリ、まばたきをした。


「……何の謝罪ですか?」

「何のって――礼を欠いたことへです。押しかけたことはもちろんですが、それはわざと困惑させ、城にわたしを押し込む浅薄な考えによるものでした。伯爵様のご傷心につけこみ、亡きアナスタジアをも侮辱する行為です。……そう、分かっていて、わたしは止めることが出来ませんでした。本当に、本当に申し訳ありませんでした」


 ミオの返事が無い。わたしは顔を上げた。

 ……あれ? ミオがいない。

 首を巡らせると、ミオは扉口のほうにいて、部屋にワゴンを引っ張り込んできたところだった。


「マリー様、お菓子食べます?」

「はっ?」

「面談は時間がかかると思います。済むまでお茶にしましょう」

「え? えっと――。……はい。ありがとうございます。頂きます……」


 わたしはミオが導いてくれるまま、テーブルへ着いた。お詫びの件に決着がついたとは思っていない。けれども、彼女の導きを振り払ってでも這い続けるのは、良い作法ではないだろう。きっと罰は彼女の主、伯爵様から与えられるだろうし。

 まずは、用意されたものをありがたく受け取る。それが客としてせめてもの礼儀だと思った。


 椅子に座る。ふわりと立ち上ってきた香りに、わたしは歓声を上げた。


「わあっいいにおい!」


 思わず大きな声を出してしまい、慌てて口をふさぐ。赤面して横目で見ると、ミオはなぜか微笑んでいた。

 ああ、恥ずかしい……。わたしの馬鹿。

 でも本当に美味しそうだ。焼きたてのクッキーから、バターのすばらしく良いにおいがする。二枚ずつ三種類。

 まずはひとつ、シンプルなものを頂いてみる。

 うわぁっ……美味しい!

 しっとりと柔らかくて、ミルキーな味わい。バターと穀物の香りが口の中に広がる。派手ではないけど、素材も調理もこだわり抜いたものだとわかる。

 もう一枚、今度は緑色のナッツが載ったやつ……これも美味しい! 甘いクッキーにほんの少し塩気のある燻製ナッツが癖になりそう。

 もう一枚、これはザクザク音がするほど歯ごたえがあって、しっかり甘い。これもものすごく美味しい。

 すごい、さすが伯爵家。おやつのクッキーからして違うのね。

 いけない、手が止まらない。そんなに食いしん坊ではないつもりだったのに、わたしったらあっという間に平らげてしまいそう。


「お口にあったようで、何よりです」


 ミオがお茶を淹れてくれる。


 茶葉が蒸れるのを待つ間、わたしはキョロキョロ、あたりを見回した。

 ……改めて見ると、ほんとうにすごい部屋……。

 白い壁に赤い絨毯、木製なのに顔が映るほど滑らかに磨かれたキャビネット。シャデラン家の主賓室よりはるかに広い。ソファも夢のような座り心地だし、文机や化粧台は白と金であつらえており、豪華絢爛、なおかつ品がよい。

 押しかけ男爵の部屋がこれなら、主賓室はどれほどのものなんだろう。主の私室などは想像もつかない。


 すごいなあ。本当に、世界が違うわ……。


 そんなことを考えている間に、紅茶が出された。わたしは作法に緊張しながら一口吸って、アッと声を上げた。


「これ、もしかしてイプサンドロスの?」

「正解です。よくご存じでしたね。市井には出回っていないと思いますが?」

「飲むのは初めて。でも本で読みました。東部共和国では薬とスパイスは近しいもので、イプサンドロスでは健康のため、お茶にしてよく飲むのだと。独特の香り……何が入っているのかしら……」

「ジンジャーとシナモンです。茶葉は王国のものですが相性が良いのでブレンドしています」

「……あっ、おいしい……イプサンドロスってすごいのね。こんなにおいしいお茶を作り出せるなんて」


 クフッ、と、おかしな音がした。なんだろうと振り向くと、ミオが肩を震わせている。なんだろう、わたし何か変なことを言っただろうか。


「ふふっ。マリー様は本当に勉強熱心で、それでいて、お可愛らしい方だなと」

「……かわいらしい……?」


 可愛らしい――それは、顔の形とは別のもの?

 だとしても一体、わたしのどこが可愛らしいというのだろう。

 十分なお詫びもできていないのに、厚かましくお茶を楽しんでしまっている。こんな恥ずかしい人間の、いったいどこが。

 そう自覚した途端、血の気が引いた。

 わたしは慌てて立ち上がると、扉のほど近くで背筋を伸ばした。もしここに伯爵様がこられたら、すぐに詫びられるよう立って待とう。

 姿勢を保って、緊張を切らさないようにしなくては。

 その肩を、トントン、と、ミオに叩かれた。


「マリー様。旦那様とお父様との面談は、まだ時間がかかると思いますよ」

「大丈夫です。わたし、何時間でも立っております」

「は? なぜ?」


 率直に聞かれてしまった。返事に困るわたしに、ミオはやはりあっけらかんとしていた。


「とはいえここで、お茶だけすすってても暇ですよね。どこかマリー様が楽しいところに……」


 ミオの言葉途中で、扉がノックされた。ミオが駆け寄り、開く。

 果たしてそこには長身の男、キュロス・グラナド伯爵が立っていた。

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