わたしが醜いことはわかっています

 そしてその日のうちに地獄の花嫁修業が始まった。アナスタジアは深呼吸も出来ないほどに忙しく、上級貴族の所作、言葉遣いと手紙の作法、歌とダンスと楽器を叩きこまれていた。

 万一ケガでもしてはいけないからと外出は厳禁、六歳の弟と会うのもダメ、日に焼けてはならぬといっては、ほんの少し、バルコニーに出ることすら禁じられていた。


 ある夜、わたしはアナスタジアの部屋に呼ばれた。わたしの部屋より三倍ほど大きく、調度品も豪華な部屋だ。大きな部屋の隅っこで、姉は一回り小さくなったようだった。


「……わたくし結婚するのね、顔も知らない人と。何も実感できないのに、話だけがどんどん進んで恐ろしいわ……」

「心配なさらないで。お相手の方はきっと――いえ、どんな方であってもお姉様ならきっと大事にしてもらえるでしょう」


 きっと良い方だ、という言葉は言えなかった。わたしもまた、キュロスという男を全く知らない。姉は再び震えた。


「……社交界で、噂程度に聞いたことはあったの。グラナド伯爵――たいそう気難しくて、女嫌いの変人と言われていたわ」

「女嫌い、ですか……」

「ええ。だから社交界にはめったに来ないし、どんな美姫がダンスに誘っても払いのけたのだと。鬼のように厳しく、伯爵家にはごくわずかな侍従しかいないって」


 わずかな侍従……それは、居心地が良さそうだな、とわたしは思った。貧乏貴族であるシャデラン家は、ふつうの貴族のようにアレコレしてくれる使用人がいない。まして『可愛くない子』のわたしは、靴下の繕いだって自分でしている。生まれてからずっとそうなので、悲しいよりも慣れが勝つ。伯爵家なら変わらぬ生活が出来るかもしれない。

 玉の輿よりも、そっちのほうが魅力的だな……ふとそんな夢想をしては、首を振る。嫁に行くのはアナスタジアだ。


「きっと妻にも厳しくあたるのでしょうね。はあ、わたくし務まる気がしないわ。お稽古だってつらいのに」

「大丈夫ですよ。少しくらい拙くても、お姉様なら笑って許してもらえますわ。嫁入りしてからでもゆっくり勉強をすれば……」

「わたくし勉強なんて大嫌いなの! そんなものより――そうだ、これを見てマリー!」


 姉はわたしの手を引いて、クローゼットの前へ連れて行った。わたしの部屋ほどもあるクローゼットには、色とりどりのドレスが並んでいる。その奥から、姉は木箱を引っ張り出した。中に入っていたのは、騎士の制服のような衣装の数々。


「な、なんですかこれ、まさかお姉様、男性の服!?」

「いいえ『女性用男装』よ。わたくしが作りましたの、ほらこれなんて、凜々しさの中に一条の華やかさがあって、素敵でしょう?」


 言いながら、わたしの身体に当ててくる。目を細め、姉はキャァと歓声を上げた。


「素敵! マリーは背が高いから似合うわね。素敵!」

「こ、これは一体?」

「ふふっ、無い物ねだりというものかしら。わたくしはね、まるで男の人のように格好良い女性、男装の麗人が好きで好きで好きでっ!」


 衣装を抱きしめ、天を仰ぐアナスタジア。

 わたしはちからの抜けた声で、呟いた。


「お姉様、こんな趣味があったんですね……」

「お父様やお母さまには内緒よ。前に見つかってすべて捨てられてしまったの。偏屈で気持ち悪い趣味はやめろって、退屈なレースや刺繍を渡されて。つまんないったらもう!」


 アナスタジアは笑っていた。あまりに楽しそうなので、ついわたしも、着てみましょうかと提案する。アナスタジアは大いに喜んで――そして、目を閉じた。


「結婚したら、もうこんな遊びもできなくなるのね。伯爵夫人になるのだもの」

「……お姉様」

「……わたくしね。もし、このシャデラン家がいよいよ立ちいかなくなって、わたくしも働かなくちゃいけなくなったら……王都で、お店を出したいと思っていたのよ」


 姉は、衣装を箱へと突っ込んだ。再びクローゼットの奥へと隠し、戸を閉めて、言った。


「ねえマリー。あなたはあなたの特技を活かして、好きな仕事をしてちょうだいね」



 可愛くて明るくて、誰からも愛されるお姉様。

 彼女はグラナド家につく前に亡くなってしまった。馬車が崖から落ちたのだという。

 わたしは悲しんだ。わたしもまた姉を愛していたから。

 ……だけどその後釜が、まさかわたしに回ってくるなんて。

 アナスタジアもまた、天国で驚いているだろうな。



「従順であれよ、マリー」


 鉄馬車の中で、お父様が何度も言い聞かせてくる。


「体を丸めて傅いて、背丈を縮めておけ。その不細工な顔はなるべく見つからないように」

「はい。そうします」

「学問は忘れなさい。女が数を数えるなど生意気だ」

「はい。そうします」

「何を言われても、よくわかりませんと答えるんだ。さすがよくご存じですねと手を叩いておけば、たいていの男は気を良くする。ああお前が傾倒していたあの、東の……蛮族の。悪趣味な勉強をしていたことは、決してひとに知られるなよ」

「はい、そうします」

「そして伯爵に離縁されたら、さっさと家へ戻ってこい。間違っても王都で仕事を探そうなどとするな。お前のような頭でっかちの醜女(ぶす)が、働けるところなどどこにもないのだから」

「はい、わかっています」

「私はお前のためを思って言っているのだぞ、マリー。お前のような出来損ないが、どうにか人並みの暮らしをできるように――」

「はい、わかっています。ありがとうございます」


 わたしは頷き、父に微笑んでみせた。父は眉を寄せ、はぁーっと深いため息をつく。


「……笑顔すらも可愛くないなマリー。本当に……死んだのがアナスタジアではなく、お前であれば良かったのに……」


 わたしは微笑みを崩さなかった。

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