良縁おめでとうございます、お姉様
市井(しせい)の学校は、本来貴族の子が通うものではない。まして女子は同性の家庭教師を雇うのが普通だ。うちはその金がなく、醜いわたしは社交界に出ることはない。貴族らしい教養よりも、読み書き計算が出来た方がまだ家の役に立つ……と、通わせてもらっていた。
それは、とても恥ずかしいことである。学校に通っていること、まして趣味の学問は誰にも話すなと厳しく言いつけられていた。
いけないことをした。今日は、アナスタジアのお披露目会……こんな恥ずかしい妹がいると知られたら、姉の評判が下がりかねない。
「――どうした、ご令嬢。続きを聞かせてくれ」
「……忘れてください、卿(サー)。失礼いたします」
「待て!」
腕を掴まれた。
大きな手だった。その手から、わたしは視線をあげていく。
そして卿の顔を見つめた。
驚くほど背が高い。男性並みのわたしよりも頭ひとつ、視線が上の方にあった。
さっきは異国の特徴にだけ気を取られたけど……改めて見ると、とても端整な顔立ちをしていた。鋭さすら感じる美貌に、目だけ甘く垂れていて、わたしをまっすぐに見つめている。
……素敵な人。
この人もアナスタジアに求婚に来たのか。こんな人にまで……姉はすごいな。本当にすごい。それに比べてわたしときたら。
そんなことはわかりきっていたし、自嘲はいつものことだった。なのになぜか今日に限って心臓が痛い。ギュッと締め付けられる痛みに喘ぎ、わたしの目から涙が落ちた。
男が息を呑む。
「……どうした、ご令嬢。その涙はなんの涙だ」
「なんでもありません……ごめんなさい……」
「なにか俺が失礼をしたか? 最初に使用人と間違えたことなら、何度でもお詫びしよう。俺の横っ面を叩け。あなたは怒るべきであり、泣くべきではない」
「卿は悪くありません。男爵令嬢が、こんなみすぼらしい姿でいるなんて思いませんよね。ましてこんなパーティーの日に」
「……。なぜあなたはそんな格好を? 娘のドレスひとつ仕立てられないほど、シャデランは困窮しているのか」
「わたしは可愛くないから。それだけです」
口に出すと、なんだか可笑しくなってきた。わたしは涙をぬぐい、淑女の笑みを貼り付けて見せた。
「本当にお気になさらないで。今夜、あなたとお話ができて楽しかったです」
一礼し、それで去ろうとしたところを、また腕を掴まれた。怖いほど大きな手と力で、男はわたしを引き寄せる。
息がかかるほどそばで、わたしの顔をじっと見つめて、
「君は、綺麗だ」
イプス語で短く、そう言った。
わたしは彼を突き飛ばした。距離を取り、早口でまくし立てる。
「今夜の主役はサロンにいるわ。どうぞ二人でごゆっくり、楽しんでいってくださいませ!」
走り去る後ろで一瞬、追いかけようと靴が鳴る音。わたしは構わず駆けた。屋敷に入ってすぐの扉に飛びついて、逃げ込む。わたしの私室――かつて使用人用に作られた部屋。狭く日当たりの悪い部屋にしゃがみこみ、声を殺して、わたしは泣いた。
猛烈に悲しかった。
そんな、最悪の誕生日から一か月ほど経った、ある日のこと。
フロアに入ると、家族が大騒ぎしていた。
「やった、やった! でかしたぞアナスタジア!」
父の隣で、母も似たようなことを言っている。真ん中のアナスタジアは困惑したようすで、書状を見つめていた。
「……でもわたくし、この方のことを覚えていないわ。きっと挨拶もなくお帰りになられたのでは……」
「いやいや、男女の色事は積み重ねた時間によるものではない。あちらがお前を一目見て気に入ったのだ。何もおかしくない、お前にはそれだけの魅力がある」
「……でも……」
そこで、父はわたしにやっと気が付いた。これまでになく上機嫌な様子で両手を広げる。
「マリー! アナスタジアの結婚が決まったぞ。これをみろ!」
突きつけられた羊皮紙に、シンプルな一文があった。
『シャデラン男爵家長女、アナスタジア様。美しき貴女をぜひグラナド家にお迎えしたい。一日でも早く、キュロス・グラナドの妻として』
「大物だ! 玉の輿だ! 駄目で元々と招待していたが、まさか本当に釣れるとは。大急ぎでアナスタジアに花嫁修業を仕込み、来月には王都へ送るぞ。マリー、親族や近隣貴族に通達(しらせ)を書け。相手はあのグラナド伯爵だとよくよく強調しておくんだ」
「……はい、わかりました」
姉の良縁が決まったことに驚きはない。両親は姉が社交界デビューした時から一番の相手を探していた。
それでいうと、伯爵は期待以上とは思えない。アナスタジアなら侯爵や異国の皇太子も狙えるといっていたのに、どうして機嫌がいいのだろう?
「グラナド伯はいずれ父親、公爵の後を継がれる方。それにたいそうな資産家でもある。小国の王よりもよほど堅実で、贅沢ができるぞ!」
「ほらマリーも、見てごらんこのドレスの山。……アナスタジアにはちょっとサイズが大きすぎたけども……なんて素敵な肌触り。こんなの見たことないわ……」
母の目もうっとりしている。
なるほど、道理であまたの貴族たちが競り負けたわけだ。
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