ずたぼろなので仕方ないのです

 二十歳、婚期であるアナスタジアのお披露目会……集団お見合いというべきか。

 シャデラン家の子供は姉とわたし、六歳になったばかりの弟の三人|姉妹弟(きょうだい)だ。どうにか貴族の体裁を保ってはいるけども、食い詰め寸前の貧乏男爵である。弟が跡を継ぐ前に、どうにか娘を資産家か大貴族に嫁がせ縁をつくり、立て直しておきたいところだろう。

 わたしの誕生日パーティーはただの名目(ダシ)。両親も来賓もみんな、初めからアナスタジアが目当てだったんだ。


 そっか。そうだったのか。

 そうだよね……。わかっていたこと。

 わたしはそっとパーティー会場を抜け出した。もちろん、誰も引き留めはしなかった。



「あーあ……」


 夜の庭園をブラブラ歩く。池のそばを通ったとき、ふと水面を覗き込んだ。月明かりの下、水鏡に映ったものに、ため息をつく。


 わたしの姿……男性並みの長身に細い顎、冷たくつり上がった目。いつ見ても愛嬌の無い顔立ちだ。両親の良いところ取りをしたのがアナスタジアで、悪いところ取りをしたのがわたしだった。

 そしてまばらに日焼けし乾いた肌、煤で染まった爪に、ボサボサの赤い髪。

 灰色のドレスを、ぎゅっと握る。

 どうしてわたしはこんなにも、醜く生まれてしまったんだろう。



「――すみません、そこの、可愛いお嬢さん」


「――っ!?」



 跳ねあがって振り向く。

 そこに男の人がいた。顔はよく見えない……不思議なシルエットの服を着ている。黙ったままのわたしに、話しかけながら歩み寄ってきた。


「シャデラン家にお仕えの方ですか? 失礼、私はマリー・シャデラン嬢のバースデーパーティに呼ばれて来た者ですが……」


 そこまで聞けば用件は分かる。街道側の門から入り生け垣の迷路に捕まって、屋敷の入り口が分からなくなってしまったのだろう。この家は広さだけはあるから。

 わたしは黙ったまま、後方を指さした。アーチの陰で見えないが、すぐそこに屋敷の壁があり、扉を通ればすぐにパーティー会場だ。来賓と両親、アナスタジアがそこにいる。


 導いてあげると、男はホッと安堵の声を漏らした。


「どうもありがとう、使用人のお嬢さん」

「……。……どういたしまして」


「旦那様、この方は使用人ではございませんよ」


 男の後ろから声がした。闇に紛れて、黒ずくめの女がいたのだ。彼の従者だろう。


「シャデラン家にこの年頃の侍女はいません。領地の管理も自分たちだけで執り行い、使用人は六十を超えた老女のみ。そして今日の来賓はみな男性であるはずです」

「そうなのか。ではこの女性は……」

「シャデランの子供は姉、妹、弟の三姉妹弟(さんきょうだい)。ご令嬢はお二人おられます。そのどちらかでしょう」

「ああ、なるほど。これはこれは、大変失礼しました。どうかお許しくださいお嬢様」


 男は慇懃に頭を下げた。結わえた黒髪がサラリと落ちて、鳥の尾のように垂れる。

 そして、顔を上げた。

 不思議な目をしていた。明るい緑色で、ほんのわずかな星明かりでも、まるで宝石のように煌めいていて……。

 わたしはアッと声を上げた。


「もしかして、イプサンドロス共和国の方(かた)ですか?」


 彼は目を見開いた。

 そうだ、やっぱり間違いないわ。絹のような黒髪、褐色の肌に、明るく輝く緑色の瞳。その特徴はわたしの知る限りかの国の民しかいない。

 彼は一度、侍女を振り向いて、「俺、うっかりイプス語が出てたか?」と尋ねた。侍女に否定され、再びわたしのほうを向き直る。


「ああ、混血児だ。俺の母がイプサンドロスからの流民だった。しかし東部の者かとは問われても、国名を当てられたのは初めてだな」


 その言葉は、イプサンドロスの公用語だった。この国の言葉と全く違う言語だが、わたしには聴きとれる。わたしも言語を切り替えた。


「ではその瞳は、お母さまからの贈り物なのね、卿(サー)?」

「おお、話すこともできるのか」

「少しだけね。聞いての通り、一般民衆語しか話せないの。貴族言葉、それに商人言葉もあるとは知っているのだけど」

「いや十分だ。商人たちは民衆語もわかるし、貴族言葉に実用性はない。それに君の言葉遣いはとてもきれいだよ」

「本当? よかった。嬉しい、初めてネイティブの人と会話ができた。嬉しいわ」

「俺も、母やあちらの商人以外と話すのは初めてだな。しかしどうして?」

「学校の自由研究で東部の文化を選んだの。……父に反対されて、独学なのだけど」

「ああ、確かに……この国の人たちは東部を未開の地と揶揄するからな……ましてこの光る目は、禍々しい、人を呪う眼差しだと」


 苦笑いする卿。わたしは首を振った。


「でもそれはただ知らないからってだけよ。呪いの眼だなんて、よほど前時代的な伝説だわ。東部は未開発なんかじゃない、歴史を重んじ自然と調和した文化があるもの。個性的で、魅力的。王都のものより発展している技法や技術がいっぱいあるのよ」

「おお……それを知っているとは……。俺の服はほとんど東部から取り寄せている。特に下着は絶対イプスシルク、これは譲れないね」

「あははっ、卿はお洒落なのね」


 思わず、笑い声が出た。卿も目を細める。彼の機嫌のいい様子が、わたしのお喋りを引き出していた。


「わたし、イプサンドロスの物語が大好きなの。『ずたぼろ赤猫ものがたり』は知ってる? 捨て猫だった『ずたぼろ』が、旅人に拾われて国中を旅するお話。色んなものを食べたり着たり、時にはトラブルに巻き込まれたり。優しい旅人に大事にされて、『ずたぼろ』は強くなっていくの。わたしも赤毛で、ずたぼろだから――」


 長々と語ってから、ハッと口をつぐむ。慌てて距離を取り、頭を下げた。


「申し訳ありませんでした、卿(サー)。わたしったらはしたないことを……」

「はしたない? なにがだ」


 わたしは母国語で言ったのに、彼はまだイプス語だった。


「……なぜ黙ってしまう? 君の話は面白い。もっと話をしよう」


 わたしは首を振る。いけない。これは、両親に禁じられていることだった。

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