第13話 同級生

 鳴沢は、もう風間に会うことはないだろうと思っていた。厳しい父親に監視されてどこか私立の中学校に通い、自分とは違う特別な人生を歩むのだろうと思っていた。だから、中学校に入り、同じクラスに風間を見つけたときには心底驚いた。風間の方も、鳴沢に出会ったときに見られてはならないものを見られたような気まずい表情をして目を反らした。しかし、鳴沢が声を掛けると、最初は照れくさそうに、次に嬉しそうに顔を上げ、「なんだ、一緒のクラスかよ」と鳴沢の胸を小突いた。

 風間は私立の中学校を二つ受験したと言う。しかし、第一志望の学校の試験の前日にインフルエンザで三十九度の高熱を出したそうだ。医者には行ったが熱は下がらず、当日の朝早く、緊急医に座薬を差してもらい受験した。残念ながら結果は惨敗で、受かったのは第二志望の中学校だった。それでも、かなりの進学校で風間はそちらに通うつもりでいた。しかし、父親は第一志望に入れなかったのであれば、金を出すのは無駄だ、公立の中学へ行けと言い放った。そしてその日から風間には目もくれず、二つ下の弟に目をかけ始めたのだそうだ。

「うるせえ親父にネチネチ言われなくなってせいせいすらぁ」

 風間はそう言ったが、虚勢を張っているのは明らかだった。

 四月の間、風間は新しい環境で上手くやろうと努力しているように見えた。サッカー部に入部届けを出し、鳴沢も誘った。塾に通っていたせいか、授業にも戸惑うことなく付いていっているようで、鳴沢にも数学や英語を教えたりした。しかし、そのうちにサッカー部の先輩と何かいざこざが起きたらしく、部活動には出てこなくなった。鳴沢もその余波を喰らい、理由もわからず無視されるようになってサッカー部は止めた。

 ゴールデンウィークが終わって授業が再び始まった時、風間は髪の毛を金色に染めて学校へ来た。そして左の目の脇から頬にかけてオレンジと臙脂色が斑になった痣があった。風間は皆に痣のことを聞かれるたびに、ゴールデンウィーク中にハワイに行き、国立公園の火山で転んだのだと言っていたが、鳴沢にはそれが真実でないことがわかった。鳴沢は、そういう痣のでき方を身を以て知っていたからだ。風間はクラスメート達に訪れたハワイの名所について自慢気に話していたが、その内容は、中学入学前にコンビニで鳴沢が聞いたものと同じだった。

 風間はそれまでしていた努力を諦めたようだった。授業中のお喋りで注意されることが増え、制服の下に赤いトレーナーを着てくるようになった。鳴沢の服装や髪型についても口出しを始めた。鳴沢の髪は三か月に一度、自宅で父親にバリカンで刈ってもらい、後は伸ばしっぱなしだった。その話をすると風間は鳴沢のアパートにやって来て、抵抗する鳴沢を言い負かすとバリカンで器用に GI カット風に切り揃え、側頭部に Z の形の剃りこみを入れた。鳴沢はそんな目立つ髪型をしたことが無かったので、父親に何を言われるかと思ったが、帰宅して鳴沢の新しい髪型を見た父親はぎょっとした顔をしただけで何も言わなかった。父親の驚いた顔—―鳴沢には少し怯えたように見えた—―は密かに鳴沢に自信を与え、それ以降は風間に言われるままに制服を着崩したりし始めた。

 風間は頬の痣が癒えた頃、別の傷を帯びて学校に来た。顔や手のあちこちに擦り傷ができていた。鳴沢が家で何かあったのかと尋ねると、風間は違うと言った。

「これはそういうんじゃねえんだよ」

 そう言って風間は何か言いたそうにしていたが、黙り込んだ。

 放課後になるまで風間はそわそわしていた。そして帰りのホームルームが終わるとすぐに教室から消えた。しかし、鳴沢が帰宅するために昇降口に着くと、風間がうろついていた。風間は鳴沢に言った。

「頼むから一緒に来てくれ」

 風間は前日に、スプレーペイントで橋脚に落書きをしたらしい。

「川野風神参上」

 そう書いたところ、他の中学の二年生の不良グループに見つかったそうだ。生意気だと絡まれ、いいように殴られたり蹴られたりした後、金も巻き上げられたと言う。そして、更に幾らか持ってくるように言いつけられたとのことだった。

 鳴沢の背は風間よりだいぶ大きくなっていて、二年生と並んでも体格差は無かった。しかし、相手は四人だと言う。風間と二人で同時にかかっていっても倍の数だ。鳴沢はばかばかしくなって、わざわざ言われたところに出向く必要はないと風間に言った。無視していれば、そのうち諦めるだろう、と。

 怯える風間を説き伏せて、校門を二人で出ると、その他校の四人組が待っていて二人を呼び止めた。鳴沢はそれを無視して、風間の腕を引っ張りながら歩き去ろうとした。四人組の一人が腕を伸ばし、風間のかばんを掴んで引きずり下ろした。鳴沢は、くるりと振り返ると、その生徒からかばんを乱暴に奪い返した。鳴沢の様子に、その生徒は少しひるんだようだった。それは鳴沢にとって意外なことだった。鳴沢は四人の顔をよく見た。戸惑いが読み取れた。仲間とつるんで強気なふりをしているだけの子供だ、と思った。もはや彼らが怖いとは感じなかった。父親が酔った時の方がよほど怖かった。そろそろ背丈は父親に近づいてきているとは言え、相手は毎日鉄板を相手に仕事をするだけの筋肉を付けた成人の肉体の持ち主だ。あれに本気で殴られれば怪我は必至だ。鳴沢は、そういった攻撃を躱す方法を知っていたし、どこを殴られればひどく痛むのか、気が遠くなるのか、身体の弱点についても知っていた。

 鳴沢は、自分のかばんを風間に預けると、四人の中のボスと思われる少年に足早に近づいて行った。周りの少年は、思わず鳴沢に道を譲った。ボス格の少年は鳴沢より大柄だったが、鳴沢に気圧されてつばを飲み込みその場に立ち尽くした。

「な、な、なんだ! やろうってのか!」

 力の入らない、間抜けな声でボス格の少年はどうにか怒鳴った。

 鳴沢は下から見上げるようにして、「金を返せ」と言った。

「は、はは、冗談じゃねえ」と言い始めた少年の襟元を鳴沢は掴んだ。

「伸司! 幾ら取られた?」

 鳴沢は、少年を睨みつけたまま風間に向かって叫んだ。風間は二人分のかばんを抱えたまま、「……さ、三千円……」と答えた。

「その金返せ」

 鳴沢は繰り返した。少年は身を捩って逃げ出そうとした。鳴沢はすかさず少年に足払いを食らわせると、前のめりになった少年の尾てい骨めがけて足の甲を思い切り打ち付けた。相手が驚きさえすればいいのだ。本気で痛めつける必要は無かった。少年は顔から地面に突っ込み、顔と尻を押さえてうずくまった。尻を押さえる少年の手の上に足を乗せ、体重をかけて、鳴沢はもう一度言った。

「金返せ」

 翌日には鳴沢が他校の上級生からカツアゲをしたという噂が広まり、風間は橋脚に書いた「川野風神参上」の「風神」の横に「雷神」を書き足した。

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