第9話 ニュース
それから一年後、菜々未が高校三年生の三月だった。菜々未は第一志望の短大にも合格し、学校の授業も終わっていた。後は学生生活の最後のイベントとして、東京郊外にあるテーマパークへ友達と泊りがけで行くだけだった。風呂上がりにのんびりとした気分で、二段ベッドの下段で横になっていた。スマホでお気に入りのアイドルのビデオを見ていると、髪を乾かし終わった姉の雛乃がベッドの端に腰掛けた。
「菜々ちゃん、ちょっと話があるんだけど」
「何?」
菜々未はビデオを止めて、スマホをお腹の上に下向きに置いた。雛乃は菜々未の横に陣取ると、ベッドの上であぐらをかいた。
「ね、鳴沢に援交パーティーで助けてもらったってホント?」
菜々未は凍りついた。言葉も出なかった。起き上がって座り直し、「……誰が言ってたの?」と雛乃に聞いた。
舞依に連れて行かれた「合コン」の顛末については誰にも言っていなかった。両親には「舞依と友達に会って楽しかったよ」で済ませていたし、雛乃には「スケベそうなリーマンばっかりだったので早々に帰ってきた」と言っていた。
「志摩ちゃん。風間の元カノ。知ってる?」
雛乃は菜々未を見た。菜々未は首を振った。でも、風間と繋がっているなら何があったかは聞いているだろう。
「ホントなんだね」
雛乃は確認した。菜々未は観念して頷いた。雛乃はため息をついた。
「成人式で志摩ちゃんに会って。そうらしいよってそのとき聞いたんだけど、菜々ちゃん、受験の真っ最中だったでしょ。こんな話して気が散っちゃったら大変だし。もう落ち着いたから大丈夫かなって思って……」
「でも、何もなかったし。帰り、車で送ってもらっただけだから……」
菜々未はなるべく事を大きくしないように言った。
「何もなかったって……。鳴沢のおかげででしょう。もう、私、話聞いたときゾッとしちゃったよ。だって何かあったら、どうしてあんなとこ行っちゃったのかな、なんて毎日後悔して、私だってママたちだって悲しい思いで暮らしてたかもしれない」
雛乃の言うことはもっともだった。菜々未はコウタの家でインテリ風の男に触られたときの寒気を思い出した。そして、鳴沢が運転する車の中でどんなに後悔して腹を立てていたか。それだけでも気まずくて誰にも言えなかったのに、あれよりもっと強烈な後悔を感じるようなことが起こっていたら。
「……ごめんなさい……」
菜々未はつぶやいた。
「ああ、そういう意味じゃなくって。ごめん。菜々ちゃんが悪いわけじゃないよ。ただ、もう心配でさあ」
雛乃は菜々未を抱きしめた。
「鳴沢がとりなしてくれたって聞いたけど。お金も出したとか」
雛乃が菜々未の顔を覗き込んだ。菜々未は、「こっちは払うもんは払ってんだ。後はどうしようと俺の勝手だ」という鳴沢の怒鳴り声を思い出した。
「わかんない。私、見てなかったから。鳴沢先輩も教えてくれなかったし」
あの日の記憶が急によみがえり、菜々未は怖くなって目が潤んだ。雛乃は、菜々未の横に並んで枕をクッションにして座り直し、菜々未の肩に腕を回した。菜々未は雛乃に寄りかかって、ぽつぽつとその日起きたことをかいつまんで話した。
「そっか……。怖かったよね」
雛乃はまた菜々未の肩をぎゅっと抱いた。
「鳴沢がいてくれて良かったよね」
雛乃の言葉に菜々未は頷いた。
しばらくの沈黙の後、雛乃が言った。
「それと関係あるかわからないんだけど。鳴沢、逮捕されたんだって」
「ええっ?」
菜々未は飛び上がって雛乃を見た。
雛乃は着ていたカーディガンのポケットからスマホを取り出して、画面を表示させると菜々未に渡して見せた。去年の二月の新聞記事だった。
「川野署は23日、強盗傷害の疑いで川野市内の少年(18)を逮捕した。逮捕容疑は2月11日午後8時ごろ、川野市本町の電器店に侵入し、店長の男性(71)を暴行したうえ売上金など約3万円を奪ったというもの。男性は顔に全治3日の軽傷を負った。少年は容疑を否認している」
菜々未は画面から目を上げた。
「……これ、鳴沢先輩なの?」
「なんだって」
雛乃は菜々未からスマホを受け取った。
「少年院には行かずに済んだらしいけど」
菜々未は混乱した。札付きの不良だと思っていた鳴沢は、あの日、本当はいい人だと思えた。それとも、あれは何かの気まぐれだったのだろうか?
「でね、志摩ちゃんが言うには、風間が鳴沢を嵌めたって」
雛乃はスマホの画面をスクロールしていた。他の新聞の記事を探しているようだ。
「え……、どうして? 二人は親友なんでしょう?」
「中学ではね。卒業してからは、そうでもなかったみたい」
雛乃は記事探しを諦めたのか、スマホを閉じた。
「結局、援交パーティーで鳴沢が菜々ちゃんのことを連れて帰って来ちゃったから、その後舞依ちゃんがすごく怒って風間のことも責めたらしいのね。風間がきちんと運転手やってればこんなことにはならなかったのにって。で、風間は舞依ちゃんのこと好きだったみたいね。でも、冷たくされたのは鳴沢のせいだって思い込んで」
菜々未は青くなった。自分のせいで鳴沢はやってもいない罪を着せられたのだろうか。雛乃はあわてて付け加えた。
「あ、でもそれだけじゃなくて、お金のことでもいざこざがあったみたい」
「お金って……」
「風間は仕事しないで借金して暮らしてたみたい。志摩ちゃんも二十万くらい貸したって」
「二十万?」
菜々未は素っ頓狂な声を出した。自分の貯金をかき集めたって二十万円もない。
「ほかからも借りてて、借金返すのにアブナイ仕事とか手伝わされてたんだって。でも、そこでも何か失敗して、穴埋めに五十万だか六十万だか持って来いとか言われて、鳴沢に借りに行ったけど断られたって。それもあって強盗に入ったけど、お金はあんまり無くって、罪だけ鳴沢になすりつけたみたい」
菜々未は話を消化するだけで精一杯だった。自分とほぼ同世代の話だとは思えなかった。雛乃は続けた。
「それにしても風間頭悪い。本町の電器屋って駅通りの外れにある小さいお店でしょ。あんなおじいさんが一人でやってるようなとこにそんな大金あるわけないじゃない。まあ、被害が少なかったのは鳴沢にとって不幸中の幸いだったけど」
「でも、警察が調べれば鳴沢先輩がやったんじゃないってわかるでしょう?」
「それがね、風間は鳴沢の服を着て強盗に入ったらしいよ」
菜々未は言葉もなかった。
「風間本人が言ってたって」
「本人が自分がやったって言いふらしてるのに、鳴沢先輩が捕まるなんてヘンでしょう? どうして……」
菜々未は泣き出した。雛乃は菜々未の肩をぽんぽんと叩いた。
「私もそれ聞いて、問いただしてやろうと思ったんだけど風間は成人式に来てなかった。……鳴沢も」
雛乃は腕を伸ばしてティッシュの箱から何枚かティッシュを抜き取ると、菜々未に渡した。
「志摩ちゃんは忘年会で風間に会ったんだって。暮れにみんなで集まったときに風間も来てたみたい。でもなんか顔変わっちゃってたらしいよ。ラグビー選手みたいに耳もつぶれてたって」
菜々未はティッシュの影から顔をしかめた。
「それで志摩ちゃんが何があったのって聞いたら『鳴沢のせいだ。前科がついてざまあみろ』だって」
「……鳴沢先輩がやったのかな」
菜々未は鼻をすすりながら言った。
「借金返せなくて、その筋の人にボコられたんじゃないのって志摩ちゃんは言ってた。私もそう思う。鳴沢はそういうことする人じゃない」
菜々未は雛乃を見た。
「だって私が中学の時、鳴沢にがんがん言えたのは、鳴沢は絶対女の子に手を挙げないって知ってたからなんだよね」
雛乃の揺るぎない表情を見ながら、菜々未は雛乃が鳴沢を好きだったことを確信した。
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