第8話 風間の罠

「いやー、良い話じゃないのー。雷神くん、漢だねー!」

 長友は感心して頭を振った。

「良くないですよ。私、一言もお礼言ってないんですから」

 菜々未は困り顔で長友に言った。

「それに、多分これがきっかけで強盗事件になっちゃって……。私、今度会ったらなんてお詫びしたらいいのか……」


                *  *  *


 風間伸司が鳴沢のアパートを訪ねたのは、鳴沢があとひと月で十九歳になるという二月のことだった。どか雪が降った後で、道路の脇にはまだ雪が積み上げられていた。

 鳴沢と風間は中学のときからのワル仲間だ。卒業後、父親の死を契機に鳴沢はがらりと生活態度を変えたが、風間は逆にチンピラまがいの暮らしにはまり込んでいった。そんな風間を心配して、鳴沢は事あるごとに苦言を呈していた。しばらく前にも何に使うのか知らないが、鳴沢は何十万かの借金を風間から頼まれて断ったところだった。それもあって風間はここのところ鳴沢のところには寄り付かなかったのだが、その日は珍しくビールの六缶パックにペットボトルのチューハイとつまみを持ってふらりと鳴沢の前に現れた。未成年だが関係ない。二人が飲酒を始めたのは中学の頃からだ。そして酔いが回ると、鳴沢の小言が始まる。いつもなら風間は食って掛かって口論の挙げ句に捨て台詞を吐いて夜中にアパートを出ていく。しかし、その晩の風間は黙ってしおらしく相槌を打っていた。

 翌朝、酔いつぶれた鳴沢が目を覚ますと風間はもういなかった。二日酔いで頭がひどく痛んだが、その日は仕事があった。出掛け間際に、ドア横に掛けてある水色のフード付きパーカーを手にしようとしたが、そこには無かった。部屋を振り返って見たが見当たらなかった。時間もなかったし、風間が借りていったのかと思って別の上着を着て出掛けた。

 パーカーが戻ってきたのは二日後だった。日曜日で鳴沢は買い物に出掛けていた。帰宅すると、いつもは下駄箱にしまってある白のスポーツシューズが玄関先に無造作に脱ぎ捨ててあった。靴底は泥だらけだった。水色のパーカーもいつもの場所に掛けてあった。そのときになって初めて、鳴沢は風間がパーカーのついでに靴も借りていったことを知った。ブランド物のシューズで、白が汚れないように天気の良い日にだけ履いていたのに、汚して返した風間に腹が立った。

 どうやって風間がアパートに入ったのかはあまり疑問に思わなかった。以前、風間と鳴沢は家賃を折半するために一緒に暮らしていたのだが、定職にもつかずにふらふらとした生活を続ける風間はいつの間にか同居人から単なる居候になった。鳴沢は中学校時代に、父親の暴力を避けて風間の家に入り浸っていたし、ときどき食事もさせてもらっていた。だから、風間が生活費を入れないことは大目に見ていたが、そのうちに風間は鳴沢の財布から金をくすねるようになった。そのせいで二人はよく口論をした。そのうえ、鳴沢は酔うと怒りっぽくなり、それを制御できずにすぐ手が出た。二人とも酒好きで一緒によく飲んだが、説教された末に散々小突き回されることにうんざりして風間は出ていった。合鍵は置いていったが、今でもどこに何があるかは探さなくてもわかるはずだ。前回来たときに鍵も持って行ったのだろう。

 何日かして鳴沢のアパートに警察が来た。駅前にある小さな電器店に強盗が入ったと言う。被害者は七十代の一人暮らしの男性。シャッターを閉めた後、店の脇にある通用口から自宅に入ろうとしたところを押し込まれた。声を上げる間もなく、顔を殴られそのまま店舗まで引きずり込まれた。店舗の電気は既に消してあったうえ、男はサングラスにマスク、パーカーのフードを深くかぶっていたため人相はわからなかった。店主は鼻血を垂らしながら、男に言われるままにレジからは売上金を、更に財布から現金を取り出して渡した。その後、男は店にあったガムテープで店主の手足を縛り上げ、口にもテープを貼って逃げた。店主は鼻で息ができなかったので窒息するのではないかと恐怖したが、鼻血で口元が濡れていたため接着が甘く、そこから舌でどうにか通気口を作り、その晩は身動きできずに過ごした。翌日になってメーカーからの配達の男性が、店が開いていないのを不審に思って通用口から声をかけたところで店主は発見された。

 事件後、その犯人が鳴沢だというタレコミがあったらしい。襲われた電器店の店主の証言によると、犯人は水色のパーカーにグレーのスエットパンツ、白のスニーカーを履いていたようだ。店舗の周りは残り雪でぬかるんでいたため、犯人の足跡はそこら中に残っていた。その代わり指紋はまったく見つからなかった。ラテックスの手袋をはめていたのではないかと見られている。

 鳴沢には全く身に覚えのないことだったが、警察が鳴沢のアパートから押収したパーカーからは店主のものと見られる血液が検出されたし、店舗に残っていた犯人の足跡は鳴沢のスポーツシューズの靴底と一致した。鳴沢は風間によってパーカーとスポーツシューズが持ち出されていたことを訴えたが、事件当日、鳴沢は夕方に帰宅した後、自宅で一人で過ごしていたためアリバイがなかった。翻って風間は、女性の友人が、一緒に友人宅で過ごしていたことを証言していた。

 結局鳴沢は誰の手助けを得ることもできずに、そのまま勾留され家庭裁判所に送られた。鳴沢は中学生のときに不良行為で何度も補導されていた過去があり、裁判所の心証は良くなかった。しかし、中学卒業後に勤めた工場の上司が鳴沢の逮捕に気付き、弁護人を世話した。工場には事件を小さく収めれば、系列から外されないはずだと弁護の支援を取り付けた。その結果、最終的には保護観察処分となった。鳴沢は工場を自己都合退職扱いになり、両親もいなかったため、処分決定後は自立準備ホームに行くことになった。鳴沢はそこで、保護司をしていた山崎と出会ったのだった。

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