第5話 脱出

 菜々未は二人の男に話しかけられて、戸惑っているようだったが緊張は見られなかった。膝の上に乗せた両手には缶ジュースが包まれていた。自分の言ったことを無視しなかった事がわかって、鳴沢は少し安心した。

 ギャルたちといた男は早々にコウタに二万円を渡すと、ギャルの一人と連れ立って立ち上がった。舞依がすばやくコウタに視線を送ると、コウタは頷いた。舞依も少し頷いて、テーブルの様子に目を戻した。出ていく二人を菜々未が目で追った。そして問いかけるように舞依を見た。舞依はにっこり笑うと、どうでもいい話題を持ち出して菜々未と男たちの会話に加わった。菜々未は困ったようにうつむいた。しかし、インテリ風の男が間を与えずに話しかけるので、菜々未はぎこちない笑顔で相槌を打っていた。そのうちにニセの制服を着たチカと残りの男が立ち上がった。舞依は素早く残ったギャルに視線を送り、自分の席に来るように促した。そして自分は、チカと男の後に付いてリビングを出ていった。隣の部屋で料金を徴収するのだろう。

 ギャルは小柄な男の隣に座り、男の気を引いた。男は菜々未と話を続けたそうにしていたが、ギャルが飲み物を勧めたり話しかけたりするので徐々にそちらに気を取られて行った。それに気を良くしたのか、インテリ風の男は菜々未にぴったり寄り添うように座り直し、菜々未の腕に手をかけた。それを見て鳴沢は思わず立ち上がろうとした。が、コウタが右腕を鳴沢の前に突き出し、鳴沢を止めた。

「金は払うから隣に座らせろ」

 苛ついたように鳴沢は言った。

「あちらはお得意様だからさあ」

 言いながら、コウタは煙草の煙を吐き出した。

「いくら払えばいい。あいつはいつもどれくらい出すんだ」

 鳴沢の声は脅すようだった。

「必死だねぇ」

 煙越しにコウタの小馬鹿にしたような笑いが見えた。

 鳴沢はコウタを鋭い目つきで見据えたが、コウタはもう少し様子見をするようだった。鳴沢ははらはらしながら、菜々未を見守った。

 インテリ風の男が菜々未の顔を覗き込んで何か言っていたが、菜々未は身を固くして、リビングの入り口を何度も見やった。舞依が戻ってくるのを待っていたようだが、舞依は現れなかった。そのうちに男は菜々未の膝に手を置いた。菜々未は怯えてその手を払おうとしたが、男は執拗だった。菜々未は男の顔越しに鳴沢が奥に座っているのに気付いたようだった。そして、助けを求めるように鳴沢を見た。

 鳴沢はコウタを見た。

「いくらか言え。言った分払う」

 ほとんど焦ったような声だった。

 コウタは鳴沢を横目で見てから、今度は菜々未を上から下まで舐めるように眺めた。

「八万」

 コウタが言った。

 ぎょっとして鳴沢はコウタを見た。

「相場が四万。あの子は上物だから二万上乗せ。あちらの方には今日はタダで遊んでもらうから二万」コウタの声は冷たかった。「払えないなら黙って座ってろ」

 鳴沢はジャケットのポケットに手を突っ込むと、一万円札を五枚取り出した。それから財布を開けて、札と小銭まで合わせてコウタの前に突き出した。

「六万ある。残りは今日中に払う」

 コウタは鼻で笑って「小銭でなんかいらねえよ。後で三万持ってきな」と言うと、鳴沢の差し出した金から五万円だけを受け取った。「そういうとこは伸司よりよっぽど信頼できるからな」

 コウタは鳴沢が立ち上がらないように鳴沢の左腕を掴みながら、スマホを起動した。そして、以前のメッセージをいくつか辿ってから自分の左に残っていた制服の少女、ユウナに話しかけた。

「君、チカちゃん? ユウナちゃん? どっち?」

 男たちがいなくなってしまってから手持ち無沙汰に見始めた自分のスマホから目を上げて、少女は「あ、ユウナです」と言った。

「君も処女だよね?」

 左手の親指でスマホの画面をスクロールさせながらコウタが聞いた。

 ユウナはスマホを膝に置きながら「なんですけど……。あたし本番はしないんで……」と言った。

「しなくていいよ。本番じゃなけりゃいいの? 写真とかも?」

「はあ、まあ……。顔が写らなければ……」

「オッケー。あのメガネの男と話つけるからさ。これで適当に相手してよ」

 そういうとコウタは、ユウナに一万円を渡した。そして鳴沢の腕をぽんぽんと叩いて立ち上がり、インテリ風の男の横に座った。コウタがいなくなり、鳴沢はユウナをちらりと見やった。そして思わず二度見した。ユウナが別人のようになっていたからだ。ぼんやりしていた目元は今やくっきりした二重になり、まつげも濃く、目が大きくなっていた。頬もピンクに染まり、口元もリップでつやつやだった。

 凝視する鳴沢に気が付いたのか、ユウナは「あ……、これさっきマイさんが……」と言った。鳴沢は言葉もなく頷いた。そして不謹慎を承知で、これでインテリ風の男が菜々未を諦めてくれるならありがたい、と思った。

 コウタがユウナを呼んだ。ユウナは席を移り、コウタがインテリ風の男とユウナの間を取り持った。菜々未の左隣ではひと目もはばからず小柄な男とギャルが濃厚なキスを始め、コウタのやり取りとの間に挟まれて菜々未は行き場を失ってうつむいていた。その隙に鳴沢は立ち上がり、菜々未の元へ向かった。そして、うつむいていた菜々未の頭をぽんとたたき、「行くぞ」と声をかけた。菜々未はうさぎのようにぴょこんと顔を上げ、コウタと鳴沢を交互に見た。インテリ風の男が何が起こっているのかに気が付いて菜々未に何か言おうとしたが、その途端に菜々未は飛び跳ねるように立ち上がった。そして自分のバッグを掴むと、「すみません、すみません」と何度も頭を下げて小柄な男とギャルの前を通ってリビングのドアをすり抜けた。

 ダイニングでは舞依が煙草を吸いながらスマホを見ていた。出てきた二人に気付いて、「上の部屋に行くの?」と聞いたが、鳴沢は「ちょっと出てくる」とだけ言って菜々未を廊下の方に行くように促した。

「『出てくる』って何よ」

 ダイニングを抜ける二人を追って、舞依は立ち上がった。菜々未は小走りに玄関へ向かい、鳴沢も大股でそれに続いた。

「コウタは知ってるの?」

 廊下の奥で仁王立ちになって叫ぶ舞依に、鳴沢は返事もせずに菜々未と二人で靴を履いた。舞依は「コウタ! コウタ!」と呼びながらダイニングに引っ込んだ。

 鳴沢はドアのロックを外して、菜々未を先に行かせた。ドアを押さえた反対側の手でリモコンキーを押して、車を解錠した。菜々未はバンのスライドドアに飛びついて開けようとしたが、重くてなかなか動かなかった。鳴沢は片手でぐいとドアをスライドさせ、菜々未が乗り込むと同じように強い力でドアを閉めた。そして運転席に乗り込みながら、門扉のリモコンを押した。城門のような金属板がガラガラと開き始めた。

 エンジンを掛けたところで、座席の一番後部に座った菜々未が「あっ」と声を上げた。舞依が玄関から飛び出してきたところだった。鳴沢はサイドブレーキを外したが、門はまだ開ききっていなかった。舞依が後部座席のスライドドアに手をかけようとしたので、鳴沢はドアをロックした。舞依は鳴沢をキッと睨むと、運転席に回って窓をばんばんと叩いた。

「ちょっと! 待ちなさいよ! ほかのお客さんになんて言って説明するのよ、お持ち帰りは禁止って言ってあるのに!」

 鳴沢は窓をほんの少しだけ開け、「なんとでも言え。こっちは払うもんは払ってんだ。後はどうしようと俺の勝手だ」と怒鳴った。菜々未がそれを聞いてはっとしたことには気が付かなかった。

「あんた用心棒でしょ。いない間になんかあったらどうするの!」舞依はまだ怒鳴っている。

 門が開ききったので、車をそろそろと発進させながら、鳴沢は舞依に「離れろ。足轢くぞ」と言った。舞依が思わず飛び退ると、鳴沢は「一時間で戻る」と告げ、スピードを上げてコウタの家を後にした。

 一方、菜々未は突然の後悔に襲われていた。鳴沢の素振りがいかにもあの危ない状況から救い出してくれそうだったので、言われるまま躊躇もせずに付いて来てしまったが、車に乗せられてどこに連れて行かれるかわかったものではない。舞依がいなくなった今、余計に危険な状況なのではないだろうか。少なくともここが中井原ということは分かっている。バスや電車を乗り継げば帰れるはずだ。どうにかして車から降りなくては。

「降ります! 降ろしてください!」

 菜々未は大声で言った。

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