第7話 鬼門に番人あり



授業が終わった。

長く感じる重たい一日だった。

間違いなく昨日見た悪夢のせいだ。

ちゃんと聞いたはずなのに授業の内容をほとんど覚えていない。

誰かに話しかけられた気もするのに記憶にない。

数学も世界史も現代語も化学も地理も誰かも、全て記憶には悲鳴しかない。


「はぁ……帰ろ」


何かが覆いかぶさっているような重たい感覚にため息をついて、帰路を歩く数人に混ざろうと足を────


チリン、と。


4度目は放課後の校門前。

一瞬、部活動の喧騒が遠くに感じるほど意識を持っていかれる。

かなり強い力だ。


クラくら視界が揺らぐ。

鈴は止んだのに目眩は止まらない。

滞留する目眩は次々に重なっていく。


ゆらゆら、くらくら。


信号機が増殖する。

歩く何十もの人影は分身だろうか。

地面が傾き、空は滑る。

走る自動車はこっちに向かっているのか、あっちに向かっているのか、それすらワカラナイ。


ゆらゆら、くらくら。ゆらゆら、くらくら。


意識は断裂し、たまに明転。

まるでシャッターを切るカメラのように。

景色は断片的に移り変わって──────


「───────あ」


そこに辿り着いた。



**



生えっぱなしの雑草の中に俺は立っていた。


山の中腹に拓かれた人工の広場。

そこには1つの建築物。

遠くに見える木造のそれは旧校舎とまさに呼べる様相だ。

大きさは小学校ほどであるが、その趣のある風貌からか不思議な威圧感さえ感じさせる。


「なん、で……てかここは……」


異世界に飛ばされたような感覚だ。

意識が明瞭になると疑問が溢れて止まらない。

落ち着くように息を整え、1つずつ整理していく。


俺はあの音に呼ばれた。

鈴の音のメリーさんと呼ばれていたものだ。

意識の断裂、あれは暗示の影響だろう。

俺の意識を奪って、糸を手繰るように俺をここに来させたのだ。


では誰が、何のために?

それは分からない。

恐らく目の前に見える旧校舎に呼び寄せた本人がいるのだろう。


しかし、ここで相手の思い通りに向かっていいものなのか。

相手は魔術師で、そして彼らは非人間だ。

例えそれが人間であったとしても、自分の物じゃない限りどこまでも非情で残忍な行いを良しとする連中だ。


「スマホは……繋がるな、さすが現代文明」


とりあえず場所だ。

それを確認してから応援を呼ぶか考えよう。

勘当されているとは言え、まだ俺は白藤家の長男だ。

救援を求めれば3.4人の護衛を呼ぶことは可能だろう。


「ここでも頼りきってるあたり覚悟は出来てないんだろうな俺は」


魔術が使えない俺は結局、実家を頼ることしか出来ない。そんな無力感に苛まれながらも、いそいそとマップアプリを開いて。


チリン、と5度目の─────










ギィ、と。


木を踏みしめる音に目を覚ます。

見れば何処かの廊下に俺は立っていた。


恐らく先程前にしていた旧校舎の中だろう。

時刻はもう夕方か。

夕焼けに燃える木造の廊下はノスタルジックで悪くは無い。

古木の香りと鈴虫の鳴き声も含め雰囲気だけで言うなら最高のロケーションである。

しかし、俺は謎の圧迫感に押され手に汗を握っていた。


この先、目の前のドアの先に魔術師がいる。

向こうから呼び出したにも関わらず、早くこの結界から出ていけという矛盾した意志をひしひしとこの先から感じる。


早く逃げ出さなければ、そう考えても体は思ったように動かない。

意識は戻ったのに体への暗示は解けていないのか。

自然と腕が動き、スライド式引き戸に手をかけて。


俺の訴えさえ無視して、ガラガラと戸を鳴らしながらその先を明けた。



***



そこは、教室というよりも個室の広さであった。

元は資料庫だったのか、縦長の部屋には壁面に数え切れない書物が飾られている。

逆にこの空間にはそれ以外に物は無い。

時計も無ければ机や椅子もなく、存在するのはここに呼ばれた来訪者とそして目の前の少女だけ。



視界の先、窓辺にある低い本棚。

その上に体育座りをして本を読む1人の少女がいた。

年齢は小学生……いや中学生程か、来訪した俺を気にする様子もなく視線は本に集中している。


「────────────」


知らず、息が漏れている。

その姿を見た時、恐らく俺は生物である事を手放していた。


意思も、呼吸も、骨格も、何より視覚以外の感覚全ても。

身体機能が本能を忘れるほどに、俺は彼女に魅入っていた。


西日に照らされる彼女は、美しい絵画を連想させた。

純度の高い銀髪は日に照らされ白く輝き、透き通るほどの白い肌は氷という表現すらおこがましい。

その美貌に加えて、俺が入ってきてから本を捲る以外微動だにしないから、人ではなく機械ではないかと疑いそうになる。

まあその疑心も次の瞬間打ち破られるのだが。


「………どうしてここに?」


小さいのによく通る声。

数文字紡がれた音は静かな森に響くオルゴールのよう。

彼女は顔を動かさず、視線も手元の本だ。

本当に俺が見えているのか少し気になりながらも返答する。


「どうしてって……君が俺を呼んだんじゃないのか? 鈴みたい音で」


混乱する思考をなんとか抑えながら相手を見る。

本を閉じた彼女は最後の希望を失ったとばかりにため息を零して、諦めたようにこちらに視線を向けてくる。


「鈴はいくつ聞こえた?」


「えっと、たぶん4回……ぐらい」


鋭い流し目に息が詰まってしまった。

俺が聞いた4回の鈴の音、それを知って彼女はゆっくりと瞼を閉じる。


「……そう、あの子は死んだのね。無視出来るなんて尊敬する」


意味のわからない言葉を言って彼女は陰る。

そもそも表情に変化のない女だったから、少し俯いた時に生じた影が彼女の心意だと受け取ってしまう。

落ち込んでいるようで、しかしこちらを哀れんでいるようで。


「貴方酷い顔ね、これあげるわ。今日は早めに帰りなさい、夜は出歩かない方がいい」


さらりと放られたのは1枚の紙切れ。

ゆらゆら風に煽られて、それは俺の手元にまで届いた。

表には蛇のような文字が横たわっている。どうやら御札みたいなものらしい。


話はここまでだ。そう言うように彼女は再び本を開いた。


「え、は? それだけって……どういう事だよ」


御札片手に感情は困惑したまま少女を見る。

しかしそれには無反応。

ページをめくる速度にも変化なし。


いくら呼びかけても気にもされない様子に。

ここまで呼びつけた癖に俺の存在を完全に消されたような気がして癇に障った。


「あのなあ……とりあえず自己紹介ぐらいはしてくれよ。俺の名前は」


パタンっ、と本が勢いよく閉じられ俺の言葉が防がれる。

そのまま少女はどこから取り出したのか、翠の銅鐸どうたくを取り出して、


「要らない。どうせ、もう会うことはないんだから」


チリン、と。

鈴の音を最後に、次に気づいた時、俺はいつもの帰路を歩いていた。

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