第5話 妹との密談



夜の待ち合わせ。

その言葉は友人や彼女を思わせる楽しい言葉のはずだが。残念、相手は妹。

遅れたりなんかしたら3割ほど口が悪くなる。

その為にも公園へ急いだ。


到着したのは20時50分────約束の10分前。

妹の機嫌を損ねてしまう、そんな恐怖心からか思った以上に早く着いてしまったらしい。


集合場所は隣町の噴水公園。

住宅で埋め尽くされた街中にぽつんとあるオアシス的な空間────まあ、とはいっても特別何かある訳ではなく、噴水とベンチがあるだけの広場なのだが。

息を落ち着かせながらぐるりと辺りを見渡す。

この時間だとまだ周辺に人通りはあるものの、公園内は無人であった────


─────無人、無人だ─────無人に決まっている。

人なんているわけが無いし、そもそもこんな所入っちゃいけないだろ。だって公園に入る理由なんて無いし、そもそもここは公園じゃない。人が居ていい所じゃないし、だから俺も集合場所を変えなくてはならない。だってここに妹を連れてきてはいけないはずで、入ってしまっては命すら危ないはずで───────


《意味わかんねぇ、なんでこんなド田舎に神殿が築かれてんだ? ……ちっ、まあいいか》


誰もいない公園で、誰もいないはずなのに何かが聞こえ


《おう、もう入っていいぞ》


「─────────」


その時、すれ違いざまに確かに声が聞こえたが振り返ると誰もいなかった。

約束の時間まで8分。

噴水近くのベンチにでも座ってゆっくりと妹を待つことにした。



***



「それで、なんでこんな所なの?」


目の前の少女はやけに不機嫌だ。

眉間に皺を寄せる少女。俺の妹、悠花ゆうかである。

肩に付くほどの黒髪は毛先だけ生意気そうに跳ねていて、まるで彼女を表しているようだ。


ピリリとした空気。

笑えばさぞ可愛らしい顔は今や怒りで彩られている。

可憐な印象を抱かせる翠の髪留めも息を潜め、そんな彼女と対面して座る俺はバツが悪そうに視線を下げている。


ガヤガヤと周囲が賑わってる中、この一帯だけまるでサスペンス物の取り調べを思わせる空気の重さであった。


「悪いけど俺の部屋は実家と違って狭いんだ。2人もゆったり足を伸ばせるスペースなんかないの」


「そういう話じゃなくて、なんでこんな賑やかな場所で……場違いだと思わないの」


ちらりと周囲を見渡す。

確かに平日のファミレスにしては人の数は多いが、別にどんちゃん騒ぎをしている客がいるわけでもなし、雑談する場所にしては十分だろう。


「人を隠すなら人の中とも言うだろ。変に静かなとこで話して通りすがりに盗み聞きされるよりマシなはずだ」


音の箱とも言える。

秘密の会話は雑多な声でかき消してしまえばいい、という子供的な発想。


「そんなヘマする訳ないでしょ」


そんな俺の考えは幼稚すぎて呆れられている。

もちろんファミレスを選んだのには別の理由がある。悠花と二人で会い、話す議題となればたった1つしかない。

そしてそれは俺にとって凄く重苦しい議題であるから、多少でも気が紛れるように賑やかなところに居たかったのだ。


「なにその顔。忘れてないかわざわざ確認しに来てあげたのに」


悠花は俺の苦々しい顔にひとつ息をついて、それから真剣な表情で話を始めた。


「覚えてるでしょう兄さん。

来週で貴方は17歳。そこで父さんを見返さないと今も貴方に続けている全ての投資が打ち切られる。

住む場所だけじゃない。資金も教育も……それどこか白藤家の縁さえも切られてしまう。

義務教育という言い訳も使えなくなるんです」


魔術師としての彼女の口調は酷く丁寧だ。

自分の知ってる悠花では無いような感覚になるが、しかし彼女の表情、台詞の声音から本気で俺の事を心配してくれていることが分かる。


ここが俺にとっての分水嶺。

魔術師としての才覚を取り戻せるか、否か。

最近寝不足だったのも、実を言うとこれが原因であった。


「…………それぐらい分かってる。そのせいで悠花には迷惑かけてる事もな」


「それは別に……私だって誰とも知らない人に嫁ぎに行く必要が無くなりましたし、それは良いんです」


悠花は少し視線を落とし、悔しそうに唇を噛んだ。

悔しいのは当然だ。

誰よりも焦り混乱しているはずの本人が全く気にしていない様子なのだから。

だから言いにくい言葉を、しかし兄に理解して貰う為にも少し言葉を変えて口にする。


「私はッ………ただ、家族が浮浪者のようになるのが見てられないだけで」


愛しの妹から出た言葉に危うくずっこけそうになる。

目の前にドリンクが無くて良かった。すんでのところで体制を立て直す。


「あのな、俺だってちゃんと高校には通ってるんだ。たとえそっち側で認められなくても、社会で独り立ちくらい十分に」


「それが嫌だと言ってるんですっ!」


「お、おいお前……」


机を叩き立ち上がる少女。

苛立ちから出た大きな否定の言葉に、俺は会話よりも周囲に意識を向けてしまう。

しかし、周りの人達は俺達のことなんか気にせずに未だ雑談を続けていた。


「……外への音量はこっちで操作してるから大丈夫、です」


感情を荒らげた自分を恥じたのか、顔を赤らめ静かに椅子に座る悠花。

指先は下に示されていて、見れば床に1枚の御札が敷設されていた。

おそらく花ヶ前はながさき家から買い叩いたものだろう。


「私は……私は兄さんが俗に落ちるのを見てられない。分かってるでしょう? 魔術師にとってそれがどれだけ惨めな事なのかを」


魔術の使えない魔術師。家系から弾かれる半端者。

そんなのはインクの出ないペンと同じ、いわば欠陥品だ。

欠陥品であるなら捨てるのが常ではあるが、それが人間だからそれすらも叶わない。ただ自身の才を憎みながら屍のように生き続けるしかない。

何の目的も無く、認められることは無く、何の成就も無く、満足なんて微塵もない───それが魔術の世界に背を向ける魔術師の末路だ。


家系に根付かない人間はどこにも辿り着けずにふわふわと流れるだけ。だから彼女は浮浪者として例えた。

実的ではなく比喩として。なるほど言い得て妙ではある。


「分かってる。俺だってそんな未来はゴメンだ。だから今日もこの後絢香あやかさんの所で修練するつもりだし」


「絢香さん、弟子取らないんじゃないの!?」


「取ってくれないよ。初めなんか『魔術師でも魔術使いでもないアンタの何を私は鍛えればいいのさ』って無下にされた。今は弟子って名目はないけど通って色々教えて貰ってる」


「……なにそれ……私の誘いは断ったくせに絢香さんは良いの意味わかんない……」


ぶつぶつと呟く妹には申し訳ない。

別に俺は鈍感ではないし難聴でもない、ちゃんと彼女の声も意志も届いている。

届いてはいるが、俺と悠花は昼は学校、俺は夕方はバイト。つまり修練となると出来るのは夜になってしまう。

そんな夜更かしを妹に強制させるなんて兄として出来ない……それとみっともないのを承知の上で言わせて貰えるなら。

兄貴が妹に教えを乞うなんて出来ない、なんていうちっぽけなプライドが邪魔していた。


「はぁ…………あの頃からですよね、兄さんが魔術を使えなくなったのは」


彼女はドリンクを空にして、それからそんな昔話を始めた。

今回の議題がとりあえず幕を下ろした証拠である。

静かに胸をなで下ろしながら思考は5年前。

小学六年生になったばかりの魔術使いを思い出す。


神代かみしろ学園……名門魔術学校へ見学に向かい 、そして兄さんはその途中で気を失い倒れた。私が聞いていたのはそれだけなんですが、兄さんは何も覚えては無いんですよね?」


「ああ、俺の記憶もだいたいそんな感じだ。親父の命令で見学に行って、見学中倒れて病院行き。気がついたら魔術が全く使えない体に成り下がってた」


俺にとって全てが狂った日だ、忘れるはずがない。

白藤家の危機ともいえる大事件に親父は大慌て、すぐさま神代学園の教師や校内を徹底的に調べ上げるが何も原因を見つけられなかった。


「今じゃ俺の通りは名門校の空気に気圧されて魔術が使えなくなった不能者って言われてるらしいしな」


「ッッどうして兄さんはいつも他人事のようにっ、……すみません……1番悔しいのは兄さんでした」


再び燃え上がる怒りの炎はすぐに消え去った。

それは燃え尽きたのではなく、それ以上に燃え上がる火種を前に吹き飛んだ形である。


「魔術的にも科学的にも有り得ない症例だ。なら心の問題って結論になるのが妥当だろ。ま、そんな昔のことを気にするより、俺は来週までにせめて身体強化ぐらいは出来るように精進するさ」


基礎の基礎、魔術の始まりとも言われる身体強化。

まだゴールすら見えない目標を掲げ、話を変えようと今日あった事でも話す。

そんな中、


チリン、と─────音の鳴るほうへ振り返るが、そこには何もいなかった。







相当に話し込んでしまった。

時刻は23時。

今から絢香さんの所に行けば修練が終わるのは3時を回る。


仕方がない、期日までもう無いんだし徹夜覚悟で修練するか。


そんな覚悟を胸に、足は自宅へ・・・と向かっている。

ん?───と。

自宅まで残り5分となってようやく気づく。向かうのは絢香さんの家だ、俺ん家じゃない。


歩く、歩く、歩く


方角は北だ。 山の麓に彼女の家と修練場がある。


歩く、歩く、歩く


方角ハ西だ 道ヲ間違エた 向かウノは西ダ


歩く、歩く、歩く


ホウガクハ イツノマニカ モドッテ モドッテ


「あ、れ────?」


気づけば自宅のドアノブを握っていた。

時計を見ればもう12時を過ぎている。

体が重い。思考がまとまらない。

思ってた以上に体は疲れていたらしい。

今日は休むことにしよう。

期日は近いが、もう体が限界だ。


ベッドに体を預ける。

意識がドロドロに解けていく。

その中で疑問が1つ。


おかしな事もないのに、どうして私は笑っているんだろう?

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