第8話 ひまわり

 ここは荒野の朝。俺は、アントニアという少女の皮を被ってはいるが、元はメキシコのフアレスのアウトロー、アントニオ。魔法と無法の世界に転生して、賞金首を追っている。危険すぎる賞金稼ぎ、エレナとともに立ち寄ろうとした集落は、ならず者に惨たらしく滅ぼされていた。街道沿いの宿屋に逃げ込んだ俺たちは、そこでエレナの昔馴染みで弓使いの傭兵、バルバラと出会う。久々の再開に二人は、反目しながらも食堂で酔いつぶれて寝ちまったわけだが、俺は宿屋のおかみに勧められてベッドで眠り、快適な朝を迎えることができた。


 昨晩の酒がまだ少し抜けていないようなふらつきを覚える。この体になる前は、あの程度の酒でこうなることはなかったのだが、よっぽどこの世界の酒は悪酔いするというのか、それともこの少女のような体は、見た目通り酒に弱いだろうか。まさか俺も自覚していないだけで、疲れていたのかもしれない。慣れない場所というのは得てして疲れるものだ。抗争を逃れてメキシコにやってきた元チャイニーズマフィアのチャオという男にがいた。彼は香港の裏世界では知らない者は居ないと言われた凄腕の暗殺者だったらしい。しかし、香港の2つのファミリーを敵に回し双方から抹殺命令が出てしまった。チャオは冷房付きの貨物船に乗り込んでメキシコに密航してきた。船旅で地球を半周した疲労と馴れない気候に苦闘し、最終的には追手に発見され襲撃を許してしまった。結果、彼の体はツナや豚肉と一緒に冷凍コンテナで香港に帰ることになった。つまり、どんな屈強な男だろうと、慣れない環境は容易に死を招くということだ。闇に生きるものにとって、心が休まる環境を用意しておくというのはそれだけで生存率をぐっと引き上がる。


 木窓を開けると、朝霧の森が広がっている。ハッパで一服しようと火をつけようとしたが、厩舎の馬がいななき、何か異変がおきていることがわかった。俺は、部屋に掛けられていたカーディガンを羽織って、寝間着姿にガンベルトをひっさげて階段を駆け下りた。


「おい、エレナ。それにバルバラ、起きてるか?」

「おお、お姫さん。寝間着姿、似合ってるじゃねえか。ようやくお目覚めかい?」


 バルバラは既に目覚めており、当然異変にも気づいていたようだ。機械弓を携えて、バリケードのように目打ちされた窓を少しだけ開けて、外に目を凝らしていた。


「馬の声で起きたんだろ?あたしの馬、フルミネの声だよ。あいつは、こちらに近づいてくる殺気を、数マイル先から感じ取って知らせてくれるんだ。」


 どうやらあの黒馬はフルミネという名前らしい。ずいぶん器用な能力を持った馬だ。


「ならず者の一味でも通り過ぎたんだろう。このあたりにはよくあることさ。」

「襲ってくることはないのか?」

「一応、警戒するにこしたこはないが、宿屋なんてどこも奴らのせいで商売あがったりだから、金目のものなんてないだろ。そんなことは奴らもわかってるだろうから、よほどのことが無い限り、わざわざ襲って来たりはしないのさ。」


「バルバラ・・・もう少し、声を抑えて。うー、頭痛い・・」


 エレナが目を覚ました。エレナのほうはあまり無事とは言えなさそうだ。俺が把握しているだけで二日連続して殺しを働いた後だ。疲れたところに大酒が効いたのだろう。食堂の大机につっぷしたまま呻いている。昼過ぎまでそっとしておいてやろう。おかみさんも部屋から出てきて、エレナに水を飲ませようとしている。


「万が一襲ってこられたら、この状態のエレナじゃ戦力にならないな。まあ、あたし一人でもなんとかなるとは思うが。ところで、お姫さん、あんたは戦えるのか?得物は?」

「もちろんイケる。得物?こいつさ。」


 俺はおもむろにガンホルダーからデザートイーグルを取り出し、バルバラに見せつける。


「なんだそいつは、大工道具か?」

「一応、魔法の杖ってことになってる。」

「ああ、たしか、なんとかかんとかっていう魔法術の。いざってときは頼りにするよ。」


 バルバラが冗談めかして笑うが、直後にチリンチリンと複数の鈴の音が鳴った。


「侵入者探知用に鳴り物を仕掛けているんだが、どうも、この宿に何者かが数人で忍びよってきてるみたいだね。こいつはクロとみて間違いないとおもうぞ、お姫さん。食料でも狙ってるのか?それとも…」


 バルバラが俺とエレナを見回す。


「お前ら、何か追われるようなことしたのか?」


 覚えがないと、俺は首を振るが、バルバラはエレナを見て訝しがる。


「エレナのやつ、方々で恨みかってそうだもんな。こいつだけ素っ裸にして宿の前に転がしておいたら、あたしらは見逃してもらえたりしてな」

「本気か?」

「ははは、冗談だよ、いくら『孤高の狂刃』でもこの状態で放り出されたらただじゃすまないだろうし、あたしだって鬼じゃあない。それにしても何か理由があるんだろうか。」

「昨日通り過ぎた滅ぼされた村に、村人の死体を加工して作った悪趣味なトラップがしかけられてたんだ。どうも旅人を無差別に狙ったトラップじゃねえかってことだったんだが、仕掛けた奴に目を付けられたかな。」

「金を持ってるとでも思われたのな。まあ、来ちまったもんは仕方がねえ。おかみさん、エレナとお姫さんを連れて地下室に隠れてくれ。」

「オレは残るぜ。」

「お、そうか。その杖の力見せてもらうぜ。」

「バービーちゃん、ニアちゃん、気を付けてね。危なくなったら私に構わず逃げるのよ。」


 おかみさんがエレナを連れて地下室の扉を閉めると、バルバラは安堵のため息とともに、弓に矢をつがえる。彼女が使う機械弓を近くで見ると、その長弓のような弓体の両端に車輪でワイヤーが張られている、あっちの世界のコンパウンドボウみたいな構造だとわかる。昔懇意にしていたマフィアのボスが、コンパウンドボウは特殊な合金が必要で、拳銃よりも歴史が若く20世紀に発明された金持ち用の娯楽武器だと自慢していた。原理が同じかはわからないが、そんな代物があるということは、どうやらこの世界は、銃の代わりに弓の技術が発展したのだろう。さしずめ、爆発性の武器として銃火器ではなく魔法技術が発達したことが影響しているということだろうか。俺もデザートイーグルを構え、標的を待つ。そっと隣の窓の隙間から、忍び寄る気配のほうを確認する。覆面姿のポンチョ野郎どもが何人か見え隠れしている。相手が銃火器を持っていない以上、籠城戦はこちらが有利だ。まあ、魔法で放火された場合はちとマズいか。


「なあ、お姫さん、見えてるか?」

「お姫さんはやめてくれ」

「じゃあ、ニア。手前の森の一番高いモミの木に長弓が1人、クロスボウが2人。その前の草むらの陰に武器を持っていない奴が1人、魔石ホルダーらしい袋を下げているから、おそらく魔術師だ。見えてるか?」

「ああ、見えるよ。それに、厩舎脇に剣を帯てるやつが1人。得物はわからないが、井戸の裏に1人か。」

「ふうん、目は悪くないみたいだね。騎兵隊や憲兵隊の格好じゃねえから、エレナがやらかして指名手配をくらったわけじゃなさそうだな。それにあの殺意にまみれた装備は確実にあたしたちを殺しに来てる。盗賊か、生贄を探すカルト集団ってとこか。」


 バルバラと俺は、奴らのその物騒な格好から、返り討ちにしてもいい相手だということを再認識する。


「そこまでわかりゃ、あとはヤるだけさ。誰からにする?」

「草むらの魔術師だな。どんな魔法を使ってくるかわからないから、早めに片付けておきたい。あと、得物がわから井戸の裏のやつも念のため早いうちに倒しておきたいな。」

「わかった。もう少し引き寄せてから一気に仕留めようぜ。」

「なんだ?ニアの魔法は近距離専用なのか?あたしの弓なら、そこまで引きつける必要は・・・無いッ!」


 バルバラはふっと弦を離した。しゅるるという滑らかな音とともに歯車が回り、弦が準備態勢に戻ると彼女は素早く次弾を番える。草むらの魔術師が頭から崩れ落ちる。おそらく構えていたのであろう魔石か何かが暴発して上空に打ちあがり、不意に爆ぜる。驚いた弓使いたちが一斉に宿屋に向けて矢を打ち込んできやがる。やれやれ敵対マフィアからガレージに機関銃を撃ち込まれたのを思い出すぜ。矢じりが木の壁に刺さる鈍い音響は、トミーガンよりも心地よく聞こえる。


「ちっ、魔石が爆ぜやがった。気づかれちまったな。」


 バルバラは宣言通り、次弾を井戸の裏から飛び出した奴に目掛けて射るが、時同じくして、先ほどの魔術師が取り落としたストックの魔石が誘爆した衝撃で、矢が反れる。すかさず俺は奴の脳天に鉛玉を打ち込んだ。


Bang…


音が反響すると、盗賊どもが驚いた顔をして一斉にこちらを向いた。


「なんとかの魔法、話には聞いたことあったが実際に見るのは初めてだ。音は煩いが、便利な魔法じゃないか!」


 バルバラが関心するのもつかの間、俺はマズい光景を見た。俺が仕留めた男の手から何かが零れ落ちた。それは手榴弾に似た形状をしており、おそらくその俺の直感は正しかった。


「おい、あいつ、何か落としたぞ…」

「魔擲弾だ!伏せろ!」


BOOOOOOM


 鋭い爆発音が響き、宿屋の玄関扉が吹き飛んだ。ここはマフィアが会合に使う3つ星ホテルじゃ無いんだ。ダイナミック入店はお断りだぜ。


「おかみさん、エレナ、アタシらは無事だから出てくるんじゃないぞ!!」


 バルバラは、すかさずに地下室の扉に向かってそう叫ぶと、3の矢を番えて玄関の窓口カウンターの陰に潜んだ。


「ニア、お前もどっかに隠れろ!入ろうとするところを迎え撃つぞ!」

「りょーかい、りょーかい。」


 俺は、ガンベルトの小物入れからハッパを取り出し、キメた。バルバラは物珍しそうに俺を見つめる。とりあえず、こういう戦闘は焦ったほうが負けだ。待ち伏せるのであれば、まずは心を落ち着かせる必要がある。


「ニア、お前その若さでタバコなんてやるのか?大人びてるねェ。」

「地獄の清涼剤、みたいなもんさ、バルバラもやるかい?」

「…やめとくよ。」


 勇んで乗り込んできた剣士は、明るい場所から薄暗い宿屋入ったところで、目がくらんだのだろうか。それとも俺のいぶした紫煙が染みたのだろうか。一瞬奴の行動が止まるのがみえた。俺もバルバラも、そんなスキを見逃すはずがない。可哀そうだが、頭に弾痕と矢が刺さった死体が一体出来上がった。オーバーキルってやつだ。


「あとは飛び道具使いが3人か。バルバラ、打ってでるか?それともここで籠るか?」

「下手に籠って放火されたらたまったもんじゃない。でも今、ただ出て行くだけだと単なる『的』だからね。よし、こいつを使おう!攻撃は任せたよ!」


 一時の静寂にしびれをきらしたか、恐る恐る2人ほどの陰が様子を見に玄関に近づいてくる気配がする。バルバラはというと、剣士の死体を壊れた木の板に括り付け、盾にして玄関から外へと飛び出した。俺もバルバラにくっついてそのあとに続く。驚いた2人はクロスボウを発射し、ボルトがドスドスと死体の背中に食い込み、あたりを赤く染めるが、死体の肉に阻まれて、バルバラや俺までは到達できない。射手が新たに装填しようとするが、そう簡単には撃たせないぜ。


BANG… BANG…


 .44マグナム弾を受けて脳髄を永遠に失った2人の射手は、相対するように斃れ、バルバラが蹴り飛ばした剣士と合わせて3つの肉塊が一列に並んだ。メキシコではよく見る光景だ、懐かしい。


「ひ、ひ、ひいいいい」


 哀れにもひとり残され、叫び声をあげたロングボウの射手は、決死の矢を放ったがバルバラがちょうどその矢に向かって射撃し、相殺された。彼は次弾を番えようとするが、震える手で矢を取り落としてしまった。こうなれば、残された選択肢は、もはや逃走しかない。目隠しのつもりか、矢筒の中身をバルバラに放り投げ、一目散に茂みの中への潜り込もうともがいた。バルバラは、機械弓の車輪をきしませながら、彼に向かって慈悲無き矢を放つ。

 しかし、その矢の軌道は、俺の予想していたものと異なっていた。男の頭に刺さるわけではなく、彼の肩をえぐるだけに留まり、致命傷を与えることはなかった。木陰に止めてあった馬に飛び乗り街道を走り去っていった。


「どうした?外れたのか?」

「いや、わざと外したんだよ。エレナ、出てきていいよ。」


 バルバラの声に呼応するように、おかみさんとエレナが地下室から現れた。


「エレナ、アタシの固有術式、感知できるだろ?」

「まあ、あんたのカラフルでうるさい術式ならわからなくもないけど…?」

「どういうことだ?」

「最後に放った矢じりに、アタシの魔力術式を込めた薬を塗っておいたのさ。エレナなら、アタシの固有術式が見えるだろうから。その矢が刺さった奴を生かして返せば、その術式の気配を追って盗賊のアジトが発見できるって仕組み!さすがバルバラ様って、ほめてもいいんだよ!」


 なるほど、わざと生かして返したのか。エレナの魔力が見える技は、誰の術式かって判別もできるのか。というか、エレナの技の特徴、バルバラはよく理解しているんだな。


「エレナ、それにニア。アタシとアジト潰しいかないか?アタシ一人だと、おかみさんを護衛するのが精いっぱいだけど、あんたたちがいたら、最近この辺りを荒らしてる奴らを根本から絶てる!」


 まあ、そうなるわな。俺はエレナと顔を見合わせた。


「エレナが良いなら、オレは別に構わないが」

「バルバラのペースに乗せられるのは癪だけど、まあ、ニアちゃんがいいなら。それにおかみさんにはお世話になったし。」


 エレナは正気に戻って、俺に向き直った。


「それにしても、ニアちゃんのその寝間着、ひまわりの柄でかわいいけれど、どうしたの。私の荷物にそんなのなかったでしょ。」


 俺がおかみさんから借りた服が気になるようだ。さすがに酔いつぶれたエレナの荷物を勝手に漁るほどデリカシーが無いわけじゃあない。


「ああ、おかみさんに借りたんだ。」

「もしかして、おかみさんの娘さんのやつですか?たしか、前にここのお世話になってる時は、近くの村で住み込みの仕事してる娘さんのお話を聞いたけれど。お元気なんですか?」


 おかみさんとバルバラの顔色が変わったのがわかった。ただならない雰囲気が立ち込めるのを嫌でも感じる。


「え、エレナ・・それは・・」


バルバラが言い淀むが、おかみさんが意を決したようにしゃべりだした。


「そうよ。それは娘の服。ひまわりが好きだったのよ。あの子はね、死んだの。3か月前に出稼ぎ中に殺されたの。発見した人たちいわく、最近現れた、ならずものの仕業だろうって。」


 おお、フ〇ッキンジーザス。やはりこの世界は荒れ果てた地獄だ。サボテンの棘が容赦なく人の心を蝕み、弱いものから毒蠍の餌食になる。そして最後はハゲワシが死肉を啄ばみ骨すら残らない。


「だ、旦那さんはどうしているんですか。たしか帝都に単身赴任してるって。娘さんが亡くなったっていうのに、帰ってこないんですか。」


「一度葬儀に返ってきたんだけど、すぐに仇を討つといって出て行ってね。騎兵隊で魔導騎兵やってたくらい、腕に自信がある人なんだけど、それから全然帰ってこないの。きっとあの人ももう、ならずものの手に掛かって・・・」

「それでギルド宛てに、ならず者の略奪が収まるまで、おかみさんを護衛する依頼が舞い込んできてね。アタシが受けて用心棒してるってわけ。さすがにこんな危ないところに、お世話になったおかみさんを一人にしておけないって。でも、アタシもいつまでもここにいられないから、いつかは根本を断つ必要があったってわけだ。」


 エレナが神妙な面持ちでバルバラに返す。


「終わらせましょう。旦那さんの無事は保証できなくて申し訳ないけれど、おかみさんが安心して生活できるように。」


 バルバラもエレナも、熱意に燃える目を浮かべるが、おかみさんただ一人が、心配そうな顔をしている。


「私、ニアちゃんが来た時に、背丈が似てたせいもあって娘と重ねてしまって。つい、とってあった娘の服をお貸ししてしまったの。気持ち悪かったら、ごめんなさいね。私が言うのもおかしいかもしれないけれど、あんまり危険なことはしないでほしいの。もちろん、バービーちゃんも、エレナちゃんも。」

「ありがとうな、おかみさん。でもオレは大丈夫だぜ。」

「そう。あたしもエレナも、そしてニアも、ギルドの傭兵さ。降りかかった火の粉は振り払うのが流儀ってもんさ。」


 俺とバルバラが声高らかに宣言したところで、エレナが何かの様子に気づいたようだ。


「それより水を差すようでわるいんだけど、ピーナッツバター…」

「パンに塗るな!そいつを言うならドーナッツシューターだぜ。なんだよエレナ。」

「この吹き飛んだ扉、穴が開いた壁、死体の山を、出発前に、ひとまずどうにかしないといけないわね。」

「あー…いまごろ二日酔いが…って言い訳はさすがに通用しないよな…」

「せっかくバルバラがマーキングした奴を見失わないうちに、片づけねぇとな。」


 いつのまにか空高く昇っていた太陽に向かって、祈るかのようにひまわりが咲いている。きっと生前、娘さんが植えたのだろう。主を失ってなお誇り高い花は、ひっそりと虚ろに揺れていた。

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