第3話 BANの弊害

間黒まぐろ警部、宜しいでしょうか。この複垢なんですが……」


 女性部下の伊倉いくらが差し出してくるタブレット端末の画面を、間黒は書類仕事の手を止めて覗き込んだ。そこには、ここ数日以内にネットカフェから作成されたらしき、五つほどの複垢に関する情報が整然と並べられている。いつもの伊倉らしい、行き届いた仕事だった。


「なるほど。巧妙なカモフラージュだな」


 間黒がを一目で見抜いて言うと、伊倉は「そうなんです」と頷いた。


「本垢の目星が付けられなくても複垢のBANには支障ありませんが、カモフラ先がこれだけ多いと、コンテストのランキングに影響を及ぼす可能性もあるかと思いまして」

「ふむ……」


 伊倉がリストアップした複数の複垢は、いずれも登録の同日に十から二十ほどのコンテスト参加作品を立て続けに評価していた。その中のいずれかの作品の作者が犯人ホシという公算ことになるが、どの作者が犯人なのかを絞り込むのは難しい。何しろ、この犯人が施したカモフラージュ工作は、仮に簡潔に表現するなら、こんな具合なのである。


 【複垢1】ラブコメ作品A・現ファン作品B・現ドラ作品C・SF作品D・ホラー作品Eを評価

 【複垢2】ラブコメ作品A・現ドラ作品C・SF作品D・ミステリ作品F・現ファン作品Gを評価

 【複垢3】ラブコメ作品A・現ドラ作品C・ミステリ作品F・現ファン作品G・ホラー作品Hを評価


 こういうことをやられると、どの作品の作者が犯人なのかを見極めることは極めて難しい。この例で言えば作品Aか作品Cの作者が怪しそうだが、そこまで考えて他の作者が工作をしている可能性も否定できない。


 ……だが、まあ、そんなことは今ここでは問題ではない。本垢の目星が付こうが付くまいが、複垢をきっちりBANするのが複垢警察の仕事である。

 今回の犯人ホシはわざわざアカウントの数だけネットカフェをハシゴしたらしく、また、IDやメールアドレスも全て別々の人物に見えるように細工をしていたが、ログインパスワードが全アカウント共通になっていた。表に出ない部分は手を抜いても大丈夫だとタカをくくったのか、単にそこまで気が回らなかったのかはわからないが、複垢捜査官の目には杜撰ずさんな不正行為が筒抜けだ。

 そう、だから、これらの複垢をBANすること自体は何の問題もないのだ。伊倉が気にしているのは、BANがランキングに及ぼす影響のことだろう。


「確かに、これだけ多くの星が一度にになると、ランキングにも変動が出るだろうな。カモフラージュに使われた作品の作者には気の毒な話だ」


 複垢がBANされると、そのアカウントからの評価は単にゼロに戻るだけではない。複垢を使用した不正者へのペナルティとして、BANされた分だけの星が逆に持ち点から引かれるアルゴリズムになっているのだ。

 問題は、今回のように、不正者が自分以外の作品にも星を入れるカモフラージュを行っている場合、その作品まで巻き添えでペナルティを受けてしまうことである。


「ええっ、そんなの、巻き込まれた作者が可哀想すぎるじゃないっすか!」


 新人の佐門さもんが横からやかましく口を挟んできた。まったく、この若者はまだまだ甘い。そういうことを気にしていては、複垢捜査官の職務は全うできないのだ。


「伊倉。これらの複垢は即刻BANだ」


 心を鬼にして、間黒は宣言した。


「複垢の証拠がある以上、BANは規定通りに行う。それが複垢警察われわれの仕事だ。巻き添えになる作者が可哀想だとか、そういう価値判断を差し挟む権限は俺達にはねえんだよ」

「そうですよね。そう仰ると思っていました」


 伊倉は顔色一つ変えずに頷いた。佐門はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、間黒が「受け入れろ」と一言ひとこと言うと、彼は「はい……」と項垂うなだれて仕事に戻った。

 若者の双眸そうぼうに、かすかに暗い色が差したのを、間黒は見逃さなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 事が起こったのは翌日だった。朝、間黒がいつものように出勤すると、伊倉が青白い顔をして彼のデスクにやってきたのだ。


「警部、見てください。この作品なんですが……」

「なんだ、こないだ佐門が騒ぎ立ててたやつじゃないか。……随分、ランキングが下がってるな」


 伊倉のタブレットに表示されていたのは、例の「エンジェル☆りりか」とかいう地下アイドルの作品。二万人ものTwitter信者フォロワーに投票を呼びかけ、ランキングの恋愛部門一位を連日占拠しているシロモノだった。先日、新人の佐門はこれを見て「複垢に違いない」と騒いでいたが、複垢ではなく信者票ということで納得できる現象だった。

 だが、今見ると、その「エンジェル☆りりか」の作品のランキング順位が急落しているのだ。昨日まで一位に居座っていた筈の作品が、今日は二百位台。恋愛部門の最下位に近い順位である。


自動オートBANの記録は?」

「こちらです。昨日の二十時頃から二十二時頃にかけて、同一IPの新規垢からの評価が都合四十件。星数にして百二十になります。いずれも評価直後に自動検出でBANされています」


 伊倉が見せてきたのは、昨夜の内に大量の不正アカウントが「エンジェル☆りりか」の作品を評価し、直後に自動オート・不正検出クラックダウンシステムによってBANされていった記録だった。同じネットカフェから手抜きのメールアドレスで連続作成された、あからさまな複垢だ。こうした明白で単純な不正に関しては、わざわざ間黒ら複垢警察が出張るまでもなく、一般の管理部署による機械的な対処で事足りるのだ。


「警部。これは作者本人がやったのでしょうか、それとも……」

「……この作者は、既に信者票ブーストで連日一位に君臨していたんだ。よっぽどのバカでもない限り、自ら不正に手を染める理由はない。……熱心な信者の一人が暴走してしまったのか、あるいは……」


 あるいは、の後を間黒は口にしなかった。伊倉には「ご苦労」と言って通常業務に入るよう指示し、間黒自身もひとまずこの件を頭から追い出して、溜まっていた捜査調書の作成に取り掛かることにした。


 ……そういえば、佐門は?

 新人の姿が見当たらないことがふと気になり、間黒は室内を軽く見渡してから、彼が今日は非番だったことを思い出した。


「……まさか、な……」


 間黒の小さな呟きに反応した者は、誰もいなかった。

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