第2話 裁けぬ悪

間黒まぐろ警部! コイツ、絶対複垢ですよ!」


 間黒が自分の席で捜査調書の作成をしていると、新入りの佐門さもんが鼻息荒く彼の元へとやってきた。

 佐門が手にしたノートパソコンには、とある作品の評価欄が表示されている。


「これ見て下さいよ、警部。昨日と今日だけで、新規垢しんきあかからの星が三十件以上も! それも、ほとんどのヤツが、コイツの作品一つしかフォローも評価もしてないんすよ。どう見たって複垢に決まってますよ!」

「わかったわかった、ちょっと見せてみろ」


 間黒は彼のノートパソコンを手元に引き寄せ、その作品の評価欄にサッと目を走らせた。確かに、明らかに新規登録と思しき、ハンドルネーム未設定のアカウントからの評価がずらりと並んでいる。

 だが、それだけで複垢と決めつけられるものではない。間黒は作品の概要ページに飛び、さらに作者プロフィールに飛んで、作者の素性を確認した。

 二日前に登録されたばかりのアカウント。登録名は「エンジェル☆りりか」とある。Twitterアカウントが紐付けられていたので、間黒は直ちにその作者のTwitterにアクセスして、そして確信した。


「佐門。残念だが、こいつはシロだ。複垢じゃねえよ」

「ええっ!? 何すかそれ! こんな不自然な星の入り方、複垢に決まってるじゃないすか!」

「いいからコイツのTwitterを見てみろ」


 ぐいっとパソコンの画面を向けると、部下は怪訝けげんそうな顔でそれを覗き込んでくる。

 上目遣いの自撮りアイコン。「地下アイドルやってまーす」というフワフワした感じのプロフィール。フォロワー数は二万人超。固定ツイートには「今日から小説を書き始めちゃいました。応援よろしくお願いします♪」という文言。


「評価を入れてんのは、コイツの信者ファンだろう。複垢警察われわれの取り締まり対象外だよ」

「……そ、そんな……」


 顔面蒼白になる佐門。そんな新入りの様子に、近くの席でカタカタとパソコンを打っていた女性部下の伊倉いくらがクスッと笑って言った。


「佐門君、怪しい作品を見つけたときは、まず作者の情報をくまなくチェックすること。複垢捜査の基本の基本よ」

「く……。す、すんません……」


 佐門は間黒と伊倉にぺこりと頭を下げたが、しかし、彼の表情はまだ納得いかないという様子だった。

 間黒にも彼の気持ちが分からない訳ではない。見たところ、「エンジェル☆りりか」の作品は、投稿開始から僅か二日で、コンテストのランキングの上位に躍り出てきたらしかった。まごうことなき信者票ブースト。他のコンテスト参加者達からすれば、たまったものではないだろう。

 だが、しかし。複垢警察はあくまで複垢を取り締まるのが仕事。外部から信者を連れてきてランキングを荒らす行為の是非になど、踏み込む理由も資格もないのだ。


「佐門君、教えてあげるわ。な複垢っていうのは、こういうのを言うの」


 伊倉がパソコンの画面から顔を上げ、後輩を手招きした。

 佐門が後ろに回って画面を覗き込むのを待って、伊倉は語り始める。


「この作品を評価してるアカウントのIPと端末情報を一覧にしたものが、これ。よく見て。IPは全部バラバラだけど、いくつか、同一端末からアクセスしてるアカウントがあるでしょう」

「……マジっすね」

「そして、同一端末アカウントのIPアドレスから、接続地を割り出したものが、これ。見事なまでにビジネスホテルのフリーwi-fiばかりでしょ? きっと、犯人ホシは出張の多いビジネスマンか何かで、行く先々のホテルでノートパソコンから複垢を作っては、自分の作品に星を入れているのね」

「……すげぇ……こんなことまで分かるんすね」


 佐門は伊倉の手腕に目を丸くしていた。上司の間黒から見ても、伊倉は優秀な捜査官だ。佐門には早く彼女のようになってもらいたいものである。


「じゃあ、この証拠をもとに、一気に本垢ごとBANするワケっすね!」

「……そんな簡単にいったら苦労しないわ。確かに、これらの複垢はすぐにでもBANできるけど……今の段階では本垢のBANには踏み切れない」

「えっ、何でですか!? この作者が複垢してんのは明らかじゃないっすか」

「あたしもそう思ってるわ。ただ、それはあくまで『』という話であって――証拠があるわけじゃないでしょ。複垢と同じ端末から本垢にログインされたことはないし、メールアドレスやパスワードの文字列を同じにしてしまうようなヘマもしていない。残念だけど、この状態で本垢をBANすることはできないのよ」

「そんな……。こんなにあからさまにやってるのに……」


 佐門が今まさにぶち当たっているそれは、新人の複垢捜査官が一度は直面する壁だった。

 複垢警察がいかに強力な捜査権限を有していようとも、この世の全ての複垢を裁くことはできない。その現実を知り、乗り越えてこそ、初めて一人前の捜査官になれるのだ……と、間黒は部下達の会話を聞きながら思った。


「で、でも、ホラ、こないだみたいに強制捜査ガサ入れすればいいじゃないっすか。コイツの家に突入して、本垢に使ってるパソコンと、複垢用のノーパか何かが、どっちもコイツの所有であることを突き止めればいいんでしょ?」

「現時点ではそれもできないわ。少なくとも、同一IP・同一端末からの多重アカウント使用の証拠を事前に押さえていない限り、当局うえからの強制捜査令状は下りない……。どうしようもないのよ。複垢警察あたしたちがコイツに対して出来るのは、これらの複垢をBANして、ちゃんと見張ってることを思い知らせるだけ」

「なんか……悔しいっすね。そんなことしたって、コイツはもっと巧妙な複垢を作ることを考えるだけでしょうに……」


 若者は握った拳を小さく震わせていた。間黒も、伊倉も、他の捜査官達も、皆この葛藤を超えて一人前になってきたのだ。

 その後、間黒は、伊倉から上がってきた強制退会処分の申請書に判子はんこをつき、くだんの複垢どもをこの世から葬り去ることを承認した。先ほど佐門が言っていたように、そんなことをしても犯人ホシが反省して複垢使用をやめるとも思えないが、それ以外にどうすることもできなかった。

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