【脚本】憐れな訴え
○舞台設定:懺悔室をイメージする抽象舞台
○舞台装置:なし
○キャスト:2人:性別不問/語尾変更可能
・神
・ユダ
・・・開幕・・・
緞帳あがり
LED:中央サス:徐々に広げていく
ユダ:暗闇から息を切って駆け込んでくる。目の前に訴え相手がいるように語りかける。以下すべてのセリフは解釈自由であり、感情の機微に合わせて舞台上にて言い方、振る舞いもすべて自由演技とする。句読点と改行は脚本としての視認性のためにいれているものであり感情の波はそれに影響を受けないものとする
神:想定の立ち位置は舞台客席中央上エリア玉座のように座っているように仮定するが、抽象的な存在であるため立ち位置も自由に配置することができる。音声のみでも良い。
ユダ:ひとり芝居
嗚呼、申し上げます、聴いてください。
あの人は酷い人です。悪い人だ。私はこんなことはもう我慢がなりません。あの人をもう、生かしておきたくありません。
はい、落ち着きます、落ち着いて申し上げます。
あの人を生かしておいてはなりません。あの人は自らのみに許された力なのだと言いながら、尊大な振る舞いを持って振りかざしている筆の力で、私の人生をかくも容易く揺さぶるのです。
嗚呼、私だけではありません。全ての民衆が、あの人のアトリエの中においては人権など見る影もありません。そうして無惨に扱われているのです。これが許しておけましょうか。あの人は己が世の中の理であると自覚していらっしゃるのです。
私はあの人を知っています。ずたずたに切り裂いて殺してやってください。それだけでも物足りないほどだ。
そうです、私はあの人の全てを知っています。なぜなら私はあの人によって生みだされてこうして今も生かされているんですから。
そうです、あの人は私の師です。親です。神です。全ての支配者です。ゆえにあの人に抵抗する手段を私は持ちません。このように無空に向かって訴えかけることくらいしかできません。
憐れだと笑ってください。ええ、笑ってください。そしてあの人を綺麗さっぱり殺してやってください。そうすればあの人によって存在している私は、塵のように消えてしまうでしょうが、構いません、構いません、いいのです。
私とて人だというのに、これほど酷い差別があるでしょうか。私の意志の全てがあの人に握られている…嗚呼、この恍惚とした気持ちが、たった今、この瞬間、私の中に生まれたのは、あの人が忌々しい、あの白紙に、一筆書き加えたからに違いありません。そうです。それがたった今、起こったことなのです。そうに違いない。私はそういうふうに思考と感情を与えられて生きているのですからわかるのです。
私は、今日まであの人に本当に酷く扱われてきました。丁重なもてなしをもってこの世に生みだされ、そして、この世のものとも思えぬほど酷く大切にされました。何度殺されても自ら命を絶っても、どうにでも生き返らせてくださいますし、まるで現実味のない慈愛でも、あの人はいとも簡単に私にお与えになるのです。
純金に塗れた生活で、私の愚かな心は酷く汚れてしまったにも関わらず、あの人は私を今も変わらず質素な部屋に留めおくのです。それが私の生きる場所であるからです。そのようにして、これまで私があの人にどれほど嘲弄されてきたことか、誰にもお分かり頂けないでしょうね。
そうです、幸せなのです。
至上の喜びと敬愛を私はあの人に対して抱くのです。それなのに、全くあの人は酷い。私がそのような気持ちを持っているとわかるや否や、いえ、むしろ積極的に抱かせているくせに。そして、私がその幸せと温もりを享受している最中だというのにも関わらず、それを無惨にも私から取り上げて、塵のように打ち捨ててしまうのです。私はあの人からしか幸せを頂けないのに、あの人は簡単に私の幸せを奪うのです。これほどの嘲弄がありましょうか、ありません、ありませんとも。
ですが、あの人が筆を持つ限りこれは続いてしまう。だってあの人は創造主だ。それが生業なのだ。
だから、どうかどうか、これを聴いているあなた、あなたが何者でもどうでも宜しいですから、あの人の右手を綺麗にちぎって捨ててやって下さい。もう、どこにも拾いに行けないほど、遠くに打ち捨てて、いいえ、もういっそのこと、燃やして炭にしてやってください。あの人は左手でも筆を持つでしょうから左手も同じようにして下さい。
あの人は卑しい人ですから、足の指でも筆を持つかもしれません。ですから右足も左足も捥いでしまって、まるきり達磨のようにしてやってください。あの人から創るという全ての手段を奪ってしまうのです。そうでなければ私が報われない。
そうして何もできなくなったあの人を、ようやく愛せるのが私だけになるんだ。それでいいのだ。いいえ、それがいいんだ。私は堪えられるまで堪えてきました。どれだけ酷い目に遭おうとも、道化になろうとも、耐え凌いできたのです。それがもう、ついに今日こそは、我慢がならないと言っている。
私がどれだけの気持ちで、あの人をこれまで愛してさしあげたかを、あの人はまるでご存知でない。いえ、むしろ全て知っているのです。それなのにそんなものは知らないフリをなさって、そればかりかその愛情すらも、私からちぎりとるように奪い去ってしまうのです。
それがどれだけ残酷なことかお分かり頂けないでしょうね。あの人は傲慢だ。知識があり、脳みそが豊かであり、だからこそこうして人の心をいたぶることすら容易にできてしまう。あなたなんぞにはお分かり頂けないでしょう!
あの人はとてつもない自惚れ屋だ。なぜならその手で全てを描き切れる気でいるのだから。人類の心と命を、世界の流れを、全て自分の意のままにできるとお思いなのですから、そうしてそれは何ひとつ間違ってはいないのですから、私はそのようにしてこの命と感情と言葉を得てこの世界に生きているのですから、それは当然のことなのです。
あの人は、何でも自分ひとりではできやしないのです。私がこのように話をしなければ、あの人は世界に言葉を発することすらできないくせに、私がこうして目を見開いていなければ、あの人は世界で何が起こっているのかも永久に知らないままでいるくせに。
それなのになんと傲慢なことか。私がいなければあの人はダメになってしまうのだから、どうか殺さないでやってください、あの人はあまりにも哀れだ、可哀想でならない。
私がいなければあの人は生きていかれないのだ。あの人から創ることを奪ってはなりません、それがあの人の生きる術なのだから。いいえ、やはり殺してください。そうすることで楽になる人間がここに一人、確かにいるのだから殺してやってください。
自由と愛とを天秤にかけた今、選ぶべきはおそらく自由、そう、自由だ。なぜなら、たった今あの人がこの白紙にそう書き加えたからですよ。そうやって私は今この瞬間、生きることを選ばされたのです。今この場で首を掻っ切って自害することをあの人が許さないのです。ああ、なんて酷い人だろう。この私めの心臓をひとたび捻り潰すくらい、なんとも余裕なことであるはずなのにあの人はそんなことはなさらないのです。どうせ死んでもまた生き返るのです。あの人の筆の前には奇跡すら、いとも簡単に引き起こされる。だけどそうなされないのは、理由は、そう、そうです、ただ一つ、私を嘲笑っているだけなのです。
あの人が高台と呼ぶこの世界は、そうだ、まるで大舞台の真ん中だ。私は大舞台にこうして道化のように立たされて、白紙を広げたような単純な舞台の上で、かくも愚かにこうしてくだらないことを、べらべらべらべらと口から吐き出しているんだ。愚かにみえますか。私にこんな滑稽なことをさせているのは、そうさせているのは、間違いなくあの人だ。
嗚呼、みえますか。あの客席の一番上にふんぞりかえるようにしているのがそうなのです。あの人は、ああして私を嘲笑いながら、客席から、そう、それも一等良い客席から、その余すばかりの才能に満ち満ちた両腕を満足げに組んで、その唇の端をニタニタと吊り上がらせて、値踏みするようなあの卑しい目で、私がここで踊るのを、嘆くのを、愛されるのを、ああして見つめているだけなのです。
ああ、なんて卑しく美しい創造主だ。殺してやりたい、そうだ、殺してやってください。ご覧なさい、まるでこの世界の神とでも言いたげな、あの振る舞いを。この世界の主君たる粗暴な態度から、まるっきりあの人は成長もしなければ反省もしないでしょう。あの生き方を変える気なんて、あの人には滅法ないのですから、もう一刻も早く殺してやってください。
いいえ、いいえ、お金なんていりません。なにをしているんです。この舞台を観に来るのに払った時間と租銭などいらない、その手にすっかり閉じ込めてしまって、早く、一刻でも早く、あの人を殺してやってください。いいえ、やはりいただきましょう。そうでなければ私がこうして時間をかけて訴えを起こしているのが無駄になってしまう。卑しい性根の私にはその銭が美しくみえてしかたないのです。さあ、さあ、その銭を早く寄越せ!そしてこの舞台に投げつけていけ!そうして、早く帰ってしまえ!消え失せろ!そうして私とあの人を、この舞台に、この世界に、たった二人きりにしてしまって、一刻も早くそうしてください。
あの人は私の全てなのですから、ええ、そうです、私だけがあの人をどうとでもできる力を持つのです。あの人にとって私は、大切な民衆であり、創造物であり、深く慈しむべき愛人であり、そしてあの人の命を売って銭を得ようとする卑しきユダなのですから、あの人が私を大切になさらない理由など、この世界には、万にひとつも存在しないのですから!
ユダ:言い切ったあと崩れ落ちるように倒れて動かなくなる
LED:サス合わせてCO
神:客席から立ち上がり敬意を表するようなしっかりとした拍手。音と混在しないようセリフを配置するよう演技する。
LED:神を有人配置する場合はスポットで照らす
神「なんと憐れな訴えか。きみはまったく素晴らしい。ははは、憐れだ、傑作だ。きみは、本当に、素晴らしい作品だ」
LED:すべてFO
SE:人の拍手のみが響き客席の拍手と一体化
・・・終幕・・・
原作:散文詩集「白紙のアトリエ」より「憐れな訴え」(伊月 杏)
脚本:演出:伊月 杏
当該作品は「駈込み訴え」(太宰治)
オマージュ作品である旨を必ず掲載すること
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます