袖に喝采

伊月 杏

【脚本】神様のティータイム 1幕

○舞台設定:抽象舞台:空間のみが続く場所 

○舞台装置:箱馬1

○キャスト:1女/2男



・・・開幕・・・



緞帳上がってから5秒ほど動きなく空白

(観客に戸惑いが生まれた頃合いを見て)



男「ああ…おはよう」(声のみ)



男:立ち位置:理想はピンマイク所持のうえ、客席中央上エリア音響卓付近またはセンター前方席から座ったまま演技。センターの花道の位置を設置できるならばそこが良い。もしくは見えない場所からでも良い。ただしサイドは使わない。別フロアになる場合はできるだけ客席から近い音量を維持できるよう音響担当は事前に箱と調整すること。



LED:中央サス:スポットやや細め7−8割

光量0から100までゆっくりとあげていく

(女の目覚めとリンクさせる)


舞台上:中央に箱馬1つ


女:座って前を向いた姿勢でロボットや人形のような無機質さを保つ。顔はややフロントサスが当たり鼻から下半分が影になる角度



男「おはよう」(先程と変わらない声色:指定なければ常に一定のトーンを保つ)

女「…おはようございます」(蚊の鳴くような声)

男「聞こえないな。挨拶は聞こえるように、と僕は教えているはずだ。それとも、そこからもう一度教えるべきか?おはよう、と僕が言っているんだ」


女「おはようございます」(先程よりしっかりした声ではっきり答える)



女:感情はない/男:やや愉快を含む調子

此処からレスポンス早め一定のテンポを保つ



男「身体の調子はどうかな」

女「問題ありません」

男「精神面は?」

女「問題ありません」

男「感情は?」

女「ありません」

男「悩みは?」

女「ありません」

男「君の存在意義は?」

女「ありません」

男「僕への感情は?」

女「ありません」


男「それならいい、今日の君は美しくまっさらに生まれてくれたようだ」

女「今日の私はどうすれば良いでしょうか」

男「そうだねぇ、君には…今日は喜びというものを知ってもらいたい。どうせ明日には記憶から消えてなくなるだろうが、その身に植え付けておくということが何よりも大切だ。何度消えても細胞に刻みつけた物事だけが君の辞書となるんだよ、わかるかい」


女「はい」


男「それではまず辞書の紐解き方から思い出してみようか。君は、誰だったかな」


女「(一拍)わかりません」

男「(軽く笑い)悪い子だ。そんなに早く思考を放棄してはいけない。僕はこれまで君に諦めの感情を与えたことはないはずだ」

女「申し訳ありません…私は」


女:数秒固まる


女「私は…何者でもありません」

男「そう、それで?」

女「私はこの世界に生まれたばかりで、目覚めたばかりで、何も持っていなければ、何も成し遂げてもおらず、誰にも求められないどころか、誰も私を知りません」


男「ふん、平均点といったところかな。君の推測は概ね正しい。起き抜けの頭としては非常に優秀と言ってもいい。ただしひとつふたつ、訂正しておこうか。僕だ。僕だけが君を知っている。そして君は僕のことだけを理解する。そこは君の間違いだ。今すぐに訂正しろ、今すぐ、だ」

女「はい、私はあなただけが知っている存在で、あなたは私の世界です」

男「よろしい。それではもうひとつ質問だ。君を知るものがこの世界にいないということがつまりどういうことであるか…その頭で考えて、言葉で説明してごらん」


(呆けたように数秒空中を見つめる)


女「私は…私には、友人がいません。家族がいません。知人がいません。理解者は…」

男「今は一旦、僕を除外して考えていい」


女「はい。私には理解者がいません。理解すべき相手もいません。なぜならこの世界において私はたったひとりであり、誰かと結託する必要がないからです。おとしめるべき価値のある相手もいません。他人に介入せずに生きていけるということはすなわち、他人に介入される恐れがないということでもあります。私に恐れはありません。他人に見捨てられることがありません。ですから恐怖を知らないまま生きていけます。私は誰かを理解するために悩む必要がなく、誰かの顔色を伺う必要もありません。そうして私は自分自身の世界に誰からも干渉を受けることなく、穏やかに何もせず、この血を巡らせ、心臓を動かすことのためだけに生きています」


(男はほう、とため息混じりで感心したような息を吐く)


男「素晴らしい。今日の君はいつもより冴えている。つまり、昨日の君より、ということだ。昨日の君は随分酷かったからね。君にいっても仕方のないことだが…昨日の君には下劣な下心があった。私を誘惑し何かを得ようという感情だ。それはそれでヒト臭く面白かったが、ただそれだけの存在だ。汚れた人間の心なんてものはこの世界のどこにでもありふれていて、とうに見飽きてしまったからね」


男「僕は5分も経たずに昨日の君を千切り捨てたよ。しかしどうだ、今日の君はこの時点で5分生きながらえた。何より僕の機嫌を5分間も損ねずに生きたのだから、これはとても有意義であり素晴らしいことだ。これまでの最長記録じゃあないかな?いや…違うな。前に一度、全くの“無”を作った時は今よりも長く生きたはずだ。もっとも、自分で何も考えられずに無言のまま、僕との我慢対決のようになってしまった…結局、ソレはつまらなくて千切り捨てた。そう、何もないというのは潔白とは違うことだ。面白みがないということは、恐ろしいほどの罪だよ」


(女:何も言わない)


男「なるほど、さかしいところもあるようだね。何も言わないというのがその証だ。低俗な者は褒められたら、更なるご褒美を欲して、薄っぺらい感謝を述べてみせるものだが…今日の君はとても純粋だ。それでいい。無知にまさるものはない。人など何も知らない方がいいんだ。無知こそ最高のほまれであるということだけを知っていればそれでいい」


女「はい」


男「今日の僕は機嫌が良い、わかるかな。この時間まで持ち込んだのは君が初めてだ。それじゃ、目覚めのティータイムとしよう。君について語り合う為の時間だ」


(女:少し驚く仕草 躊躇うように少し動く)


男「(軽く笑う)初めてだから少し驚いたかな。別にマナーなど知らなくても良いよ。教えたことがないことはしなくていい。それから今日の君にはあとで名前をつけてあげよう。なに、ただの餞別せんべつだ」


女「あ…っ…わ、私は何も持たずにいるべきではないのでしょうか」


男「なるほど、良い疑問だ。君は何も持たずに生まれてくるべきだったが、何か与えられたら、口答えはせずにそれを享受きょうじゅすべきなんだよ」(男は怒りは露わにしないが少し声を大きくする)


SE:紙を破く短い音

女:ほんの一瞬、衝撃を受けたように縮まる

舞台装置:白紙の隅の小さい三角が千切られ、女の上から一枚、振り落ちる


女「…わかりました、ありがとうございます」

男「よろしい、それでは君にとってはじめての朝をはじめるとしよう」



LED:ゆっくりFO:暗転(一幕:終)

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