第9話 戦いの決意

「あれは、五年前のクリスマスの夜……。大会の賞金が入ったからって、お姉ちゃんがあたしを街に連れ出してくれた……その帰りのことだったわ」


 冷たい冬の風が吹き付ける屋上で、コトハは語る。その水晶の瞳を悲愴な色に染めて。


「突然、白装束の男達がお姉ちゃんの前に現れて、脅してきたの。これからも五体満足で語彙大富豪を続けたければ、大会での八百長に協力しろって……」

「……ひでえ話だ」


 コトハのすぐ目の前に立つ言悟には、彼女が自身の二の腕を片手でぎゅっと握る、そのブラウスの布の軋む擬音までも聴こえてくるかのようだった。


「もちろん、お姉ちゃんは断ったわ。そうしたら、奴らは……あたし達の目の前で、させて、お姉ちゃんに勝負を挑んできたの」

「語彙が、実体化……?」

「信じられないでしょうね。でも、あたしは確かに味わったのよ。奴らの語彙から生まれた闇が、あたし達を取り囲むのを……」


 普通ならとても信じられる話ではなかった。だが、ボロボロになって雪の中に倒れ、血を吐いて事切れた父の姿を思えば、その非現実的な説明にも不思議と合点がいくような気がした。

 頼りない警察の連中が何と言おうと、言悟も母もあの日から確信していたのだ。黒崎言四郎の死は、断じて通り魔の犯行などではないと。初代語彙大富豪となった父は、それがゆえに何者かから命を狙われたのだと。


「お姉ちゃんは、あたしを闇の外へと突き飛ばして、奴らに立ち向かったわ。だけど、奴らには敵わなかった……。その戦いで昏睡状態になったお姉ちゃんは、今も病院で眠り続けているわ。……その前の日の晩に恋人から貰った、婚約指輪エンゲージリングをはめたままでね……」


 コトハの大きな目から悔し涙がこぼれた。言悟とて、子供の頃に一度大会で見ただけとはいえ、仮にも名前と顔を知っている人物がそんな目に遭ったと聞かされては、心が傷まずにはいられなかった。

 そして、一つの確信めいた考えが、言悟の頭の中に波紋となって広がってゆく。偶然では片付けられる筈がない。コトハの姉を襲ったのと、自分の父を殺めたのは――。


「きっと……同じ奴らだ。オレの父さんを襲ったのも」


 奥歯を噛み締め、言悟が言葉を絞り出すと、コトハは涙に濡れた目を少しだけ見開いた。だが、彼女の驚きの反応はそれだけだった。驚愕というより、むしろ納得がいったというような表情で、彼女は言った。


「……ひょっとしたら、そうなんじゃないかと思ってた。黒崎言四郎の命を奪ったのは、ただの物取りなんかじゃないって。お姉ちゃんがあんな目に遭ったのなら、先代チャンピオンの身にも同じことが起きていてもおかしくないって……」


 そう語るコトハの声は震えていた。両手で自らの肩を抱き、彼女は身体の震えを必死に抑えているように見えた。


「……だから、あたしは、トーナメントで勝ち続けて、奴らをおびき出してやろうと思ったのよ。あたし自身が奴らに狙われるくらいのプレイヤーになれば、きっと奴らはあたしにも接触してくる。その時こそ、あたしは、お姉ちゃんの敵討ちを……!」

「……もういい、百地コトハ」


 言悟は無意識に片手で彼女の言葉を遮っていた。自分より歳上とはいえ、女子の身である彼女がそんな危険を冒そうとしているのを黙って見ている訳にはいかないと思った。

 いや、それだけではない。言悟の中ではじわじわと熱い炎が燃え上がりつつあった。強い怒りの炎、灼熱に吹き荒れる戦意の炎が。

 心の中の何かが叫びを上げている。戦わなければならないと。父の命を奪った諸悪の根源を、この自分こそが追い詰めなければならないと。


「オレも戦う。あんたの分までオレが勝ち上がる」

「えっ……?」

「あんたにだけ重荷を背負わせられるかよ。父さんの無念と、あんたのお姉さんの無念も背負って……オレが戦ってやる!」


 熱い決意を胸にたぎらせ、言悟は宣言した。

 自分の力を試したいという思い。白馬はくばに負けたくないという思い。父の跡を継ぐプレイヤーになりたいという思い。そうした競技者としての熱意だけではない、使命感の炎が、彼の中で強く燃えている。

 勝ち上がってやろう。この戦いの先に、必ず「敵」の正体に迫る道がある――。


「……不本意だけど、今大会はアンタに託すしかないわ。負けるんじゃないわよ、黒崎言悟」


 ブラウスの袖で涙を拭い、コトハは言悟の目を見上げてきた。彼女の澄んだ瞳を見下ろし、言悟はしっかりと頷いた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「強いっ! 強すぎるぞ、イケメン白馬はくば選手! 五枚のカードをストレートで出し切り、白馬選手、決勝戦進出決定ーッ!」


 言悟がコトハとともに会場に戻ったときには、ちょうどあの白馬が第二回戦の試合を終え、割れんばかりの喝采に包まれて大画面の中でイケメンスマイルを炸裂させているところだった。


「いやあ、阿仁川あにかわさん。強いですねえ、『語彙大富豪の王子プリンス』」

「ええ。カードメイキングも詠唱戦術も実にものです。振り返ってみると、この卓は彼が頭一つ抜けていましたねえ」


 実況者や解説者のコメントを聞くまでもなく、白馬の圧勝は、他の三選手の表情を見ればわかる。

 白い歯を見せてにかりと笑う彼を見上げ、言悟はぐっと拳を握った。言悟にはこのイケメン野郎の強さが悔しくもあったが、同時に、という思いもあった。父の――黒崎言四郎の後継者を名乗るのならば、半端な強さであってもらっては困る。


「続いて、第二回戦、西ブロックの試合を開始します! 第一回戦Bブロック通過者、黒崎選手! Fブロック通過者、荒浜あらはま選手! Jブロック通過者、佐野さの選手! Nブロック通過者、寂然じゃくねん選手! 以上四名の対戦となります!」


 アナウンスと会場の熱気に煽られるまま、言悟は試合ステージへと上がった。卓を囲む三人は、一回戦を勝ち上がってきた強者つわものらしい、余裕綽々しゃくしゃくとした自信に満ちて見えた。

 下家しもちゃには、革ジャンのポケットに手を突っ込んで余裕の面持ちで立っている、金髪にグラサンの男。対面には、手元のノートパソコンに視線を落としたまま不敵な笑みを浮かべた、チェックシャツの男。そして上家かみちゃには、紫の法衣をまとい、澄ました表情で立つ、恰幅の良い尼僧にそう。三人が三人とも、それぞれに違った強者の雰囲気を漂わせている。


「これより二分間、デッキ構築タイムとなります!」


 言悟は一回戦で使った五枚のカードに目を落とした。「いすゞのトラック」「意志の炎」「母の愛」「勇者」「光」の五枚だ。なんとか勝ち抜いたとはいえ、このデッキ構築にまだまだ甘さがあるのは言悟も身をもって分かっている。

 特に言悟が自分で考えた「いすゞのトラック」は、辛うじて灰原老人の「ブラックホール」を走破したものの、審査員の裁定は三対二という厳しいものだった。それに、所詮は車両に過ぎないため、返しのターンでの防御力も心もとない。何より、一回戦で見せたばかりの語彙カードを、大会レベルのプレイヤー達がやすやすと二回戦でも通させてくれるとは考えづらい。


(なら……時空間突破系と炎系は一つにまとめて、「火の鳥」で行くか……!)


 父が「ブラックジャック」と並んで愛用していた手塚治虫カードだ。言悟は「いすゞのトラック」と「意志の炎」をカードの束の中に戻し、かわりに「火の鳥」と書かれた一枚を操作盤コンソールの上に置いた。デッキ構築の時間は僅か二分しかない。急がなければ……!


(火力要員は「BLACK RX」か……それを入れるなら、「勇者」は要らない……)


 デッキには勝ちやすい語彙カードを並べるだけでなく、革命下の対策も考えなければならない。詠唱次第で勝つことも負けることも出来る語彙。それならばやはり「119」か……?


(そして……この一枚)


 四枚までのカードを選び出したところで、言悟は灰原老人から託されたカードを見た。父、黒崎言四郎の筆致で書きつけられた、魂の語彙。出し惜しみをしていても仕方がない。この一枚がきっと、自分に力を与えてくれる……!


(決まった。この五枚で勝負だ!)


 言悟が操作盤コンソールにカードをスキャンさせた時には、既に制限時間は残り数秒に迫っていた。顔を上げると、他の三選手はとうにスキャンを終えていたらしく、余裕を含んだ視線で言悟のほうを見ていた。

 冷たい汗が背中を伝う。飲まれたら終わりだ。拳を強く握り締め、言悟は前を向く。


「さあ、四選手とも準備が完了致しました! 第二回戦西ブロック、初期場札の無作為シールド選出が行われます! 初期場札は――『ライオン』! ファーストターンは、『仏罰の代行者』寂然じゃくねん選手!」


 スキャンが最も早かったのは、言悟の上家に立つ尼僧だった。最も構築の遅かった自分が二番目にプレイできることに若干の引け目を感じながらも、言悟は彼女の第一手に注目する。

 強者揃いの戦場だが、怖気づいてなどいられない。どんなプレイヤーが相手だろうと、自分は必ず勝ち抜いて、白馬が待つ決勝まで辿り着いてやる――!

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