第8話 復讐の美少女

「あたしの先攻――ファーストカードは『遺産争い』!」


 白い指に挟んだカードをくるりと裏返して見せつけ、ツインテールの美少女、百地ももちコトハが宣言する。白雪の混ざった冬の風の冷たさに抗うように、燃え立つ戦意の炎をその大きな瞳にたぎらせて。

 数メートルの距離を挟んでいても、その鋭い視線は言悟の肌をじりじりと焦がすかのようだった。


 ――「遺産争い」。二人の境遇をも象徴するかのようなその場札カードを前に、言悟は自分の選んだ五枚の語彙カードにちらりと目を落とした。

 コトハのデッキは、姉の百地イロハが黒崎言四郎との再戦に備えて組んでいたものだという。なるほど、親子の情を主軸とした語彙カードメイキングの多い黒崎デッキを狙い撃ちにするには、親族関係を容赦なくズタズタにする「遺産争い」という語彙は持ってこいだろう。

 だが……。


「何よ、初手から長考? 怖気づいたんじゃないでしょうね」


 裏返したままの「遺産争い」のカードを手札に戻し、コトハがツンと澄ました声で言ってきた。言悟は「いや」と首を振り、迷わず手札の一枚を引き抜く。


「骨肉の『遺産争い』を繰り広げる遺族達を一瞬で黙らせるもの――それは、遺言状に綴られた『父の遺志』だ!」


 言悟がカードを突き出し裏返すと、コトハの顔がハッとした驚愕の色に染まった。その表情にハッキリ書いてある――「しまった」と。

 そう、大会出場レベルのプレイヤーなら気付かない筈がない。「遺産争い」と「父の遺志」、この二枚はの関係であることに。

 語彙大富豪というゲームは基本的に後出し有利と言われる。ある場面ではAという語彙が場札のBという語彙に勝ち、別の場面では場札のBに後出しのAが勝つといったことは頻繁に見られる。先のコトハ達の対戦卓で見られた「イケメン」と「エロトラップダンジョン」の組み合わせなどその最たる例だ。あの時は、既に場に出ていた「エロトラップダンジョン」に対し、白馬が後出しで「イケメン」をぶつけたために、イケメン王子がダンジョンからシンデレラを救い出すという詠唱ストーリーを語ることができたが、逆に「イケメン」が先に出ている状態からの後出し「エロトラップダンジョン」ならば、ダンジョンの罠は容赦なくイケメン王子をも飲み込んだであろう。

 百地イロハが言悟の父を倒すためにデッキに入れた「遺産争い」は、本来なら、「父の遺志」や「母の愛」といった人情系語彙カードを後出しで潰すという想定デザインだったのではないか。それを初手に切ってしまったことで、コトハはみすみす言悟に後出し有利を取られてしまったのだ。

 コトハの頬に差した僅かな紅潮の色が、そのことを如実に物語っている。


「くっ……。それなら、あたしのカードは『ファイヤーメテオ』! 父親の遺言を聞いて仲直りした親族達も、隕石の直撃を受けて全滅してしまったのよ!」

「……何だよ、その乱暴な語彙は」

「ウルサイ! 通ったなら、早くアンタのカードを出しなさい!」


 コトハがますます顔を赤くして声を張り上げる。言悟は躊躇ためらうことなく一枚のカードを手にした。

 流石に元チャンピオンのデッキだけあって、あの「ファイヤーメテオ」とやらも決してざつ火力かりょくだけの語彙カードではない。石属性の語彙でありながら、炎属性を付加エンチャントすることで紙属性への耐性をも持たせている。

 しかし、いかんせん、詠唱の文脈が雑だ。ここに大会の解説者がいれば「芸術点が低い」と言われてしまいそうな、そんな強引なプレイングではないか。


「そんな意味不明なオチは、『夢』だったってことにしとこうぜ」

「ッ……!」


 コトハが隠しきれない悔しさに唇を噛むのが見える。彼女のプレイングは、先程の白馬達との試合の時と比べても、明らかに精彩を欠いているように言悟には思えた。


「どうしたんだよ、百地コトハ。さっきのあんたは、もっと――」

「ウルサイってば! たった二枚通しただけでいい気になるんじゃないわよ。『夢』は寝てるときに見るもの――『泥沼』の中では『夢』は見られないわ!」


 ブラウスの袖に包まれた細腕を伸ばし、彼女はムキになったようにカードを突き出してくる。「泥沼」と記されたそのカードと、キッと言悟を睨んでくる彼女の顔を見て、言悟は一つのことを悟った。

 今の百地コトハは冷静さを見失っている。きっと彼女は取り付かれているのだ。使命というのか意地というのか……姉に代わって黒崎言四郎のデッキをぶちのめしたいという、復讐心にも似た何かに。

 彼女の本来の力は、先程の試合で見て言悟も知っている。白馬には一歩及ばなかったとはいえ、本来の彼女はこんな雑なカードの切り方をするプレイヤーではないし、感情に飲まれてゲームに必要な冷静さを失うような人間でもないはず。

 ならばせめて、喧嘩を売られた自分が彼女の目を覚まさせてやらなければならないか。歳上相手におこがましいだろうが、しかし、きっと、父が生きていたなら、そうしたに違いないだろうから――。


「オレのカードは、『仮面ライダーBLACK RX』! 『泥沼』なんかものともしない!」

「アンタが架空系カードを出すのを待ってたのよ。最強ライダーのRXといえど、『打ち切り』を食らったらひとたまりも――」

「いや。今の特撮ヒーローは、たとえ打ち切りを食らっても、後の世代の映画にしれっと出てくるんだよ」

「!? 知らないわよ、そんなの!」


 コトハの口調に憤慨の色が混じる。だが、語彙大富豪は感情で勝てるゲームではない。

 

「言い返せないならバウンスだぜ。流れて、オレのカードは『119ブラックジャック』!」


 Aエースが二枚と9が一枚で「21ブラックジャック」を詠唱する、黒崎言四郎の優秀な一枚グッドスタッフ。コトハが自身の手札に手をかけるより早く、言悟は付け加えた。


「言っとくが、手塚先生は『ブラックジャック』の連載が終わってからも読切を描いてるからな」

「く……!」


 これで、先程バウンスした「打ち切り」の再提出は封じた。コトハの選択肢は残り一枚!


「なら……いくら『ブラックジャック』だって、『失明』しちゃった患者までは――」

「治してんだよ。短時間限定だけど」


 コトハがかざした最後の一枚、「失明」の語彙カードを瞬時に否決チェックし、言悟は言った。


「……出すカード、もう無いだろ?」


 彼女は何も言い返さないまま、怒りと悔しさが混ざったような視線で言悟をただ睨み上げていた。その華奢な肩が僅かに震えている。ふうっと息を吐いて、言悟は一歩彼女に近付いた。


「さっきの『ファイヤーメテオ』とかいう雑火力、ここに取っとけばよかったんだよ。父さんのデッキに挑むっていうなら、高確率で『ブラックジャック』が入ってるくらい分かりそうなもんじゃねーか。それなのになんで、病気系語彙カードを最後まで残すなんてプレイングを……」

「な、何なのよ!」


 言悟の言葉を遮り、顔を真っ赤にしてコトハが叫ぶ。


「偉そうなこと言って、アンタはその『ブラックジャック』に勝てるっていうの!?」


 自分自身の語彙カードとの勝ち負けを問われることなどないが、それでも言悟は、最後に残った手札をコトハの前で裏返した。あの闇医者にグウの音も出させない一枚を。


「オレの最後の一枚は……『母の愛』」

「……!」


 それを目にした瞬間、コトハは力なく肩を落とした。先程まで彼女の小さな背中から立ち上っていた戦意のオーラが、吹き消されたロウソクのように雲散霧消するのが言悟にはわかった。


「試合でのあんたは強かったよ。だけど……今のあんたには、何回やっても負ける気がしねえ」

「くっ――!」


 言悟が屋上から去るつもりでコトハのそばを通りすぎようとしたとき、彼女はキッと目を剥き、言悟に掴みかかってきた。片手に五枚のカードを握り込んだまま、言悟の学ランの胸ぐらを掴み、百地コトハは声を張る。


「あたしは……あたしは、強くならなきゃいけないのよ! お姉ちゃんのために!」


 その目に涙がにじむのを見て、言悟は思わず息を呑んだ。

 やはり、コトハの姉の身には何かあったのだとしか思えない。高校生の彼女をここまで必死にさせる何かが。


「……何があったんだよ、お姉さんに」


 胸元を掴まれたまま言悟が問うと、彼女はすっと手の力を緩め、やや逡巡する様子を見せてから――

 ぽつり、と、喉の奥から絞り出すように、ことを並べ始めた。


「お姉ちゃんは……襲われたの。を名乗る奴らに……」


 その言葉を聞いた瞬間、ぞくりと言悟の背に悪寒が走った。脳裏に浮かぶのは、幼きあの日、雪の降り積もる道で倒れた父の姿――。


「闇の……語彙大富豪……!?」


 通り魔か何かの犯行として、未解決のまま片付けられてしまった父の死。その黒崎言四郎亡き後にチャンピオンの座に就いた百地イロハが、突如として語彙大富豪トーナメントの表舞台から消えてしまったこと。

 その二つの出来事が、言悟の中で今、確かに繋がったような気がした。

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