第7話 逆詠唱の極意
「さあ、第一回戦Bブロック、これが事実上のラストターンです! 『神』をも倒した黒崎選手の『勇者』は、灰原選手の『闇』に飲まれてしまうのか! それとも、勇者が闇を
大画面に並んで映るのは「勇者」と「闇」の二つの語彙。実況のアナウンスが会場を揺らす中、灰原老人の
チートの力で「神」をも破り、「核」をも寄せ付けぬ力を得た「勇者」。この文脈に対し、灰原の出した「闇」はいわば特効の
(くっ……どうすれば!)
満員の客席からの視線が自分に注がれているのを感じながら、言悟は必死に頭をフル回転させていた。あまり長く考えている余裕はない。本来、防御側には
考えろ――。状況はシンプルだ。後出しの「闇」は「勇者」を破れるか否か。その二択でしかない。
こんなとき、父なら。父ならどうする。初代語彙大富豪、黒崎言四郎なら――。
(! そうだ――)
刹那、言悟の脳裏にハッと閃いたのは、幼き日の父との記憶。ゲームマスター黒崎言四郎の手ほどきをじかに受けた、短くも濃厚な日々の記憶だ。
『へっへー、オレのカードは「警察」! 「ルパン」なんか牢屋にぶち込んでやるもんね!』
『甘いな。こちとら、あのルパン三世だぜ? 牢屋にぶち込まれるくらいどうってことねえさ』
(父さんなら――)
入り組んだ記憶の糸を懸命に辿り、言悟は引き寄せようとする。父が自分に授けてくれた勝利の方程式を。
『「打ち切り」! 「打ち切り」持ってるもんね! 「名監督」もコレには敵わないだろー!』
『ふふん、甘いぜ。何度作品を打ち切られても作り続けるから名監督なんだよ』
(父さんなら、こんなとき――)
『ズルいって、父ちゃん! ヘリクツ言ってるだけじゃん!』
『ズルくねえよ。これが逆詠唱ってやつだ』
(――!)
得意げに口元を吊り上げる父の顔が瞼の裏に浮かんだ瞬間、言悟には、己の語るべき言葉の筋道がハッキリ見えた気がした。
父は、相手の詠唱を無理に否定することはしなかった。ルパンが牢屋にぶち込まれたり、名監督が打ち切りを食らったりする筋書き自体を潰すのではなく、相手の作った状況をまずは肯定し、その上で「その程度ではこの語彙は負けない」と言い返していた。
相手の攻撃を受け流してやり返す「
ならば、一つしかない。ここで自分が語るべき
「『勇者』は……」
己の中の何かに導かれるように、言悟は口を開いていた。
「たとえ『闇』に飲まれても、再び立ち上がれる。何度闇落ちしても最後は光の道に立ち返り、守るべきモノのために戦える――それが『勇者』なんだ!」
力を込めて言悟が言い切った瞬間、会場のどよめきが鼓膜を叩いた。
「お……おおっ! 黒崎選手、灰原選手の闇落ち詠唱を肯定した上でのさらなる返し! これは審査員も認めざるを得ない! 灰原選手の『闇』はバウンスされ、場には引き続き『勇者』! そして――」
全身の血流がかっと燃え立つ気がした。
「一巡して場が流れ、
熱狂のアナウンスに呼ばれ、言悟は手中に残った最後の一枚を卓上に切る。「闇」を撥ね退けた「勇者」が最後に辿り着いた道――「光」という
「おおっ、『光』! 黒崎選手のラストカードは『光』です! この瞬間、誰よりも早く五枚のカードを全て出し切り、黒崎言悟選手、第二回戦進出決定ーッ! 第一回戦Bブロック、これにてゲームセットであります!」
「いやぁ、ラストの流れは実に美しい棋譜でしたね。父親の名を汚すことなく、見事に灰原の試練を乗り切ってみせた。黒崎言悟、今後の活躍が楽しみな選手ですねえ」
客席が拍手と歓声に沸く中、解説者の賛辞の言葉がさらに会場の熱を煽る。言悟は気恥ずかしさに手で顔を仰ぎながら、対戦者達に一礼し、試合ステージの袖に下りた。
灰原老人が、盲目を感じさせない足取りでまっすぐ言悟の前に立ち、にやりと笑って問いかけてくる。
「ゲンゴと言ったのう。字はどう書く?」
「……
「黒崎め。良い名を付けたわい」
そして、灰原は懐から一枚のカードを取り出し、言悟の前に差し出してきた。
「これはかつてワシが黒崎から預かった語彙じゃ。おぬしに返しておこう」
「父さんの、語彙……?」
言悟は受け取ったカードに目を落とした。そこに書かれた手書きの文字は、確かに父の筆致に違いなかった。
「白馬は強いぞ。心して掛かれよ」
それだけ言って老人は
「……爺さん。ありがとう!」
「礼には及ばん。老兵の務めじゃ」
スタッフに誘導されて花道を下がりながら、言悟は今の戦いで得た多くの収穫を噛み締めていた。
時間にすれば二十分程かもしれないが、その短い中に数えきれない教訓があった。初めて味わう公式戦の空気。僅かなミスが
あれを一度も体験せずに白馬に挑んでいたら、自分は為す術なくねじ伏せられていたかもしれない。だが、灰原老人の胸を借り、その試練を乗り切った今なら――。
(見てろよ、白馬。決勝でお前を倒す!)
実の息子である自分を差し置いて「語彙大富豪の
戦意を
「ちょっと、アンタ」
横道から言悟を呼び止めたのは、ツンと澄ました女の声だった。
フリル付きのブラウスにハイウェストの黒スカート。童貞を殺す空気を全身のコーディネートに散りばめた、あの女子高生プレイヤーだ。その彼女が今、片手を腰に添えて仁王立ちし、横道から言悟を睨みつけている。
「えっ、オレ?」
「アンタ以外に誰がいるのよ。ちょっと顔貸しなさい、黒崎言悟」
彼女は有無を言わせぬ勢いで言悟の手首を掴んだかと思うと、そのまま言悟の手を引き、すたすたと廊下を歩き始めてしまった。
「何だよ、おい――」
なされるがまま付いて行きながら、言悟は彼女の名前を思い出そうとする。先程の白馬らとの一戦で彼女の素性は明らかになっていた。かつて父と戦っていた
「百地アゲハ?」
「コトハよ!
彼女が言悟を引っ張っていった先は無人のエレベーターホールだった。百地コトハがそのままエレベーターに乗り込もうとするので、言悟は我に返り、慌てて彼女の手を振り払った。
「待て待て、何なんだよ。オレはまだ二回戦に出なきゃ――」
「二回戦までまだ時間があるでしょ。アンタ、それまでにあたしと一戦付き合いなさい」
「えぇ?」
何を勝手なことを、と言悟は憤りを隠せなかった。向こうの方が歳上なのは分かっているが、いくらなんでも身勝手すぎるではないか。
そんな言悟の苛立ちと戸惑いをよそに、コトハはツインテールをふわりと翻し、何食わぬ顔でエレベーターに乗り込んでいた。既に手は離れているものの、彼女の鋭い瞳は言悟の意識を捉えて離さなかった。
「乗らずに引き返すなら、アンタは黒崎言四郎の名前を汚す腰抜けってことにするけど」
「何だよそれ。ふざけんなよ」
売り言葉に買い言葉で言悟は喧嘩に乗ってしまった。父の名を出されては黙っていられない。
「いいぜ、やってやるよ。吠え面かくなよ、百地コトハ!」
ぐっと拳を握り、言悟はコトハのエレベーターに乗り込んだ。戦えと言うなら戦ってやろうじゃないか――。
白馬への敵愾心や、灰原老人の試練に打ち勝ったことによる高揚感。そして何より、自分の力をもっと試したいという熱意が、言悟の身体を突き動かしていた。
第一回戦の通過は逃したとはいえ、この百地コトハとて大会級の語彙大富豪プレイヤー。黒崎言四郎亡き後の全国チャンピオン、百地イロハの実の妹なのだ。相手にとって不足はない。
「――お姉ちゃんは」
「え?」
屋上階を目指すエレベーターの中、コトハが口を開いた。
「黒崎言四郎との再戦の日に備えて、最強のデッキを組み上げていた。勝ち逃げなんて許さない。この対・黒崎言四郎デッキで、お姉ちゃんに代わって、あたしがアンタに目にもの見せてやるわ」
ポーン、と音がして、エレベーターの扉が開いた。言悟がコトハに続いて踏み出した先は、冷たい冬の風が吹き付ける広大な屋上フロアだった。
他に上がってくる者も居ないその空間に、ただ二人だけが数メートルの距離を挟んで対峙する。
既に五枚のカードを手にしているコトハの前で、言悟は自分の
(オレの選ぶ
あまりの急展開に、言悟にはコトハに問い質したいことが山のようにあった。姉に代わって戦うなどと彼女は言っているが、なぜ姉の存在を過去形で語るのか。元チャンピオン・百地イロハの身に一体何があったというのか。まさか、言悟の父と同じく、あの女性も奴らの魔の手に……?
だが、今はそれを考えるべき時ではないようだった。言悟に唯一分かるのは、眼前に立つコトハの透き通った瞳が、自分との真剣勝負を望んでいるということ。
「……オーケーだ。オレはこの五枚で行く」
敵が「対・黒崎言四郎デッキ」なるものを組んで来たのなら、こちらは父と全く違う方向性のデッキをぶつけて敵の狙いをスカすという戦略もあるだろう。だが、それだけはできないと言悟は思った。コトハが百地イロハの代わりを名乗ったように、自分は今、黒崎言四郎の名を背負ってこの場に立っているのだ。
「行くわよ。あたしの先攻――」
先にデッキを組み上げていた者が先攻を取るのは、真剣勝負の不文律。
萌える白袖から覗くコトハの細い指が、一枚のカードを手札から引き抜く。
「――ファーストカードは『遺産争い』!」
私闘の火蓋が今、切って落とされた。
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