第6話 老兵からの試練

「さあ、引き続き革命環境にて、場には黒崎言悟げんご選手の『母の愛』! 続く岡元おかもと選手、『母の愛』に負ける語彙カードは何だ!?」


 スタジアムの興奮はますますのヒートアップを見せ、四方八方から湧き上がる熱狂の渦が言悟のひたいに汗をにじませる。とても学ランを着込んだままではいられず、言悟は学ランを脱いでふうっと息を吐いた。

 この暑さは決して物理的な室温によるものだけではないだろう。下家しもちゃに立つ岡元というオネエ男性のタンクトップ姿さえ、今となっては不自然な服装に見えなくなってくるから不思議だ。

 その岡元が、言悟を見てフフンと笑い、一枚のカードを手にした。


「ママの愛に敵わないものといえば、これしかないわ!」


 彼が卓上にカードを切った瞬間、大画面にその文字が表示される。


「なんと、岡元選手のカードは『不良』! 審査員は満場一致で『通し』の判定、見事な10-0です! 意気イキがる反抗期の突っ張りも、結局のところ母親の愛には敵わない!」


 客席から沸き上がる歓声に応えるように、岡元は誇らしげに腕組みをして頷いていた。


阿仁川あにかわさん、これは芸術点の高い一手ですね」

「ええ。この『不良』というカード、今回はシンプルに不良少年という文脈で用いられましたが、『動作不良』や『不良品』として詠唱すれば機械や食品にも10-0を取れる秀逸な語彙。自分で言うだけあって、今日の岡元はデッキ構成に光るものを感じますね」


 言悟は岡元の下家しもちゃに位置するビジネスマン風の男性に目をやった。彼は残った三枚の手札をぱちぱちと手元ではじきながら、「フム」と何かを考える素振りを見せている。


「さあ、続いて手番ターン相模さがみ選手。試合ゲームは革命状態のまま、場には『不良』!」


「可哀想ではありますが、ゲームの進行のため犠牲になってもらいましょうか」


 相模の切った一手に、客席はどよめき一色に染まった。


「ぐわぁっ、相模選手のカードは『ねこ』! 『ねこ』であります! 相模選手、この一手が意味するところは、不良少年が猫をなぶり殺しに……!?」


「ええ、まあ、釘バットか何かで」


「残酷だ! 残酷すぎるぞ相模選手! とはいえ審査員の判定は問答無用で『通し』! ある意味、語彙大富豪においては定番ともいえるこの流れ。『不良』にられた『ねこ』が場に残ります!」


 会場に熱気が噴き上がる中、言悟は唇を堅く結んで大画面の表示を見上げていた。母親がゾンビに食い殺されるという先程の自分の詠唱には客席も静まり返っていたものだが、猫が不良に潰されるのはブラックな笑いの範疇ということらしい。このあたりのバランス感覚もまた、大会レベルのプレイヤーの腕前ということなのだろうか。


「いやあ、阿仁川さん。今回はここで出ましたね、小動物オーバーキル」

「出ましたねえ。まあ、語彙大富豪は、猫が可哀想な目に遭うことに定評のあるゲームですからね。不良になぶられる程度ならだいぶマシな方ですね」


 解説者の言葉も、猫に対するオーバーキルが「ネタ」の範疇とみなされることを物語っていた。いかに残酷な絵面を連想させずギャグに昇華させるか……。先程の言悟じぶんにもっとその観点があれば、「ゾンビ」VS「母の愛」というプレイングにももう少し明るい詠唱ができたのではないか。例えば「ゾンビ映画を観て泣き出してしまった我が子の前には、母の愛も無力だった」とか何とか……。

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。言悟は軽く首を振って、戦いへと意識を引き戻した。


「さあ、四選手とも、ここまでパスも差戻しバウンスもなく三巡をクリアーしたところで、手番ターンは再び灰原はいばら選手へ戻ります。このままベテランの貫禄を見せつけ逃げ切ることができるか、灰原選手! 引き続き革命環境にて、場には『ねこ』!」


 盲目の虎、灰原老人に三度みたび客席の注目が集まる。灰原は手札の一枚をすっとつまみ上げると、無言のまま卓上に置いた。


「お、おお!? 灰原選手のカードは『神』です! し、しかし、これは……『ねこ』に負けると言えるのか……!?」


 実況の声は灰原に詠唱を促していた。求められるがまま、老人は語り始める。


「古代エジプトにおいて、猫は神と同じかそれ以上に大事にされておった。猫を盾にくくり付けるというペルシャ軍の非道な戦術を前に、エジプト軍が敢えなく壊滅させられたことは有名であろう。彼らはたとえ神像を壊そうとも猫は殺せなかったのじゃ」


「……な、なるほど……?」


 実況者と同時に言悟も思わず首を捻っていた。古代エジプト人が猫好きだったことはわかる。だが、それは「神」が「ねこ」に負けていると言えるのだろうか……?


「審査員の判定は……通し一票、異議チェック四票! 灰原選手の『神』、通りません! 場には引き続き『ねこ』!」


 客席に一気にざわめきが広がる中、言悟は呆気に取られた気分で老人の顔を見た。その皺だらけの口元には、先程までと変わらぬ不敵な笑みが浮かんでいるように見えるが……。


「阿仁川さん、驚きましたね。まさか四人の中で灰原選手が真っ先に差戻しバウンスを受けるとは」

「ええ、灰原らしくもない一手ですね。詠唱も明らかに精彩を欠いている。それとも何か裏があるのか……?」


 これで老人はカード消化枚数のアドバンテージを失ってしまったことになる。言悟ら三選手がここまでストレートで来ている中、ただ一人おくれを取るのは痛い筈だ。

 とはいえ、言悟も手放しに喜んではいられない。なぜなら――。


「さあ、手番ターンは最年少の黒崎言悟選手へと回ります。上家かみちゃの灰原選手に生じた隙を突き、カード残数で逆転することができるか、黒崎選手!」


 言悟は自分の残り手札に目を落とした。ファーストプレイヤーの灰原が一ターンを棒に振った今、二番手の自分がこのターンにカードを通すことができれば、勝利は目前となる。だが……。

 言悟に残された手札は「勇者」と「光」の二枚。いずれも「ねこ」に負けるよう詠唱でこじつけるには無理のある語彙だ。猫嫌いの勇者という設定を語るか、それとも「光」を照明と読み替えて、猫が照明器具にイタズラをしてしまうという話にするか……。

 いや、いずれにしても、その語彙が持つ意味でも何でもなく、自分がその場で勝手に作ったストーリーに過ぎない。直前の灰原への異議チェックの厳しさを見ても、この大会の審査員がそんな無茶な詠唱を認めてくれる筈もない。「ブラックホール」に対する「いすゞのトラック」でさえ三対二の僅差でやっと通ったのだ。差戻しバウンスされると分かった上でカードを出し、みすみす他のプレイヤーに手の内をさらすくらいなら、ここはパスを選択したほうが……。


「どうした、黒崎のせがれ。何を悩んでおる?」


 灰原老人が上かみちゃから問いかけてきた。サングラスに隠されたその目が――生まれた時からめしいている筈のその目が、何故か言悟の心を串刺しにしてくるかのようだった。

 そう、自分が何を悩んでいるのかなんて、この老人にはお見通しの筈だろうに。


「くっ……。オレは、パスだ」


 数秒に及ぶ苦渋の末、言悟はそう宣言した。後続の二人にはアドバンテージを取られてしまうことになるが、やむを得ない。通せるカードが無いのだから、せめて手札の情報だけでも敵に渡さないようにしなければ。

 言悟の苦しさと対照的に、次のターンプレイヤーの岡元は、嬉々とした表情で残り二枚の手札から一枚を選んだ。


「アタシのカードはこれよ!」


「おおっ、岡元選手が選んだ一手は『子猫』だぁっ! これは場札の『ねこ』と文句なしの革命! 同値トゥルー革命と呼んでも過言ではない綺麗な革命です。……ということは、岡元選手、自ら作り出した革命環境を自ら!」


 実況者が語る展開に、観客達からおおっと声が上がった。

 そもそも、これまでの革命環境は、言悟の「意志の炎」に対して岡元が「炎上」を出したことで始まったもの。そして今、その岡元自身が再び「ねこ」に「子猫」をぶつけ、革命返しを行ったというわけだ。これで、場の強弱は再度逆転し、次の手番ターンからは、順当に場札に「勝つ」カードが要求されることになる。


「ふ、ふふ、岡元さん、墓穴を掘りましたね!」


 岡元の下家しもちゃの相模が、ライバルを指さして、裏返ったような笑い声を出した。


「灰原さんが先程、革命環境下で『エクゾディア』を出した私の一手をとがめたばかりだというのに、貴方は何も学ばなかったとみえる。革命返しを行いながら場に『子猫』を残すなど、私の『エクゾディア』以上の悪手! 所詮、貴方の知性はその程度だったという――」


 と、そこで相模の言葉が止まった。今にもカードを場に出そうとしていた彼の動きが、冷気を吹き付けられたかのようにピタリと静止している。


「――ッ!」


「どうした、相模選手、カードを切ろうとしていた手が寸前で止まりました! これは一体――!?」


 相模は引きつったような目で灰原老人を見ている。その顔が見えているかのように、老人はにやりと口元を吊り上げて笑った。

 その瞬間、言悟も老人の思惑を理解した。

 相模がどんな強力な語彙で「子猫」を蹴散らしたところで、続く灰原の手札には、先程見せた「神」が――!


「どうした、相模よ。遠慮せずカードを切ればいいのじゃぞ。ワシが手中に『神』を握っていようともな」

「く……っ!」


 灰原の淀みない言葉と、硬直しきった相模の表情。意外な展開に観客達のざわめきが広がっていく。

 まさか――いや、まさかではない。言悟も最早もはやはっきりと悟っていた。無理筋の詠唱で「神」を差し戻された先程の灰原の一手は、己の手札に「神」があることを敢えて明かし、下流のプレイヤーの動きを封じるための戦略だったのだと。


「岡元よ」


 実況者までもが絶句する中、灰原は唐突にオネエ男の名を呼んだ。


「おぬしが早々に革命を起こした時点で、終盤での革命返しをおぬしが期待しておることは読んでおった。革命で場を混乱させ、他プレイヤーのパスや差戻しバウンスを誘い、誰かが起死回生の革命返しをしたところを、手札に残したパワーワードでねじ伏せる……。それがおぬしの戦略だったのじゃろう。じゃが、おぬしにとっては不幸なことに、誰も革命返しを打つ者はおらんかった。パワーワードを手札に抱えたおぬしは、自ら革命返しするしか無かったということじゃ」

「……!」


 岡元の表情がたちまちライバルと同じ色に染まっていくのを言悟は見た。彼の顔にこう書いてある――「図星だ」と。


「そして、ワシが見た限り、おぬしのデッキは二文字縛り。最後の一枚は『水爆』あたりではないのか?」

「ど、どうしてそれを……!」

「おぬしが完全に『核』を捨てきることなど出来まいて。じゃが、ワシが次の手番ターンで出すのは、この『神』。黒崎の小僧がどう動くにせよ……おぬしの自慢の核爆弾、無事に炸裂する見込みはかなり低いのではないかの」


 灰原に「神」のカードをチラ見せされ、岡元は今や顔面蒼白になっていた。四人の中でただ一人、残り手札一枚となって勝利にリーチをかけていた彼だが、その最後のカードは老人に見透かされていたのだ。

 恐るべき展開に言悟が目を見張っていると、灰原は間髪入れず相模に顔を向けた。


「さて、相模よ。ワシの洞察が正しければ、おぬしに残された二枚のカード、一枚は中程度のパワーカードで、もう一枚は『核』じゃな?」

「なっ!?」


 相模と同時に言悟も驚いていた。なぜ、この老人には、そこまでピンポイントに対戦相手のカードが分かるのか……!?


「な、何を根拠に。岡元さんではあるまいし、私が『核』など……」

「いいや、持っておる筈じゃ。岡元の下家しもちゃに着くと分かった時点で、おぬしがそれを入れておらぬ筈がない。おぬしもまた革命を狙っておったのであろう。淀みなく『紙切れエクゾディア』を切ったこと、手中に『ねこ』を残しておったこと、全てが物語っておるよ。ライバルが好んで『核』を撃ってくる男じゃと知った上で、革命で返り討ちにしようとしておったのではないのか?」

「ぐっ……!」


 恐怖の色に顔を引きつらせている相模に向かって、歴戦の古豪は告げる。


「さあ、どちらでも好きなカードを出すがよい。もっとも……出せるものなら、とうに躊躇せず出しておるじゃろうがな」


 カードを握る相模の手はカタカタと震えていた。言悟は彼の身に今起きていることを察し、底知れぬ戦慄に悪寒を覚えていた。

 灰原老人の手札の片方が「神」であることは、この場の全員が知っている。ゆえに、相模は動けない。ここで四枚目のカードを通しても、他の二人が「神」を止めることができなければ、畢竟ひっきょう、灰原の「神」と対峙させられるのは相模。今の彼に残された二枚の手札がいずれも「神」に勝ち得るものでないのなら、彼は灰原よりも先に五枚目を出し切ることができず、自ずと灰原の勝利が確定してしまう。

 そして、岡元の最後の一枚が灰原の言う通り「水爆」なら、彼には「神」を止めることはできない。残るは言悟が「神」を止める可能性だけだが、仮に言悟が「神」を止めたところで、どの道、相模は、残された手札で「神」にも勝るその何かに勝たなければならない。また、言悟が革命を起こした場合、強カードを手中に残している相模がラストターンで逆転を果たすことは極めて難しいだろう。

 つまり……。恐るべきことに、最後のターンを待たずして、相模の勝つ目はほぼ消失してしまったに等しいのだ。


「くっ……! 私のカードは……『強盗』……!」


 相模は苦し紛れといった表情でカードを出した。そこでやっと、実況者が仕事を思い出したように声を上げる。


「相模選手が出したのは『強盗』! 審査員の判定はもちろん『通し』。『子猫』を蹴散らし、場に残った『強盗』に対し、続く灰原選手が出すカードは――おおっ、当然のごとく『神』! 神と強盗では勝負になる筈もなく、審査員は満場一致で『通し』の判定です! さあ、手番ターンは黒崎選手へ。場には『神』!」


 灰原老人の恐るべき力を目の当たりにし、冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、言悟は自分の手札を見た。

 残されたのは「勇者」と「光」の二枚。光は神によって創造されたものなので、神には勝てない。そうなると、言悟が取るべき選択肢は一つ。


「オレのカードは、時として『神』をも倒す『勇者』!」


 追加の詠唱をするまでもなく、審査員は四対一でそれを通してくれた。続く岡元は、残った一枚の手札をそっと卓上に伏せて置いた。


「……パスよ。アタシの核が差戻しバウンスされるところは見たくないわ」


 この瞬間、彼の勝ちの可能性は消えた。事実上の降参サレンダーだ。

 一方、岡元のライバルの相模は、最後まで勝負を諦めるつもりはないようだった。


「なんと、相模選手の最後の一枚は、灰原選手が言い当てた通り『核』です! 『勇者』に『核』は通用するのか!?」


「通用しますとも。『神』をも倒す『勇者』といえど、熱核攻撃を受けて生きていられる生物など居ない!」


 相模はこれまでになく声を張って叫んだ。相手が諦めない以上、言悟も全力の逆詠唱で迎え撃つしかない。


「いや――強力なチート魔法を数多く持ち、『神』をも打ち破る力を得た『勇者』には、現代兵器なんか効かないんだよ!」


「審査員の判定は――通し二票、異議チェック三票! 際どいところでしたが、『核』、通りません! 場には引き続き『勇者』! この瞬間、相模選手の勝利の可能性も完全に消滅し、ラストターンは灰原選手と黒崎選手の一騎打ちへ!」


 実況の声をもかき消さんばかりの勢いで、無数の観客の歓声がスタジアムを揺らす。

 灰原の残りカードは一枚。言悟のカードも一枚。灰原が最後のカードを通せば彼の勝ち。灰原がパスか差戻しバウンスとなれば、場が流れ、言悟が残り一枚を無条件に出して勝ち。これが最後の勝負だ!

 老人は楽しげな笑みを口元に浮かべ、最後の一枚を卓上に切った。言悟の「勇者」と並んで大画面に表示されたその語彙は――「闇」。


「『神』をも倒す力を得た『勇者』は、その強大すぎる力に心を飲まれ、『闇』落ちしてしまったのじゃ」

「……!」


 逆詠唱でこの「闇」をければ、言悟の勝ち――。


「さあ、黒崎の倅よ。おぬしの可能性をワシに見せてみよ」


 老人の言葉が、ぞくりと言悟の心を包んだ。



=====語彙ワンポイント解説=====


【ねこ】(使用者:相模)、【子猫】(使用者:岡元)

 語彙大富豪の名物ともいえる小動物系カード。「無垢な赤子」などと同様、攻撃しようと思っても普通は出来ないという特性をもって、人間属性の語彙に対抗することが可能。無論、革命下においては容赦なく「大抵のものには負けられる語彙」として運用されることは言うまでもない。

 現実の語彙大富豪界隈においても、作中で書かれている通り、「ねこ」をはじめとする小動物系カードが無残にも酷い目に遭わされるマッチアップは一種の様式美として定着している。そうしたブラックな会話を笑いに昇華できる者だけが語彙大富豪の世界で生き残れるのである。

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