東京都大会編

第3話 語彙大富豪の王子(プリンス)

 待ちに待ったその日が来た。冷たい冬の朝だった。学ランの上にコートを纏って玄関を出ると、凍った風が彼の頬を刺した。

 言悟げんごはコートの襟でぐいっと首元を覆い、粉雪の舞う道を、真っ黒な傘を広げて歩き出した。


「あ、ゲンゴロー!」

「ゲンゴローだ!」


 近所の小学生ワルガキどもが目ざとく彼の姿を見つけ、「日曜なのにどこ行くの」と囃し立ててくる。


「デート?」

「デートだ、デートー」

「ちげーよ。彼女なんか居ねえよ」


 言悟がしっしっと手を振るのにも関わらず、ガキどもはわざわざ彼の前に回り込み、行く手を阻んできた。


「ゲンゴロー、『怪獣』!」

「はいはい。『ウルトラマン』な」

「『シンゴジラ』ならウルトラマンより強いぞー!」

「じゃ『凍結』。ほら、もう行くぞ」


 ちぇーっ、と口を尖らせるガキどもの間をすり抜けて、言悟は駅への道を急ぐ。

 母の手編みの手袋をはめた右手で傘の柄を握り直すと、家を出る前の、母の心配そうな顔が思い出された。


『語彙大富豪さえなければ、お父さんがあんな死に方をすることもなかったのに――』


 母はそう言って言悟を引き止めたがった。だが、母の涙を見てもなお、言悟は己を戦いへと駆り立てる心の衝動を止めることができなかった。

 公式大会への参加を認められる十五歳になるまで、彼は戦意の炎をくすぶらせ、語彙うでを磨きながらずっと待ち続けてきたのだ。


『お母さんは心配なのよ。この上、アンタまで語彙大富豪で死んだりしたら』

『大丈夫だって。大会に出るだけで殺されたりしねえよ』


 この日のために入念に準備してきたデッキと、父から託された勇気の炎を手に、言悟は大会が行われるスタジアムを目指す。

 父の死から七年もの月日が経っていた。あの日と同じ、雪の舞うクリスマスイブだった。




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「さあー、始まりました、東京都予選第一回戦! ファーストターンはAブロック紅一点、現役女子高生の百地ももちコトハ選手! 無作為シールド選出の結果、場札には『多額の負債』という暗鬱なワードが出ております!」


 東京都予選の会場は大勢の観客達の熱気に溢れていた。遅刻を注意する係員にペコペコと頭を下げ、言悟が出場選手用の控え席に滑り込んだ時には、既にこの日最初の試合の火蓋は切って落とされていた。


「さあ、現役女子高生の百地選手――」


 アナウンスの声を遮るように、ガーリーなコーディネートに身を包んだ美少女が「ちょっと」と声を張り上げた。


「実況の人、その『現役女子高生』っていうのやめてくれる? 確かに女子で高校生ではあるけど、それと語彙大富豪とはカンケーないでしょ」


 フリル付きのブラウスに、コルセットで膨らんだハイウェストの黒スカート。いかにも童貞を殺せそうなその格好に似合わず、キッと鋭い目で実況席を睨みつける彼女の表情が大画面に映し出される。


「これは失礼しました! では、Aブロック最若手で紅一点の百地選手! 『多額の負債』に打ち勝つファーストカードは何だあーっ!?」


 ツンと澄ました表情で、美少女は白い指に挟んだカードを卓上に切った。


「おおっ、『シンデレラストーリー』! 女性らしい綺麗な語彙が出ました! 審査員からの異議チェックは……無し! 負債を抱え込んだ貧困少女、シンデレラストーリーで幸せへの階段を上ります!」


(これが、大会レベルの語彙大富豪か……!)


 客席の熱狂を聞きながら、言悟は百地コトハという美少女の手腕に早くも感心していた。自分にはとても思いつかない語彙だと思った。ただの「シンデレラ」では実戦に堪えないだろうが、「ストーリー」と付くことで、いかなる不遇をも覆しうるパワーを秘めたカードになっている。


「今回も、解説役には、日本テーブルゲーム協会の阿仁川あにかわさんをお招きしています。いやあ、阿仁川さん、初手から美しいカードが出ましたね」

「そうですねえ。この百地コトハってね、五年前の全国チャンピオン、百地イロハの実の妹なんですよ」

「そうなんですか!? 初代語彙大富豪・黒崎くろさきとも互角に渡り合ってみせた、あの百地選手の肉親だったとは!」


 そういうことか、と言悟は膝を打った。幼い頃、姉の方の百地が父と戦うところは直に見たことがあった。父にあと一歩というところまで迫っていたあの女性の実の妹というのなら、なるほど、強いのも頷ける。

 大画面に映る美少女の横顔を見ると、言悟の全身の血がたぎった。自分も早く戦いたい。彼女のような強豪プレイヤー達と、手に汗握る勝負がしたい……!


「さあ、同人作家の米倉よねくら選手へと手番ターンが移ります。『シンデレラストーリー』に対する米倉選手のカードは……ぐわあっ、『エロトラップダンジョン』だ! シンデレラ、エロトラップダンジョンに捕まりました!」


 わあっ、と観客達が盛り上がる中、米倉という太った男は微塵も表情を変えぬまま、他の選手達をぐるりと見回していた。


「相変わらずえげつない手を使いますね、米倉選手」

「狙い澄ましたかのような一手ですねえ。これは米倉、なりふり構わず勝ちに来ましたよ」


 カメラは、悔しそうに唇を噛む百地コトハの顔を映した。こういう語彙が平然と出てくるから、語彙大富豪の公式大会は15禁なのだ。


「さあ、次にカードを切るのは、今回が初出場のイケメン大学生、白馬はくば選手。欲望渦巻く『エロトラップダンジョン』に、この爽やかイケメン、どう対処するか!」


 次に観客の注目を集めたのは、真っ白なジャケットに身を包んだイケメンの姿だった。


「ボクが出すカードは決まっていますよ。お嬢さん、その汚らわしいダンジョンから救い出してあげましょう」


「おおっ、これは――『イケメン』だ! イケメン白馬選手、文字通り『イケメン』というカードを出しました! だが、イケメンといえども人の子、単身でエロトラップダンジョンを踏破できるのか!?」


「フッ、愚問ですね。この『イケメン』は、囚われのシンデレラを救い出す白馬の王子ですから」


 おおっ、と客席から声が上がり、審査員達が一斉に『通し』の意思表示をした。白馬という男は、さらさらした茶髪をかき上げ、白い歯をきらりと見せて笑った。


「白馬選手、華麗な詠唱が決まったぁ! 審査員は満場一致で『通し』! なんと、前のターンでエロトラップダンジョンに飲まれたシンデレラを、イケメン王子が颯爽と救い出しました! これは熱い展開だ! さあ、次は、このブロック最年長の松永まつなが選手――」


 次のプレイヤーは強面の男だった。彼は太い指でカードを掴むと、ばちり、と卓上に叩き付けた。


「ふん、ガキが格好付けやがって。教えてやる! 語彙大富豪は顔でやるんじゃねえ、頭でやるんだよ!」


「怒りの形相の松永選手、出したカードは――『社会の荒波』だ!」


 大画面の中央に、「イケメン」VS「社会の荒波」の文字が並んで表示される。


「阿仁川さん、これはどちらに分があるでしょうか」

「そうですねえ。『イケメン』といえど、世知辛い『社会の荒波』の前ではひとたまりもない、と言われればそれまでですが……見てください、白馬の余裕の表情。あれは逆詠唱がありますよ」


「フフッ、ただの現代日本の『イケメン』なら解説の方の仰る通りでしょう。しかし、ボクの『イケメン』はファンタジー世界に生きる白馬の王子! いずれ王位を継承し、社会を統治する側なのですよ!」


 白馬が言い放った言葉で、客席は一気に感心の一色に染まった。


「おおおっ、凄い! 文脈を踏まえた説得力のある詠唱だ! 態度を保留していた審査員も、今の説明で一気に異議チェックに流れました! 『社会の荒波』、通らない! 場には引き続きイケメン王子だぁっ!」


(こいつ……強い!)


 言悟は掛け値なしにそう思った。語彙大富豪という競技は、単にパワーワードをデッキに放り込めば勝てるというものではない。カードを場に出す際の、そして対戦相手のカードを受ける際の、詠唱力の強さこそが勝敗を分ける。

 言悟の父、黒崎言四郎げんしろうも詠唱の達人だった。父の手にかかれば、ただの「折鶴」が不治の病を治す希望の光にも、核兵器を封じる平和の祈りにも、外国人を驚嘆させるエキゾチック・ジャパンの魔法にも変わった。父に匹敵する使い手などいる筈がないと言悟は思っていたが、しかし――。


「ふうむ……。この白馬という青年、なかなかの強者つわものかもしれませんね」

「阿仁川さんにそこまで言わせるとは凄いですね。……さあ、手番ターンが一巡し、次は再び紅一点の百地選手!」


 言悟がハッと大画面に視線を戻したときには、白馬が百地コトハに向かって甘ったるいウインクを決めるところだった。美少女は相変わらずツンとした顔でそれを切り捨て、厳しい口調で言った。


「あたしのシンデレラを救い出してくれたことはお礼を言うわ。だけど、それであたしが手を緩めるなんて思ったら大間違いよ。ここは真剣勝負の場なんだから!」


 百地コトハの白く細い指が、ぴしりと卓上にカードを切る。


「百地選手が繰り出したカードは――『流星群りゅうせいぐん』! これは……落とすのか!? 流星を落とすのかぁ!?」


「モチロン、落とすわよ。巨大隕石の直撃でイケメン王子は死亡!」


「す、凄まじい胆力です、最若手の百地選手! エロトラップダンジョンから救い出された恩も忘れ、王子を隕石で圧殺! ロマンチックさの欠片もないディザスター攻撃だ!」


 挑発的な視線で白馬を睨みつける現役女子高生の姿に、客席の盛り上がりは最高潮に達した。


「いやあ、百地選手、微塵の容赦もありませんね」

「姉の百地イロハも、『子供達の応援』を『すさんだ心』でかき消したりしてましたからね。綺麗な薔薇がトゲだらけなのは血のなせるわざなのでしょう」


「やれやれ……。素直にボクを一位で上がらせてくれれば、キミを二位にしてあげるものを」

「情けは無用よ。あたし、アンタみたいなキザな男は、どっちかっていうと嫌いなの」

「はっはっはっ、やるじゃねえか、ネエちゃん! その調子でそのガキに一泡吹かせてやろうぜ」


 三者三様に火花を散らすプレイヤー達を、ただ一人ポーカーフェイスで見渡しているのは、次のターンプレイヤーである米倉だった。


「さあ、手番ターンは同人作家の米倉選手だ! 火花を散らす盤外戦に対し、ピクリとも表情を変えない米倉選手。イケメン王子を叩き潰した『流星群』に対し、何をぶつけるのか!?」


 カメラと観客の注目が集まる中、男は、ぬるりとした動きでカードを置く。


「お、おお……? 『ガチムチ』! 米倉選手のカードは『ガチムチ』です! こ、これは……『流星群』に勝てるのか……?」


 大画面に「流星群」VS「ガチムチ」の文字が並び、会場は騒然となった。言悟にも、米倉の狙いは全くわからなかった。


「阿仁川さん、これはどういうことなんでしょう。筋肉の力で隕石を打ち砕くという理屈なんでしょうか?」

「ははっ、今の若い人にはちょっと通じないかもしれないですねえ。まあ、詠唱を聞けばわかりますよ」


 無言と無表情を貫いてきた肥満体の男が、皆の注目に応え、この大会で初めて口を開く。


「私のカード『ガチムチ』が表すものは、古き良きニコニコ動画の遺産、『パンツレスリングの兄貴』……その別名を『森の妖精』……! 対する場札の『りゅうせいぐん』はドラゴンタイプの技。妖精フェアリータイプには無効なんですよ……!」


「お、おお、そういうことかぁーっ! ガチホモ文脈とポケモン文脈の合わせ技だ! これはひどい!」


 おおおっ、と観客がざわめく中、米倉はあくまで無表情のまま立っていた。


「審査員の判定は……『通し』だぁ! 複数のミームを組み合わせ、米倉選手、『森の妖精』こと『パンツレスリングの兄貴』で『りゅうせいぐん』を無効化しました! 場には『ガチムチ』!」


「いやあ、高度な知的バトルですね」

「ええ。これこそ語彙大富豪の醍醐味だと思いますねえ」


 客席の喧騒が一通り収まって、次に手番ターンを迎えるのはイケメン白馬だった。


「どうした、白馬選手、さっきから両手で耳を塞いでいるぞ!?」


「失礼失礼、終わりましたか。なに、ホモがどうしたとか、汚い語彙をボクの繊細な耳に入れたくなかっただけですよ」


 白馬は残りの手札をひらひらと弄びながら、大画面に映る「ガチムチ」の文字をちらりと見上げた。


「フッ、そんなけがらわしい文化のことなど知ろうとも思いませんが、所詮は動画サイトの話ならこれで十分でしょう。ボクのカードは『運営』!」


「おぉーっ、これは圧倒的だ! ニコニコ動画を根城とする『ガチムチ』に対し、運営から一斉削除が入ったぁーっ!」


 白馬がカメラに向かって白い歯を見せると、客席は大音声だいおんじょうで彼のプレイを讃えた。まだたった二枚のカードを通しただけだというのに、白馬は既にこの試合を見守る観客達の心を完全に掌握したようだった。


「阿仁川さん、これは綺麗な10-0ですね」

「ええ、見事な語彙カードさばきですね。この白馬という男、一体何者なんでしょうねえ」


 解説者の何気ない一言に応えるように、白馬は言う。


「何者かって? フフッ、決まっていますよ。ボクのことはこう呼んでもらいましょう――『語彙大富豪の王子プリンス』と!」


「語彙大富豪の……王子プリンス……」


 言悟はその二つ名をオウム返しで呟きながら、大画面に映る、いずれライバルとなるべきその男の顔を見上げていた――。



=====語彙ワンポイント解説=====


【エロトラップダンジョン】(使用者:米倉)

 字面の通りの成人向け語彙。元はTwitterの「診断メーカー」から派生したネットミームであり、現実の語彙大富豪界隈においては特に、年齢性別を問わずあらゆる人間(人型)属性語彙をエロトラップに陥れる悪魔的パワーカードとして多用される。

 本家鯖における派生語彙に「エロトラップ銀河」がある。これは、「ウルトラマンVSエロトラップダンジョン」のマッチアップに際して「ウルトラマンのサイズではダンジョンに収容することはできない」との詠唱があったことから、後にウルトラマンサイズの存在をも収容できるエロトラップダンジョンの亜種として誕生したもの。語彙大富豪プレイヤーの悪ノリ文化を象徴する一枚である。

 尚、作中において白馬の「イケメン」(王子)がこの「エロトラップダンジョン」に勝つ一幕があるが、これは語彙大富豪における勝敗判定の不文律「後出し有利の原則」に沿ったものである。仮に「イケメン」が先に出ている状態で「エロトラップダンジョン」が後出しされた場合、このイケメン王子もまたエロトラップダンジョンの餌食とされ敗北するという裁定になるのが一般的であろう。このようなケースにおいては、二つの語彙は互いに「相互後出し有利」の関係にあるという言い方がなされる。

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