第2話 闇の語彙大富豪

 雪の積もったクリスマスイブの晩だった。黒崎くろさき言四郎げんしろうは息子へのプレゼントの包みを抱え、年季の入った黒コートを寒風になびかせて、夜のとばりが下りきった街路を一人歩いていた。

 ちかちかと明滅する街灯の下、彼はふと雪の中に立ち止まり、ふうっと真っ白な息を吐く。


「誰だ、隠れてやがんのは。言っとくが『ニンジャ』なんかじゃ俺は破れねえぜ」


 黒崎の言葉に応えるかのように、彼の行く手を遮る形で、物陰から三つの人影がゆらりと現れた。白いローブのようなものを纏い、フードで顔を隠した三人組だった。


「ご機嫌のようですね、語彙ごい大富豪だいふごうの黒崎先生」


 くっくっと笑い声を交えながら、男達の中の一人が、数メートルの距離を隔てて黒崎と正対する。月明かりも差さない夜闇の中、不確かな街灯の明かりに照らされて、三人組の装束が雪の白さを映したように怪しげにきらめいた。


「そんなに家路を急いでると、『黒塗りの高級車』に追突してしまいますよ」

「ふん、生憎だが俺の語彙には『ブラックジャック』があるんでね。……何の用だ?」


 ぎらり、と黒崎の鋭い眼光が白装束の男達を見据える。勿体ぶる様子もなく、中心の男は黒崎に向かって言った。


「黒崎先生、貴方はあまりに勝ちすぎている。ここらで調整が必要だと思いませんか」

「俺に八百長をさせようってのか?」

「貴方が、これからも五体満足で語彙大富豪を続けたいのならば」


 男の口元がにやりと釣り上がる。だが、黒崎は間髪入れず、男の脅しをフンと鼻で笑い飛ばした。


「興味ねえな。俺は俺の好きな言葉で好きなように勝負するだけだぜ」

「交渉決裂ということですか……。ならば、残念ですが、二連覇王者にはここで消えてもらうしかありませんね」


 白装束の男はローブの内側から一枚のカードを取り出していた。男がそれを自らの顔の横にかざした途端、空から吹き付けていた冷たい冬風の代わりに、生ぬるい空気が街路一帯を包み込み始めた。


「場には『闇』!」


 男の宣言とともに、天然の夜闇とは明らかに違う、どす黒い瘴気しょうきの渦が周囲に広がっていく。


「何だコレは……?」


 黒崎は細い目を見開き、辺りを見回す。今や、周囲の空間は現実の街路から隔絶され、底知れぬ闇の中に三人の白装束と黒崎だけが立ち尽くしていた。


「語彙が……実体化しただと……?」

「これが貴方の知らないです! 我が組織に従わなかったことを、あの世で後悔するがいいでしょう!」


 大仰に両腕を広げ、白装束の男が高笑いを上げる。その右手に五枚のカードが握られているのを見て、黒崎は左手にプレゼントの包みを抱えたまま、即座に右手を黒コートのポケットに突っ込んだ。


「チッ……下らねえ遊びに付き合ってる暇はねえんだが……」


 全日本大会二連覇王者の無骨な指が、一つの語彙カードを探り当てる。


「これで満足か。『闇』をも照らす『希望の光』だ」


 黒崎がそのカードを無造作に顔の前に持ってくると、たちまち白い光が天地を照らし出し、場に立ち込めていた「闇」が浄化されて消滅した。

 だが、遊戯ゲームはそれで終わりではなかった。白装束の男は再びにやりと口元を歪ませ、新たなカードを宙に向けて放り上げたのだ。


「ククク……宇宙コズミック怪奇ホラーの力は人間のちっぽけな希望など容易く吹き飛ばしますよ。いでよ、『這い寄る混沌ニャルラトホテップ』!」

「何っ……!?」


 ぎゅるるるるぅ、と時空が歪み、果てしない恐怖のオーラを携えて、邪神の眷属けんぞくが地上に降臨する。その名状しがたい威容はたちまち場の「希望の光」をかき消し、周囲には再び永久とこしえの闇が訪れた。


「チッ……五枚出し切るまで帰らせちゃくれねえってことか」


 一歩後ずさった黒崎は、ばっと右腕を広げ、ポケットから四枚のカードを掴み取る。


「違いますねえ! 貴方はここで死ぬ――二度と子供の元には帰れないのですよ!」


 這い寄る混沌ニャルラトホテップの暗黒をその身に纏ったかのように、邪気に満ちた男の哄笑こうしょうが闇の中に響き渡った。

 黒崎は手にした四枚から無造作に一枚を選び取り、天に向かって突き上げる。


「仕方ねぇ、こんな下品なカードは切りたくなかったが……『発禁処分』!」


異議チェック……」

異議チェックだ」


 後に控えていた白装束の残り二人が、くくっと気味悪く笑いながら宣言した。黒崎はカードを手にしたまま、「あぁ?」と眉をひそめる。


「バカ言うんじゃねえよ。ラヴクラフトだろうが何だろうが、書籍であるからには出版を差し止めれば勝てる筈だぜ」

「くっくっ……愚かなのは貴方の方ですよ。古今東西の作家達の手により無限に増殖を続けてきたクトゥルーの神話大系、一冊や二冊差し止めたくらいで止まるものですか!」


 男が語気を強めてそう言い切った瞬間、「発禁処分」と記されたカードは黒崎の手元から弾け飛び、闇に溶けるように消え失せてしまった。


「チィ……なんて詠唱力ヘリクツだ……!」

「さあ、死ぬがいい――『火球の飛礫つぶて』!」


 男が高々とカードを掲げると、天を覆い尽くす暗雲を裂き、たちまち無数の炎の飛礫つぶてが地上目掛け降り始める。地面を焦がす火球の雨を間一髪で避け、黒崎は手札からカードを抜いた。


「ツブテってことはグーなんだろ? じゃあコイツで十分だ、『100点の答案用紙』!」

「無駄です! 紙っぺら如きが炎属性に勝てる筈がないでしょう!」


 控えの二人がまたしても揃って異議チェックを宣言した。火球を包み込む巨大な答案用紙が、直後、炎に呑まれ燃えかすに変わる。


「ぐぁぁっ!」


 撃ちてしまぬ火球の弾丸が、黒崎の身体を次々と直撃し、その漆黒のコートを激しく燃え上がらせた。プレゼントの包みが彼の腕からすべり落ち、闇の中に消える。


「次はこれです、『大津波』!」


 男のかざしたカードに呼ばれるがまま、天を覆う巨大な津波が地上の全てを押し流さんばかりの勢いで押し寄せ、黒崎を呑み込んでいく。


「ぐおおぉ……! だ、だが、空までは津波は届かねぇ筈……飛行属性を持つ『折鶴』でどうだ!」


 黒崎は必死の形相に顔を歪ませながらも、起死回生の一手を放った。彼のカードから色とりどりの折鶴の群れが現れ、津波に呑まれるあるじの身体を運び出す。私から貴方へ、貴方から世界へ――平和の祈りを乗せた無数の折鶴が、災禍さいかの街から大空へと羽ばたいた。

 だが、白装束の男はたじろぐ様子もなく、くっくっと笑いながら黒崎の姿を見上げている。


「あんまり失望させないでくださいよ、黒崎先生……。そんなあからさまな隙を見せるとは」


 嗜虐しぎゃく的な笑みとともに、男はばさりとローブを翻し、カードを持つ手を振り上げた。


「ガキどもがどんなに祈ったところで、人類はあやまちを止められはしないのですよ! 『全面核戦争』!」

「なっ――」


 それは地上の全てを焦土に変える最恐の一手。空を赤々と染めるキノコ雲とともに、凄まじい閃光と爆風が折鶴を焼き払い、視界に映る全ての範囲に容赦ない破壊の渦を撒き散らした。


「ヒロシマとナガサキの祈りが……届かねえだと……」


 力ない呟きだけを残して、襤褸ぼろのようになった黒崎の身体が焼けた大地にどさりと崩れ落ちる。その指が、地面に落ちた最後のカードを手繰り寄せ――それきり動かなくなった。


「どうしました、残りの手札では話になりませんか? こちらはこの一枚で上がりですよ」


 残虐な愉悦に口元を歪ませ、白装束がゆっくりとカードを顔の横に持っていく。


「今日が語彙大富豪・黒崎言四郎げんしろうの命日です。喰らうがいい、『内閣総辞職ビーム』!」


 不毛の大地に言霊ことだまが響いた瞬間、紫電しでん燐光りんこうが夜闇を貫いて爆ぜ、真の、神の、新の、罪の炎が、王者と呼ばれた男の身体をめ尽くした――。




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 父の帰りが約束の時間より遅いことに胸騒ぎを感じ、言悟げんごは母が止めるのも聞かずに家を飛び出した。寒空の下、真っ白な街路を駆け抜けた末に彼が目にしたものは、雪の上に仰向けに倒れたボロボロの父の姿だった。


「父ちゃん! 父ちゃんっ!」


 言悟が駆け寄り、その身体を必死に揺さぶると、父の細いまぶたがうっすらと見開かれた。


「言悟……」


 父の震える左手が、幼い言悟の頭にそっと添えられる。


「……すまんな……約束のプレゼント……持って帰れなかった」

「父ちゃん!」


 がはっと血を吐いて、父は最後の力を振り絞るかのように右手を持ち上げ、そこに握られていた一枚のカードを言悟に差し出してきた。


「俺はもう……駄目だ……」

「父ちゃん! 死んじゃ嫌だよ、父ちゃんっ!」


 ごつごつした父の手が、言悟の小さな手にカードを押し付ける。


「お前が……語彙大富豪になれ……」


 それが最期の言葉になった。がくりと父の頭が積雪に沈み、その黒い瞳が天を仰いだまま光を失ったとき、言悟は、語彙の王と呼ばれた男の口が二度といかなる言葉も紡がなくなったことを悟った。

 それからどれだけ自分が雪の中で泣き叫んでいたのか、言悟には記憶がない。

 気付いたときには、何人もの大人達が彼と父の周りに集まり、遠く聞こえるサイレンをバックに、口々に何かを言い合っていた。母の手が震えながら彼の身体を抱き上げたとき、言悟は初めて、父に握らされた一枚のカードに目を落とした。

 漢字は習い始めたばかりでも、その言葉は父に教えられてよく知っていた。父が遺した最後の一枚には、くっきりとした黒の字で、こう書かれていた。


 「勇気」、と――。



=====語彙ワンポイント解説=====


【折鶴】(使用者:黒崎言四郎)

 多目的語彙の見本のような一枚。千羽鶴として運用すれば、病気・事故・災害系語彙、さらにはヒロシマナガサキの祈り文脈で「核」にまで勝つことが可能。シンプルな飛行属性も併せ持つほか、本質的に紙なので石属性のカードにジャンケン有利を取ることもでき、さらには折り紙という特性を活かして「アメリカ大統領」など外国人属性の語彙にエキゾチックJAPANを見せつけて勝利できる可能性すら秘めている。


【内閣総辞職ビーム】(使用者:白装束の男)

 2016年の映画『シン・ゴジラ』のゴジラが吐く放射線流(熱線)の俗称。過去のゴジラシリーズのそれとは異なり、切断力に優れたレーザー状の熱線となっていることが特徴である。作中において総理大臣以下閣僚ら11名の乗り込んだヘリを一瞬で爆発四散させるシーンのインパクトから「内閣総辞職ビーム」と呼ばれるようになり、かの「無人在来線爆弾」と並ぶ同作の二大パワーワードとして広く知られることとなった。

 現実の語彙大富豪界隈においても、黎明期の2017年頃には、攻撃力の高さと字面のインパクトから実戦での採用例が散見されたカードである。この語彙の詠唱文脈のバックには当然「シン・ゴジラ」そのものが付いていることになるが、敢えて本体を出さず攻撃手段のみを語彙とすることで、凍結に弱いなどの本体の弱点をカットした運用も可能である。

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