無題

ユウキ

無題

 艶やかな黒髪が風に揺れる。

「もう、あかりちゃんのせいでべしゃべしゃっ!」

 振り返った彼女は、不満げに呟きつつも、どこか楽しそうに笑って見せた。

 純白のスカートは海水に浸り、潮の満ち引きでゆらゆらと、くらげのように漂っている。

 彼女の象徴である水兵服の上着(水兵服といっても本格的なものではなく、上品に仕立てられた紺色のセーラーだけれど)からは少ししょっぱい潮の香り。

 それを照らす夕焼けは、彼女のためだけに用意された専用の舞台装置かなにかだろうと確信してやまない。

「  」


ーーー


 彼女と再会したのはガソリンスタンドでバイトを始めたとある夏の日だった。


「○○リッターでお願いします。」

 運転席の男は淡々とそう告げた。

 お高そうな国産の車に乗っているのは、いかにも堅物という風貌の父親と、地元から少し離れた場所にある中高一貫のお嬢様学校の制服を着た女の子。見るからに清楚でおしとやかなセーラー服は私とは縁のないものだ。

 そういえば都心部で合唱コンクールがあったけなー、なんてことを思い出しながら作業に戻ろうとした私に思わぬ声がかけられる。

「あれ…、あかりちゃん?」

 セーラー服を着た彼女は窓からちょこんと顔を出し、驚いた表情でこちらを見ていた。

「やっぱりあかりちゃんだ!」

 彼女は嬉しそうに声をはずませた後、顔を引っ込めドアを開く。私なら大股の一歩で全て済ませてしまうところを、彼女は足が一定以上開かないように、スカートが擦れてめくり上がらないように、お上品な動作で車から降り、こちらへ駆け寄った。その仕草には嫌味のひとつもなく、ただただ育ちの良さを感じさせられた。

「あか…浜砂さんとまた会えるなんて嬉しいな」

 彼女は穏やかな微笑みを見せた後、ふと思い出したように、慌てながら自己紹介を始めた。

「あっ、私です、大原…」


「海潮」


 彼女の言葉を遮るようにして、迷いなく出てきたそれは、私の喉によく馴染んだ。


 大原海潮。一つ歳下の女の子。同じ小学校に通っていたけれど、中学受験で違う学校になってからは、もうずっと会っていなかった。


「こら、海潮。」

 運転席の父親が海潮を渋い顔で睨む。

「作業の邪魔をしてはいけないだろう。一体お前はいくつなんだ。」

「あっ、ごめんなさいっ。」

「あっ、待って!」

 車に戻ろうとする海潮を、作業を終えた私は、内心慌てながら引き留める。

「私ここでバイトしてるの。暇があったらいつでも会いに来て、ね?」

 精一杯の自然な笑顔を作りながら。


ーーー


 とある夕方、私と海潮は海岸に遊びに来ていた。塾が早く終わったとかで、海潮が私のバイト先に遊びに来てくれたのだ。私はもう少しだけ仕事があったのだが、店長が気を利かせて、今日は早めに上がれることになった。


 じゃりじゃり…と砂を踏みしめながら、私達はあてもなく海辺を散策する。

「今更だけどさー」

「ん?」

「どうして海潮は水兵服が好きなの?」

 私は一歩後ろを歩く海潮を振り返り、軽く問いを投げかけた。せっかく数年ぶりに二人きりの時間を得たのだから、もっと他に話題があったのだろうが、この時はこれしか浮かんでこなかったのだ。

「うーん…、どうしてって言われてもなぁ…」

 海潮が顎に手を添え考える素振りをし

「しいて言うなら、」

「…船に乗って、どこまででも海を冒険できそうだから、かな。」

と、どこか物憂げな表情でそう答えた。

「あくまでイメージだよ?現実ではずっと冒険し続けるなんて無理な話だし。」

「あかりちゃん知ってる?船員はねぇ…」

 海潮はどこで調べたのか、船員の現実について得意げに語りだした。


「…いよっし!」

 私はわざとらしく声をあげ、それを遮る。

「えっ?ちょっ、あかりちゃん?」

 私は勢いよく海潮の手を引き、潮の満ち引きへと向かって行った。

「わわわ!?ちょっと~!」

 海潮が足を踏ん張って抵抗を試みるが、そんなものは無駄なあがきである。見ての通り外交的で活動的な私は、勉強ばかりの軟弱優等生ちゃんくらい余裕で引きずれるのだ。

 ずるずると私に引きずられる海潮はやがて抵抗を諦め、

「もう、海に入るの…?なら、ちょっとまって。靴と靴下だけ脱がせて。」

と提案をしてきた。

「ん、わかった。」

 後先考えず海潮を引きずっていたが、そういえば自分がジーパンを履いていたことを思い出し、外股開きでスニーカーと靴下を脱ぎ始めた。

 対する海潮は内股で、膝上まである真っ白な靴下に指をかけ、スルスルと下ろしていく。純白の布地の下から、これまた純白で艶やかな肌が露わになり、私はなんだか気まずい気持ちになって、目を逸らした。

「それじゃあ、海に突撃だぜ~!」

「はぁい。」


 ぴちゃり、と。足の先に触れたそれは、少し冷たい


「うーん、やっぱりやめておこうかなぁ。」

「えーっ、なんでよー」

「だって、海に入るのなんて数年ぶりで…」

 ちょっと怖い。海潮はポツリと呟いた。

「…うん。私も久しぶり。」

 海潮と違う学校に通い始めてから、もうずっと海には入っていない。

「だからね!」

「きゃあっ!?」

 バッシャーン!!!と勢い良く水飛沫があがる。

「私も、海潮と一緒だよ。」

 私は、海水で湿った手で、海潮の頭を撫でてみせた。


ーーー


「海潮を照らす夕焼けは、海潮のためだけに用意された専用の舞台装置かなにかなんだろうね。」

「急に詩的になって、どうしたの?」

 海潮は照れくさそうに、上目遣いでこちらを見つめる。でもその照れはポエミーな言い回しに対する共感性羞恥でしかないのだ。

 私は笑顔で、昔のように答えてみせる。

「そりゃあ、私は海潮が大好きだからね。」

 先程かぶった海水が、前髪を伝ってぽたぽたと垂れ続けている。なんだか目がヒリヒリしているのは、きっと、塩分が目に染みたからだろう。

 これはまだ、夏が始まったばかりの話。

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無題 ユウキ @yuu_ki_01

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