第44話 二人の夜
「あとはこれを飾れば完成ですね」
俺たちが見つめる先――エンドの中央には梅ラーメンが大きく陣取っている。西洋食品の『城』はあくまで引き立て役にすぎない。コレを大々的に飾って、俺たちのエンドは真の完成形となる。
「前もって完成品のデータはもらってたけど、実際に見ると、本当に圧巻ね」
それは、特大のイラストパネル。
モデルは徳梅さん。彼女が満面の笑みで梅ラーメンを食べている。
POPは形状を問わず、商品の魅力を消費者に訴求することが目的だ。美味しいのはもちろん、美味しそうを表現するために作られる。それをてっとり早く可視化するのが芸能人を使った広告。だが、グローリー食品は小さな会社でポスターすら制作していない。
そのため俺は梅ラーメンの魅力を引き出すために、全面的に徳梅さんを押し出した。彼女が美味しそうに食べている姿だけで充分伝わる。彼女のもつ美しさと可愛らしさが引き立つような、バストショットを描いた。
ドトールで撮影した写真を参照にして、兄貴の遺品であるデジタルツールを使う。POPとして取り込むには手書きではなく、データが必要だ。幸いなことに直接画面に描く液タブであり、アナログとの差異はそこまで感じなかった。慣れないことに悪戦苦闘しながら、ラフ、線画を繰り返し、手を馴染ませた。そして、レイヤーを増やして修正し易いように描く。
目指したのはありきたりなアニメ調ではなく、写実に近い彼女そのものだ。
俺が出来るのはこれだけ。
初めてだよ。自分のイラストを他の人に、しかも、パネルなんかにして大勢の人に見てもらうなんて。本当にわからないもんだよな。三年越しに描いたのが、心惹かれている徳梅さんであって、その作品が特大パネルに変わり、POPとしてこのエンドに飾られるなんて、想像もしてなかった。
徳梅さんに出会った時から全てが始まった。
名前の通り、終わり(エンド)から始まる物語が動き出した。
実はね、兄貴の部屋に忍び込んで、勝手に盗んだノートを手本にして、描き始めたんだ。
いつも、俺にこう言ったよな。
――
別にプロになりたいとか、そんな目標なんか無かったんだけど、なんか止められなくてさ。単純に、いつか兄貴の鼻を明かせてやろうかなって思っていた。暇でもここまで上手くなったぞって。
兄貴から盗んだ最初のノートは①。俺がみよう見まねで描き始めたのが②。そして、徳梅さんと出会い、再び描き始めたのが③。これからも描くから、番号はまだまだ増えるはずだし、液タブは俺がもらうよ。
兄貴は友達同士で作った同人誌の絵師以外にも、投稿サイトに多くの作品を発表してたよな。ランキングにも入ってないから見つけるのに苦労したよ。しかも、何だよあの絵は。あれって、まるで俺じゃねーか。机の引き出しから勝手にノートを盗んでる少年って。無駄に緻密な描写で表現しすぎじゃないの。あんな絵じゃ仕事も舞い込んでこないだろ。才能の無駄遣い過ぎないか。しかも、タイトル『コソドロ』。何だよアレ。やっぱり気付いていたんだよな。
しかも、あの作品が投稿された日は、兄貴が亡くなった日の夜だったよな。あれが遺作かよ。
もう会えないんだよな。
俺は何もわかっていなかった。大人になったらいやでも働かなくちゃならない。ごめん、あんなこと言って。もっとその辛さに気付いてあげて、俺が兄貴に救われたように、今度は俺が手を差しのべることができたら。最後まで見せることなんてなかったけど、見てくれよ。だいぶ上手くなっただろ。
俺は万感の想いを込めたイラストパネルを、ハンガー什器を繋ぎ合わせて、梅ラーメンが陳列された正面スペースに取り付ける。
こうやってみるとモデルに助けられている部分が大きいけど、我ながら良いアイデアかも。実物は美人で、イラストも可愛いってどんな高スペックなんだよ。卑怯すぎだろ。でも、このイラストはそれだけじゃない。少し『細工』を施した。それこそがこのエンドの秘策、つまり『クロスMD』だ。
「あとは明日、私がやるだけね」
徳梅さんは少し照れた様子で鼻を鳴らす。
「はい。お願いします」
俺は、彼女にイラストパネルと一緒に持ってきた紙袋を手渡す。
「コレって棚森くんが好きなの?」
「いえ、これは智良志です」
「智良志?」
「憶えていませんか? 前に売り場で徳梅さんが睨んだやつです」
「睨んだ?」彼女は暫し考えると、やっと思い出す。「ああ、あの時の棚森くんの友達」
「はい。あいつの好きなやつです」
「ふーん」彼女はじっと俺を見つめる。「そういうのが好きなのかと思った」
「徳梅さんならきっと似合うと思います」
俺は知らず知らずの内に、彼女のつま先から頭まで舐めるように見てしまった。正直、早く見たい。ありえないほど似合うと思う。
「今、いやらしいこと考えてたでしょ」
「うっ」図星です。正直に「はい、考えてました」と答えるしかない。
徳梅さんは、俺の素直な告白に口元を抑えて笑いを堪える。が、すぐに噴き出して「あはは」と、くの字にして笑う。
「棚森くんって、やっぱり面白いよね。普通、そんな堂々と私のいやらしい姿想像してましたって言う?」
「そ、そうですね。正直すぎましたかね」
「正直すぎだよ」彼女は目にためた涙を指で拭い、「いつも正直すぎだよね。私と違って」
そう言うと、徳梅さんは一歩俺に向かって前進し、そのまま俺の胸にもたれかかった。
あまりに突然だったので、訳が分からず情けないことに体が硬直してしまった。
彼女は無言だ。そのまま俺の胸に体を預けて。
彼女の息遣い、ぬくもりが、すぐそこに感じられる。馬鹿みたいな感想だが彼女は思ったより小さく温かかった。いつも見せるクールな表情とは違う。これが本当の彼女の姿なんだろうか。
胸の高鳴りが止まらない。全身を熱が駆け巡り、ぷるぷる震えてしまう。
このまま腕を回して思い切り抱きしめたい。そう思った矢先、
「ぎゅっとしたら、だめだよ」
「ええっ!?」ここまでされて。
「だって、ここお店の中だよ」
そりゃ、そうなんだけど……。これって、徳梅さんの方からじゃないの。
「まだ、このままがいい。わかった?」
「は、はい」
「よろしい。でも、商品補充はしなくていいよ」
ははは。セイルさんジョークがやけに可愛らしく思えた。
「ありがとう」
徳梅さんは小さく、染み入るような声でそう言った。
「いえ、俺は何もやってません」
「そんなことないよ。私もね、あなたに感謝しているの」
「そんな……」
「知りたいんでしょ?」
俺は、彼女が云わんとすることの意味がわかった。
「あなたにだけだよ。私のこころの一番深いところを教えてあげる」
こころの一番深いところ。
その奥に触れることができるなら。
「あなたには全部知ってもらいたいな。いつからかそう思ってしまった。なんでだろう。困っちゃったね」
「お、俺で良かったら教えてください。あなたのことがもっと知りたいんです」
「また、そんなこと言って。ここってお店の中だよ」
「そうですね。で、でも、ずっとこうしてますよ」
「それもそうだね。でも……」
「でも、なんですか?」
「コレに深い意味はないから勘違いしちゃだめだよ。でも……、私が満足するまで、ずっとこうしているからね。わかった?」
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