第51話(最終話) 教えてあげない
「棚森くん、ありがとう」
「いえ、以前も言いましたが俺は何もしてませんから」
「そんなことないよ」
彼女は自分に言い聞かせるように続けた。
「口では、さっきみたいにカッコいいこと言って、自分の中で割り切って消化していた部分があったけど、本当は思い出に縛られていたんだなって思う。さっきも言った通り、もう憎しみとか恨みなんかはないよ。だって憎む相手もいないし、ただ単に私が縛られていただけ。梅ラーメンがバザールなんて大きなイベントに入ったのは初めてだったの。情けないことに動揺しちゃってね。いくら私でも、特注品をメインエンドに陳列できないからね。だから、どうしても成功させたかったの」
「大成功ですよ」
「これは私とお父さんとの約束だったの。ううん、ちがうね。私と思い出のなかのお父さんとの約束よ。私も成長したぞってね」
彼女は憑き物が取れたような笑顔を見せた。
徳梅さんの約束は果たされた。
そして、あのエンドを通じて、俺と思い出のなかの兄貴と再会も果たせた。
「絶対、定番に採用されるって店長も言ってたね」
「しかも、あれ超旨いです」
「でしょ? なんであの商品が、今まで定番に入ってなかったんだろうね。ちゃんと食べたことないんじゃないかな。きっと本部バイヤーはもてないわ。わかるのよ、センスってやつが」
名前も知らない本部バイヤーの欠席裁判終了。どうせ名前なんて変な当て字だろ。
「棚森くん」
彼女は真っ直ぐな瞳でこう言った。
「あなたのおかげで、やっと私は過去の思い出から前を向いて歩きだせるよ」
さああっと二人の間を風が通り抜ける。清涼な風が優しく頬を撫で、こころの霧さえ晴らしていく。全てを跳ね返す弱さの鎧を吹き飛ばして、導かれるようにして現れたのは、少女のような可憐な笑みを湛えた一人の女性であった。
徳梅さん……。
それはこっちのセリフですよ。
俺もあなたと出会ったことで、やっと前を向いて歩くことができたんです。
ああ。もう溢れる気持ちが抑えきれない。
「あの、俺……!」
「私!」
遮るように彼女は叫んだ。
普段見せないあまりの声の大きさに、彼女自身がびくっと肩を震わせてしまう。
「私は……」
彼女は少し間を置いて、絞り出すようにこう言った。
「やっぱりいいや」
「えええっ! この流れで!」
目を見開いて仰け反る俺に、今度は徳梅さんがたじろぐ。
「ちょっと、そ、そんなに驚かないでよ。相変わらず声が大きいんだから」
彼女は動揺を取り消すように、勢いよく俺の胸に飛び込んだ。今度はあの夜と違い、彼女の方から腕を回して力強く抱きしめられた。洋服越しでも伝わってくる彼女から発せられる熱で、瞬間的に全身が発火して何も考えられなくなる。俺は彼女のぬくもりも、その潤んだ三白眼も、甘い匂いも全てが好きだ。心も体もより密着していき彼女への想いが加速していく。
でも、これだけは俺から言わせてください。
「徳梅さん……」
「もう、セイルさんでいいよ。徳梅さんじゃなくて下の名前で呼んでよ。わかった?」
「じゃ、じゃあ、セイルさん……」
「うん。それでよろしい。で、なに?」
「ここって霊園ですよ。しかもお父さんの墓前ですし……」
「別にいいじゃない。そんなのいちいち気にしても仕方ないでしょ。つまらないこと言わないの」
ええっ。あれだけ俺には、やれ「ここお店の中だよ」とか、「ここバックヤードだよ」とか、空気読んでみたいに揶揄ってきたのに。
俺より少し小さいセイルさんは、こちらを見上げて真っ赤になりながら笑った。
「私にこんなに抱きしめられてるんだから、遠慮せずにぎゅっとしてよ。嬉しくないの?」
「は、はい」
バザール前日の夜はぎゅっとしちゃだめとか、今度は遠慮せずにぎゅっとしてとか、もう何がなんだかわからない。どこまで彼女に揺さぶられ続ければいいのか。でも、そんなやりとりが永遠に続いて欲しいと願う自分がいる。ああ、もう本当に難しいですね。じゃあ、遠慮なくあなたを抱きしめますよ。
溢れる気持ちが暴走しそうで、抱きしめる腕の力が思いのほか強かったのか、セイルさんは少しだけ小さく震えた。しかし、それも束の間。すぐに同じ以上の腕の強さで抱きしめ返されて、呼吸を荒くする。
「困っちゃったな」
もしかして、この人は俺と同じぐらい不器用なのでは。
彼女は心のどこかで、ひとり寂しさを抱えていたのではないか。多感な時期に母親と別れ、父親とは死別したことで、無意識の内に強くありたい、強くならないといけないと常に自分を奮い立たせていたのかもしれない。そんなこころの奥深くに宿る影は、外見では理解することができない。いや、理解されることも拒んでいたのかもしれない。誰しも彼女を頼りにして、彼女自身もその期待に応えようと奮闘する。それ故に人に見せない、見せられない弱さを隠しもち、どこか人に対して甘えることが苦手……。
そう思ってしまうほど、この腕に包まれたセイルさんはどこまでも小さく、可愛らしく、温かくこの場所にきれいに収まっている。
まるで彼女自身がエンドの一押し品のように。
「なんでもかんでも素直にストレートに言いすぎ、やりすぎなのよ。大体、初対面のMD長にいきなり詰め寄る? あの頭悪そうな暴走族の元特攻隊長だよ。そんなに私のために頑張られちゃうと……。ああもう、かゆいかゆい。毎回、毎回、反則じゃないの」
「ええっ、俺が反則なんですか」
「そうよ。いつも私にその目が反則とかぶつくさ言ってるけど、顔なんて変えられないんだし、わざとやってるわけじゃないからね、棚森くんみたいに」
「いやいや。じゃあ、この際だから言っちゃいますが、セイルさんの目だけじゃなくて、口調も仕草も匂いも全部反則ですから」
「匂い? なに、私って汗クサイの?」
どんと俺を突き飛ばし、「最低ね」といきなりビンタ。
「痛っ! いやいや、そんなんじゃありません。むしろ、めちゃ良い匂いです!」
「なんだ、早く言ってよ。変な趣味があるのかと思ったじゃない。ごめんね、いきなり」
「い、いえ、大丈夫ですよ」
俺……あなたのせいで目覚めたんで……。
「てゆうか、皆を誘惑しすぎですよ。傍にいるだけでどきどきしちゃいますから。時間、場所問わず、仕事中もずっと。ちょっとは自覚してくださいよ。あなたのことばかり考えちゃうじゃないですか」
「なに? 仕事中も、ずっと私のこと考えてたの?」
「そ、そうですよ」
「ちゃんと仕事してる?」
「ちゃんとしてますからっ」
彼女は「じゃあ」と前振りをしてから、「大学でも?」「家でも?」「ご飯食べてる時も?」「お風呂入ってる時も?」と捲し立てたあと、「いつも私のこと考えてたの?」
答える隙すら与えられずに、いやらしい質問がとんでくる。
「はい、そうですっ!」
セイルさんの執拗な追及に、半ばやけくそに答えた。
そんな、あたふたする俺を楽しむように、
「そういえば、なんかいやらしいことも考えてたよね? 裏エンド作る時も、ニヤニヤしてたし。最初に出会った時なんか、私の胸とか、じろじろ見てたでしょ」
と更なる一手を打ってくる。
「い、いや……」
ちなみにその後のセリフは、『正直そこは……なんで、大して見てません』なのだが、素直に言ってしまったら酷い仕打ちが待っているから寸前で堪えた。
「ふーん。やっぱりね。そんなことだろうと思った。ほんと男ってどうしようもないな。みんな見てくるんだよね、そこばっか。それってバレてるからね」
彼女は美人の自覚はあるのだが、小ぶりの自覚はないらしい。
「今度は、私にもお兄さんのお参りさせて」
「ぜひ、お願いします」
「あなたが好きだったお兄さんに、私も会いにいきたいな」
「きっと兄貴も喜ぶと思います。でも、ムカつかれそうですね」
「ん? なんで?」
「だって、地味な俺がセイルさんみたいな美人を連れてくるんですから、男なら誰だってムカつくはずですよ」
「なにそれ」顔を赤らめて腕を組む。「でも、棚森くんが地味っていうのは当たってるかもね」
ええっ。こんなにいい感じになっているのに、そこで俺を落とすの?
彼女は困惑した俺に満足するように、意地が悪い笑みを浮かべる。
「ほんとほんと、こんなに地味なのに、何でだろうね……」
「えっと……。何でって、どういう意味ですか?」
「いいじゃない、別に」
「ええ~、教えて下さいよ」
「ええ~じゃないの。前にも言ったけど、何でもかんでも素直に聞けば教えてあげると思ったら大間違いだからね。わかった?」
「は、はい」
「そうそう、わかればよろしい。じゃあ、またお店で商品補充よろしくね」
「やっぱりそれですか」
「当たり前でしょ。それが基本なんだからっ!」
遠い空から運ばれた風が、俺たちを笑うように葉を揺らす。
風が囁く声は、それぞれの胸に届いているはずだ。
ありふれた、どこにでもあるスーパーの棚の終わり、通称エンド。
終わりから動き出した物語なんて、始まるのは希望だけだろ。
二人の未来は、終わることなくどこまでも続いていくよな。
きっと。
了
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