第50話 伝えたい想いがあるけど

「それから私は全てを憎むようになった。お母さんが別の男性のところに行かなければよかった。売上ばかり追求されなければ無理しなくてもよかった。それに、何よりも一番許せなかったのが何も出来なかった自分自身。



 私なんか生まれてこなければよかった。



 何もかもが憎くて仕方なかった。だいたいエンドって何のことよって。そんなマイナスな感情に縛られて、暫く誰とも喋らない日が続いてね。でも、ある時思ったの。そういえば『梅ラーメンをエンドに並べる』って何のことだろう。なんか、このままうじうじ悩んでるのもムカつくから確かめてやろうってね。それからかな、今のお店で働き始めたのは。はじめは愛想もなくてね。目つきも悪いし、皆から怖がられてさ。だってこの目、変でしょ?」


「変? 何がですか?」


「だって、棚森くんが言ったじゃない。友達を睨んでたとか、その目が反則とか。黒目が小さいから睨んでるように思われちゃうのよ。自分も好きじゃないけど、顔なんて変えられないでしょ」


「いや、それは……」俺は正直に言った。「徳梅さんに見つめられちゃうと見惚れてしまうから、あんまり誘惑しないでって意味です」


 我ながら直球すぎるだろ。


 徳梅さんは目を丸くして、またしても「ぷぷっ」と笑いを堪える。


「なんだ。そんな理由なの? ならいいや。相変わらず面白いね」


 はははと苦笑いをする。

 徳梅さんはくすりと笑って続けた。


「働きだしてわかったことがあるの。スーパーって何気なく通っていたけど、こんなにも人の想いが詰まった場所なんだってね。エンドはそれが一番よく表れる場所。この場所に商品を並べて、お客さんにアピールして、そこに向けて汗を流して、みんな頑張ってるんだってね」



 だから、徳梅さんはあれほどエンドにこだわりを……。



「きっと、お父さんも辛いことが沢山あったと思うけど、この場所に向けて一生懸命頑張ってたんだろうなって考えるようになったの。そうしたら、なんだか私が憎んでいたものが、とても小さなことだと思うようになった。無我夢中で汗水垂らしてエンドを作ってると、不思議とこころが軽くなるの。おかしいよね。あんなに憎んでたのに。てゆうか、そもそもこいつが悪いって明確な対象もなかったんだよね。ただ単に、こころの中になんでもいいから敵を作っていないと感情が保てなかっただけなのよ。我ながら子供だったわけ。梅ラーメンなんて二度と食べるかって思ったけど、今じゃもう」


 徳梅さんは自嘲するかのように、困った顔をしてこちらを向いた。


「おかしくなんてありませんよ。むしろ……」



 素敵だと思います。俺はそう告げた。



 それ以上の言葉は見つからない。彼女にとって辛く心に影を及ぼす記憶を、明るく前向きにとらえて未来を向いて歩いている。そんな、爽やかな強さが輝いていた。


 俺は以前から彼女に訊きたいことがあった。


「徳梅さんは社員にはならないんですか? 例えば、社員になって、もっと高い地位を目指して、それこそMD長とか、偉くなったりして……」


「エンドは好きだけど、私は会社に属して出世したいなんて思わない。二十四歳にもなって子供みたいなこと言ってるかもしれないけど、自分が嫌なことも断れない、全て指示されるだけなんて、私は嫌なの」



 それに――と前置きすると、彼女は目を閉じて天を仰ぐ。



「私は一つのことを徹底的にやり続けたい。人それぞれ違うのよ。例えば、ある人にとっては野球やサッカーとかのスポーツ。ある人にとっては研究や学問。ある人にとってはイラスト。その人に似合った輝けるものがきっとあると思う。でもね、それは誰もが知ってるものだけじゃない。私にとってはそれがエンドだったのよ。私が好きなこの場所で、誰からも喜んでもらえて、誰からも認められたい。そうしたら、自然と未来が広がっていく気がしてるの。今って、一つのことから全てが派生していく、そんな時代でしょ」



「徳梅さんは、もう未来が広がってますよ」



 でしょっと彼女は得意気に腕を組む。



 ここで、ふと気が付く。もしかして――。



「グローリー食品のHPにPOP掲載を依頼したのって、徳梅さんですか?」



 この質問は、愚問だった。

 にんまりとした表情で全てが伝わってきた。



「あの商品の広告塔は私以外、誰がやるのよ」



 この一言に思わず笑ってしまった。



「しかも、私は『今日のセイルさん』だからね。私が宣伝すれば何でも売れるわよ」



「はい! もうここまで突き詰めたら何でもできますよ! 普通、スーパーのエンドにファンサイトなんて出来ませんから。それこそ指南書とかも出版出来ますよ。ファンも俺も絶対買いますし!」



「かもねっ」



 俺にとってあなたは憧れであり、眩しい存在でした。



 初めて出会った日を覚えていますか。巨大な恐竜が見下ろすエンドに心動かされたって、アレは嘘です。後であの時の写真を見返したんですが、焦点はエンドではなく全てあなたでした。真剣な眼差しで、何度も商品配置を手直しているあなたをずっと追っていたんです。あなたのひたむきな姿に一瞬で心を奪われたんです。



「話は変わるけど、めちゃ売れたよね。あんなにお客さんが殺到して、一気に売れたのなんて初めての経験よ」

 彼女は先ほどとは打って変わり、ぱっと花が咲いたような笑顔を見せた。

「角場店長が言ってましたよね。史上最速記録だって」

「そうね。売り上げ目標も余裕で達成したし」

「陳列コンクールも絶対一位、間違いないですよ」


「当然ぶっちぎりよ。山……、山本さんだっけ? 彼のところは、万年二位ね」



「彼……山積みさんです」



「センスがちがうのよ」



 心とこころが繋がる瞬間。今、確かにそれを感じている。



 次回、最終話――


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