第39話 俺だって

「棚森くん――」



 徳梅さんの声で我に返る。気が付くと、全身が異様な熱に覆われてぶるぶる震えていた。今、俺はどんな酷い顔をしているんだ。血が出るほど奥歯を噛みしめて必死に感情を押し殺している。



 結局、徳梅さんには過去の過ちを打ち明けることはなかった。



 俺は何も言わない。何も悟らせない。何も嘘はつかない。もう十分だ。やっと過去に向き合えた。それだけで十分だ。



 気持ちを落ち着かせようと深く息を吐く。

 彼女は物憂げな顔で俺を見つめていた。その潤んだ瞳が何かを訴えかけて。いつものことだがその眩しさに吸い込まれそうになる。なんで、いつもこの人は自分の心を見透かして、それでいて優しく包み込むんだ。


「大丈夫……? さっきからずっと下向いて黙ってたけど……」

「いや、すいません。何でもないですから」

「変なこと訊いちゃったかな。ごめんね……」


「いやいや、謝らないでください。むしろ俺は徳梅さんに感謝してるんです」


「私に? 感謝? 何もしてないよ」


「いえ、そんなことないです。俺は心のどこかで期待していたのかもしれません。自分が変わる切っ掛けってやつを探していたんです。子供の時から冷めたやつでした。頑張ってる人を見る度にカッコ悪いって見下していた、しょーもないやつだったんです」


 ここまで口に出して急に胸が苦しくなり、感情が渦をまいて心まで圧迫してくる。

 何言ってるんだ俺は。こんなこと言いたいんじゃない。違うだろ。まだ俺の想いは終わってない。再び拳を強く握り、喉に押し寄せてくる感情を決壊させた。



「でも、こんな俺でも徳梅さんに嘘をつきました」



「うそ?」


「はい。嘘です。何も熱中したことがないって言ったのは嘘です。俺にもあるんです。あったんです」


 気が付くとその身を乗り出していて、


「俺は兄貴から教わった絵が、イラストが今でも好きなんです。あの日、あなたの圧倒的な商品陳列に衝撃を受けて、何かが自分の中で湧き上がりました。俺もこんなエンドを作りたい。このエンドを通じて自分自身が熱くなりたいって。ずっと、徳梅さんに憧れていたんです。何にでも真っ直ぐに向き合う徳梅さんの姿を追いかけて、自分もそんな風になりたいって思っていたんです。でも、それには俺にしかできない、本当に俺が好きなものを通じて、そこに関わらなければ意味がないって気付きました。あなたの力になりたい。単にあなたの仕事を手伝うとかそれだけじゃなくて、俺が好きなイラストをPOPに変えて……!」



 それに、POPだけじゃない。


――さっすがセイル先輩。二位じゃだめですよね。


 今まで、考えて考え抜いて。


――当たり前じゃない。一位以外は価値がないわ。


 今の自分が出来る全てをマーケティングに込めて。


――皆で一位を目指そうよ。


 ああ、わかってるよ、本当は。


――いい? つくるよく聞きなさい。


 一位、一位、一位、一位って。


――何でもほどほどにしないとだめよ。


 そんなもん。


――つくるは何でものめり込んでは絶対にだめ。


 人から言われるもんじゃない。


――それは流されてるだけで、決して自分の意志ではないのよ。


 俺も――。


――お願いだから、つくるはお兄ちゃんみたいにはならないで。


 俺だって――。


――何でもほどほどがいいの。


 ああ、うるせーな。


――熱くなってのめり込んでもいい事なんかないの。


 違うよ、そんなの。 


―― …………るんだ。


 ああ、そうだよ。


―― ……目指してるんだ。


 そうだよな。


――俺は一位を目指してるんだ。


 知ってるよ。あっちのだよな。


――つくる、お前も冷めてばっかじゃつまらないだろ。


 俺だって、一位を……っ!!



 最後は言葉にならなかったが思いの丈は伝えた。内からこみあげるマグマのような熱が全身を包み込み、いつまでも冷めることなく心まで震わす。話し終えると喉がカラカラに乾いていることに気が付いた。コーヒーはもうぬるくなっており、半分ぐらい一気に飲み干す。そして、盛大にむせた。

 そんな俺の様子に、徳梅さんは優しく見守るようにくすりと笑う。

 再び俺は意志を込めて彼女に向き合った。


「徳梅さんも教えてくれませんか」



「……なにを?」



「どうしてそこまで梅ラーメンにこだわるのか」



 瞬時に彼女の顔が固まるのがわかった。


「別に、深い理由なんて……」


「いえ、やっぱりいいです」即座に彼女の話を遮り、「きっと、徳梅さんにしかわからない理由があるんですよね?」


「……」


「もし、話したくなったら俺に教えてください。俺はその理由を知りたいんです。こんな情けない俺でも徳梅さんの味方ですから。俺に出来ることがあったら何でも言って下さい。全力で駆けずり回りますんで。終わったあとで後悔しないように、その想いが実現出来るように、あなたのエンドは必ず実現したいんです」


 こちらの熱に圧倒されたように、彼女はわずかに視線を逸らす。わかったと観念したように微笑んだ。


「POP、イラスト、何でもいいから見せてよ」


 憂いを帯びた瞳は色を変えて、強い決意を秘めた光が宿り、俺たちを繋ぐ、あの言葉を。




「私に見せてよ。あなたのエンドを」




「はい! やります。頑張ります」

 呆れるぐらいの熱量に徳梅さんは頬を緩ます。

「バザールの中に陳列コンクールがあるでしょ。そこで一位になったら、デートでもしようか」

「本当ですか?」

「ほんとうよ。嘘なんかついたことないでしょ」

 小躍りしたい気持ちを抑えてふと思い出す。まてよ。いやいやいや。

「デートはしようねって約束していたじゃないですか」

「ん? そうだっけ?」

「そうですよ。またお勉強に行こうねって、あれはまだ果たされていませんよ」

「そういえば、そんなこと言ったわね」彼女は唇に人差し指を当てて、小首を傾げる。「じゃあ、一位になったらどうしたいの?」

「その、えっと……」

「えっと?」

 長い睫毛の奥にある潤んだ三白眼に、心も感情も熱くなり。



「俺と付き合ってください」



「私と棚森くんが!?」

 驚きのあまり、その黒目がきゅっと小さくなる。

 だんと両手をテーブルにつき、心の底から湧き上がる感情に身を任せて、





「俺はあなたが好きなんです!!!」





 興奮してしまい、思った以上の声のでかさになってしまった。店内がざわつき、一斉に注目を浴びる。徳梅さんは慌てふためき、周りのお客さんの反応を確かめる。身を屈めるように、しーっと口元に人差し指をあて、


「だめだよ、ここドトールの店内だよ。いくらなんでも声が大きいでしょ」


「はい……」おっしゃる通りです。

 彼女は口元を抑えて、笑いを堪えている。

「やっぱり、棚森くんって面白いね」

「ははは、す、すいません」はぐらかすように俺から笑った。押すしか知らないって罪ですよね。自信もないから声と威勢だけ良くなってしまうんですよ。


 呆けた顔で頭を掻く俺を、徳梅さんはどこか可笑しそうに見つめてくる。



 その笑顔は眩しく、彼女もまた不思議な熱を帯びたように頬が上気していた。




 物語はクライマックスの第六章へ――

 二人の想いが、願いが、情熱が、周囲を動かし、文字通り「終わり」から全てを込めたエンドが「始まる」。


 残り11話。





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