第37話 アイデア

 その日は、お互いに無言だった。


 彼女から声を掛けられることも、こちらから話し掛けることもなかった。


 徳梅さんは黙々とエンドを作り、俺も淡々と商品補充をこなす。

 いつもと変わらず元気なのはウリちゃんだ。今ではすっかりお店のマスコットキャラクターになっており、通路を歩けば誰かしらに声を掛けられている。 

 お店の中でちょっとしたファンクラブも出来ているぐらいだ。高校生のレジ打ちバイト君から、「ウリちゃんって彼氏いるんですか」なんて聞かれたこともある。このバイト君は元々徳梅さんのファンであったが、如何せん敷居が高すぎて、早々に乗り換えたらしい。そんな戦わずして敗れた者達は多い。


 今日の徳梅さんは、私に話しかけないでと周囲に振り撒いていた。他を寄せ付けないオーラが、逆に彼女の美しさを際立たせる。



――徳梅さんのお嬢さんですか? その節は、誠に申し訳ありませんでした。



 グローリー食品営業マンの意味深な発言と、寂しそうな彼女の横顔がフラッシュバックする。


 俺は一つの決意を胸に、バイト終わりに彼女を待ち伏せることにした。

 閉店時間となり、社員、パート、バイトが続々と退店していくなか、彼女はシンプルな茶色のコートを羽織り、最後らへんに現れた。季節はもう十二月を迎えようとしている。日没とともに気温はぐっと下がり、夜風は冷たく、外で待ち構えている間にすっかり体が冷えてしまった。

 徳梅さんが肩を震わす俺に気付き、こちらから先に声をかけた。


「お疲れ様です」

「おつかれ、今日も疲れたね」

 その割には疲れを微塵も感じさせない。

「徳梅さん、今日、暇ですか?」

 彼女を喫茶店に誘った。

「いいよ。じゃあ、近くのドトールでいい?」


 あっさりOKとなる。この関係になるまで長かった。出会った当初なんて、まるで変態でも見るような冷めた視線を向けられ、せっかく交換したラインもシフト連絡以外はだめよ、なんて一線を引かれていたのにえらい進歩だ。仕事を通じて同じ時間を共有する中で、互いの距離が縮まっているように感じる。和やかに世間話を交わしながらドトールに入った。


 二人分のホットコーヒーを頼み、徳梅さんの待つテーブルへと向かう。

「ごめんね、お金渡すよ」

「いや、いいですよ。誘ったのは俺ですし」

「じゃあ」と頬杖をついて俺を見つめる。「ごちそうになろうかな」

 徳梅さんは両手でマグカップを持ち、ふうふうしてからひと飲みして、「あつっ」とはにかむ。相変わらず、何処にいても、何やってもいちいち仕草が素敵なんだよな。


「で、今日はどうしたの?」

「いや、あの、ちょっと徳梅さんに聞いて欲しいことがあって」

「なに?」

「その……」

 彼女に話したいことは沢山ある。でも、その前にこれだ。



「もしよかったら、徳梅さんと一緒に写真を撮らせてください」



「私と写真?」

「はい」

「なんで?」至極当然の返しが待っていた。


「いや、あの、この前ウリちゃんが勝手に徳梅さんに写真送ったんで、こっちも送り返そうと。そ、それに、俺も徳梅さんと仲良しってところを見せないと」


 すぐばれる、しかも理解不能の嘘がつらつらと。


「ん? なんでウリちゃんと争って、私の写真を送るわけ?」

「うっ」案の定すぐにばれて言葉に窮する。「で、でも、この前徳梅さんがそういうのは直接言わなきゃって言ったじゃないですか」


 彼女は一緒きょとんとするが呆れたように笑い、「確かに言ったかもね」


「あの、変な意味じゃないです。ウリちゃんに触発されただけなので、ははは」

「まあ……言っちゃったもんは仕方ないな」

「じゃ、じゃあ」

「別にいいよ。へるもんじゃないしね」


 徳梅さんらしいって言えばらしいのだが。普段は、全部内緒なくせして、写真を撮られるのはOKって、なんか矛盾しているような。


 それじゃあ遠慮なく。徳梅さんの隣に移り、ぱしゃりと自撮りをする。その距離。まるで恋人同士。視界の片隅に映る彼女は少しだけ息が荒く、ぬくもりまで伝わってきそうで。写真を確認すると、いつも以上に凍り付く俺と、相変わらずキュートな彼女がいる。思わず俺も画面越しの彼女に微笑んでしまった。


 普段は美人で、笑うと可愛いくて、写真映りもいいってどういうことだよ。卑怯すぎだろ。でもよかった。ファンサイトの盗撮写真なんかより、正面を向いた写真がどうしても欲しかったんだ。


「ありがとうございます」

「もしかして、用ってそれだけ?」


「いや、これは別件でして。徳梅さんに俺のアイデアを聞いて欲しいんです」


「アイデアって何かしら?」

「バザールの展開のことです」

 彼女は今から相談することが仕事の内容と理解すると、感心したように鼻を鳴らして、深く腰を据える。「いいよ、教えて」

 俺は心を鎮めようと深く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。静かに、丁寧に、自分が把握している現状の説明を開始する――。


 徳梅さんがバザールで目指すエンドは梅ラーメンをメインに据えた大量陳列。彼女が得意とする巨大な造形物で店頭演出をして、大々的に売り出したい。だが、モリモリフーズ本部からは西洋食品のカップラーメンをメインにするように指示があり、最悪なことに梅ラーメンは供給が不足するというちょんぼをやらかした。


 MD長からは先に紳士協定を破ったデリシャスへの対抗策として、向こうのリコメンドである海苔わかめラーメンをリコメンドに入れるように修正指示が下りている。このままでは、梅ラーメンは特注品扱いとしてエンドの片隅に追いやられるばかりか、元々競争力の低い梅ラーメンがメインの西洋食品に押されて売れ残る可能性も出てきた。



「――だから、梅ラーメンのボリューム不足を補うべく、空いたスペースをPOPで埋めようと思うんです」



 彼女は表情一つ変えずにじっと俺を見つめてくる。長い睫毛と憂いを帯びた魅惑的な三白眼。退屈なのか、心まで覗き込まれているのか、本当の気持ちを理解したいと夢中にさせてしまう。そんな反則な目つきで見つめられたら、こっちは話し辛いんですよ。本人はちっとも気付いてないみたいですが。


「POPね」彼女はそう言うと、コーヒーを口に運んで続けた。「私も考えたけど、グローリー食品って小さなメーカーだし、メーカー制作の派手なやつはないよ」

「俺もグローリー食品のHPを調べました。あの会社はCMもしてなければ、芸能人を使った広告もないし、マスコットキャラクターもないですよね」

「小さなところだしね……」



「無いなら、俺がPOPを作ります」



「棚森くんが?」彼女は目を丸くした。「前にも言ったけど、うちでは手書きPOP禁止されているよ。どうしてもって私が言えばそこは通ると思うけど、手書きって上手く描かないと、逆にしょぼくなっちゃうわよ。POPって一見目立たせるには最適なんだけど、ある程度上手く描ける人じゃないと難しいのよね」



「見てください」



 俺はショルダーバックから一冊のノートを取り出す。そのノートのナンバーは『③』。



「なにこれ?」



「俺が描いたイラストです。もしよかったら感想を聞かせてください」


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