第36話 グローリー食品
次の日、バイトに向かうと、バックヤードでスーツ姿の白髪の男性を見かけた。男は事務室の前で、紙袋片手に襟を正した姿で佇んでいる。恐らくメーカーの営業マンだろう。角場店長に、うちの商品をもっと売ってくださいだの、新商品を徳梅さんに食べて欲しいだの、各社のメーカーが頻繁に訪れる。
暫くすると、事務室から険しい顔の店長が現れた。
白髪の男は、角場店長の姿を見るなり、バッと頭を下げる。
「この度は、ご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした」
店長の顔は厳しい。「いくら謝られても、結局モノが用意できないってことなんですよね、グローリー食品さん」
瞬時に反応してしまい、抱えた段ボールを落としそうになった。
グローリー食品って言ったよな? あの白髪のメーカーさん。
二人が気になり、カゴ車の群れと格闘しながら聞き耳を立てる。
「申し訳ありませんでした。弊社の不手際が原因です」
「不手際って、なにか理由があるんですか?」
「そ、その、正直なところ、梅ラーメンがバザールみたいな大きな企画に採用させて頂けるとは思ってもいませんでした。また、御社とデリシャス様でリコメンドまで頂けて、手一杯になってしまい、生産量が追い付かなくなってしまい……」
「もともとバザールにエントリー出来るほど、生産なかったんじゃないんですか?」
大変申し訳ありませんと何度も頭を下げ、紙袋からお詫びであろう菓子折りを手渡そうとする。それを角場店長は「いいですよ」と丁重に断った。
その代わりに、角場店長からメーカーとして無責任だの、謝るぐらいならモノを潤沢に回せだの、こんないい加減な姿勢では取引中止にされてもおかしくないなど、次々と正論が飛ぶ。大学生の俺でもわかる。大人の世界では正論ほどきついメッセージはない。ただ、頭を下げるしかないのだ。
角場店長の追求に平謝りする構図が延々と続く。
俺は一連のやりとりを知っているから、もちろん店長の味方なのだが、正直、営業マンって大変だなと胸が痛んだ。だって、彼らも上から言われてやっていることも多いし、それに生産数量の確保は営業の仕事でもないだろって同情もあるからだ。
きっと、彼らだって――。
「欠品だけは起こさないように、今、会社一丸となって増産体制に入っています」
メーカーとしての責務を果たすべく、彼が言えるのはこの一点だけしかない。言い訳などビジネスの世界では通用しないことを見せつけられた。
「まあ、自分より彼女に一言謝った方がいいですよ」
「その……、彼女とはどなた様のことでしょうか? 加食主任様でしょうか?」
「私のことよ」
事務室から徳梅さんが、ずんと現れた。両手を腰にあてて、鋭い視線を向けている。
「うちのエンド担当です」角場店長が彼女を紹介する。
「この度はご迷惑をおかけしまして、誠に申し……」
徳梅さんは一気に距離を縮めて言い放つ。
「ご迷惑とか、そんなのどうでもいいのよ。梅ラーメンはあの割り当て以外は用意できないの?」
「今、なんとか増産中でして……」営業マンはばつが悪そうに答えた。
「出し惜しみしてないの?」
「申し訳ありません。今、調整中で出来るだけのことはしておりますので、もう暫くお待ちください」
「私が訊きたいのはひとつよ」徳梅さんは一呼吸置いて、直球を投げる。「なんで、あとからデリシャスにリコメンドを入れたのよ」
後で入れる? 一体どういうことだ。
「いえ、その……」営業マンの歯切れが一気に悪くなる。
「初めはうちだけだったんじゃないの? 普通、リコメンドって各社重複しないはずよ」
「はい……。今回は有難いことに引き合いがありまして……」
「引き合いじゃなくて、数字が欲しかったんでしょ?」
営業マンは何も言い返さずに深々と頭を下げた。
つまりこういうことだ。グローリー食品の営業マンは売上が欲しいばかりに、禁じ手のようなリコメンドの重複を受けてしまったのだ。
観念したように男は裏事情を暴露する。当初はモリモリフーズがリコメンドに梅ラーメンを採用したが、後からデリシャスが割って入ってきたらしい。しかも、デリシャスは海苔わかめラーメンをリコメンドに入れているため、梅ラーメンは追加採用であった。
それも特例だ。本来、業界のルールを破るものは受け入れられないが、最大手のデリシャスの力は強い。当初は彼も困惑したが、売上を優先する上の指示に従い、うちとバッティングしないエリアでの展開という条件付き採用になった。しかし、ここでもデリシャスが紳士協定を破り、大量に発注をかけたため、一気に生産が逼迫。次期商品バイヤーの山積みさんが裏で商品部に対して暗躍した結果だ。
全てを聞き終えると徳梅さんは優しい口調で、かつ極めて冷静に切り出す。
「何も謝ってほしいわけじゃないのよ。でも、きちんと供給できないなら、バザールなんてエントリーするべきじゃないわ。だって……そんなことしても誰にもいい結果なんて生まないでしょ」
「はい……」
「それに……」彼女が一瞬だけ口ごもる。「あなたたちだって……」
搬出口から吹き込む冷たい風が彼女の髪を揺らす。
その表情はどこか儚い少女のようで、壊れてしまいそうな危うさがあった。
「徳梅さんの言う通りですね。まあ、これ以上メーカーさん責めても仕方ないから」
静かな怒りに満ちた時の徳梅さんは怖い。そのことを身に染みて理解している角場店長は二人の間に入る。
徳梅さんはため息を吐いたあと軽く一礼して、男に背を向けた。
彼女の姿が営業マンからゆっくりと遠ざかっていく。
だが、その時、営業マンが「はっ」と目の色を変えて、彼女の背に投げかけた。
「徳梅さんって、言いましたか?」
その一言に彼女の動きがぴたりと止まる。
「もしかして、あの……、徳梅さんのお嬢さんですか」
彼女は無言をつらぬく。
お嬢さん……。一体、どういうことだ?
「その節は、誠に申し訳ありませんでした。その……」
営業マンは、何も言わない小さな背中に深々と頭を下げた。
「別に、そんなのいらないわ」
徳梅さんは振り返りもせずこう言った。
「私ね、梅ラーメンが好きなのよ」
そして、再び歩き出す。
搬出口へ吸い込まれる前に、付近でこのやりとりを見守っていた俺と、一瞬だけ目があった。徳梅さんはすぐに俺から視線を逸らして、搬出扉を開けて外へ出ていく。
あの刹那――。
俺の目には、徳梅さんが涙を堪えているように見えた。
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