第25話 セイルさんとデート
「徳梅さん、今、なんて……」
「ん? なにが?」
「俺と付き合ってくれるんですか?」
「ええ。付き合ってよ」
まじかよ。今までこんなこと言われたことないのに、どうしたんだよ急に。まさか、俺に見えない風が吹いているのでは……。俺の方こそ。
「よろしくお願いしますっ!」 思わず深々とお辞儀をしてしまった。
よろしくねと、徳梅さんから天使のような笑顔を向けられる。
角場店長からは「徳梅さんから聞いているよ」とだけ言われて、俺たちはバイトを早上がりした。そして今、二人で仲良く商店街を歩いている。手は繋いでいない。俺の半歩前を徳梅さんがずんずん歩いている。進行方向から流れてくる風が、柑橘系のリンスと甘い汗の混じった心地よい匂いを俺に運んでくれた。ああ、すごくいい匂い。歩くフレグランスとは正にこのこと。
「セイルさん、俺たちはどこに向かってるんですか?」
徳梅さんはぴたりと歩みを止めて振り向く。
「なんで、いきなりセイルさんなのよ」凍てつく視線を向けられる。
「いや、なんとなく仲良しの第一歩かと思いまして……」
「は?」徳梅さんは口をあんぐり開けた。
「だって『私と付き合って』って言ったじゃないですか?」
「ああ」彼女は足元の石ころを蹴るように、「当然だけど、お付き合いしてって意味じゃないからね」
「ですよね」ぶっちゃけ分かっていたけど、一瞬だけ舞い上がってしまいました。
「だから、セイルさんじゃなくて徳梅さんね。彼氏でもないんだから」
はいと力なく頷く。
「よろしい。じゃあ、今は商品補充できないから、行こうか」
徳梅さんの顔は曇りから晴れへと、天気は変わり易い。
だから、その緩急の付け方。時としてそれは罪なんですよ。
「ちなみに、どこに向かってるんですか?」
「ここよ」
彼女は前方にそびえる大きなショッピングモールを指差す。外壁に、でかでかと『D』の文字が主張するロゴマークが確認できた。デリシャス城山手店だ。この店は、モリモリフーズ多摩城下店から駅を挟んで反対側に建設された三階建ての複合型ショッピングモール。この界隈では一番規模が大きく、当然集客も多い。角場店長も、この店が出来てから地域一番店の座が奪われたと、常日頃から嘆いていた。店名からして、我々の方が格上だと云わんばかり。
待てよ……この店。そういえば思い出した。
「もしかして、山積みさんの売り場の偵察ですか?」
「誰だっけ? その山なんとかさんって」
徳梅さんは完全に彼の記憶を抹消していた。
「いや、この前うちに来たじゃないですか。なんかよく分からない理由で」
「ああ」彼女はつまらなそうな顔をする。「別に興味ないかな。彼も、彼のエンドも。大体、名前だってよく覚えてないし」
山積みさんの欠席裁判終了。こんな簡単な四文字も忘れてしまう程、興味ないってことですよね。
「売り場の偵察じゃないってことは、もしかして俺とお茶でもするってやつですか?」
「いえ、違うわよ」
それもきっぱりと否定されて
「行きたいところがあるのよ」
そう言うと、こちらに合わせることなくずんずんとモールに向かっていった。
モール内は活気に満ち溢れていた。近隣の主婦やファミリー層だけでなく、POS大の学生もちらほら見える。徳梅さんは何か目的があるようで一直線に、あるテナントへと歩を進める。
そこは大手ファストファッション、ユニクロだ。徳梅さんは入り口の前で仁王立ちすると、「行こうか」と合図をする。
彼女を先頭に売り場に入った。コートやフリースがところ狭しと並び、冬の到来を予感させる。モリモリフーズで働き出して一か月以上が経つ。季節の移り変わりの早さを肌で感じてしまう。秋から冬、そして春へ。意識すればするほど時の流れは早いのだろう。
徳梅さんは奥まで入らず、入り口付近に展開されたマネキンをじろじろ眺めていた。彼女の私服はさっぱりしている。アクセサリーの類は一切身に着けず、基本的に2トーンカラーのシンプルな服をいつも好んで着ている。らしいと言えばらしい。落ち着いた大人の女性って感じだ。
「冬物が買いたいんですか? 俺でよかったら徳梅さんに似合う――」
「もう行こうか」
滞在時間五分程。もう冬物買わないって決めたらしい。決断が早すぎる。彼女はぷいっと踵を返して店を後にすると、エスカレーターで二階に上がっていく。それにしても歩くスピードが速い。お供に俺がいるのを完全に忘れてるんじゃないのか。付いていくのがやっとだ。
「次はここよ」
「紀伊国屋ですか」
「ええ、本屋に行きたいの」
俺を待たずに店内に入り、鋭い目つきで品揃えを確認。ぐるぐる見回っていく様は、傍から見れば完全に私服警察官。万引きひとつ見逃さないわよって感じだ。
「もう行こうか」
またしても滞在時間十分も経たず、足早に去っていく。
徳梅さんの「次はここよ」は延々と続く。雑貨店。子供向け玩具店。食器店などなど。一か所に立ち止まることなく、何かを確かめるように首だけを動かして店内を見回っていく。
今のところ彼女の後ろ姿だけを追っている状態だ。ストーカーだと勘違いされないか不安を感じる。肩甲骨まで伸ばした艶のある黒髪が、歩調に合わせて揺れる。颯爽と店内を練り歩く彼女に、すれ違う男は誰しも振り返った。彼女はそんな状況に気付いているのか無視しているのか、意にも介さずにすたすた歩いていく。
多分、彼女と付き合うと、デートってこんな感じなんだろうな。正直、どんな人が徳梅さんと付き合えるの? あまりにも孤高の人すぎる。彼女と釣り合う男っているのかな。一緒にいればいるほど身の程知らずの恋に挫折しそうになる。
たまらず俺は訊いた。
「徳梅さんは、何が目的なんですか?」
「勉強してるのよ」
「勉強?」
「そう、お勉強。好きなの私、こういうの。もう歩き疲れた?」
「はい、少し」
「ごめんごめん。結構付き合わせちゃったね。もう終わる?」
大丈夫ですと首を振った。『疲れた?』と声をかける当の本人は、仕事終わりだというのに微塵も疲労を感じさせない。この人って仕事の時もそうなのだが、全く周囲に疲れた素振りを見せない。冷静沈着にてきぱきと仕事をこなすから、俺たちも、もっと頑張らねばと自然と熱が入ってしまう。つまり率先垂範を地でいく人なのだ。
俺は、徳梅さんの容姿や優しさだけでなく、こういう姿勢に尊敬を持ち、強く惹かれている。
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