第18話 その意味

「なんか、最近楽しそうね」


 バイトを終えて家に帰ると、リビングで待ち構えていた母さんが様子を窺ってきた。今日、智良志ちらしからも同じこと言われたばかりだ。

「そう見える?」

「見える。あんた、なんか楽しそう」

 母さんはテーブルで緑茶を飲みながらそう答えた。リビングを漂う湯気のように今の自分を俯瞰する。何一つ変わったところはないのだが、自分以外の人から見たらやはりそう見えるのか。確かにモリモリフーズで徳梅さんに出会い、ウリちゃんとか楽しい仲間も増えて毎日充実している。今までの白湯のような味気ない大学生活とは大違いだ。

「まあ、楽しいのは良いことじゃない」

 母さんは「よいしょ」と、夜飯に作り置きしていたハンバーグをレンジでチンして、テーブルに座った俺の前に置いた。


「食べる前に、手を合わせてからね」


「わかってるって」


 母さんの催促を、はいはいと受け流して席を立つ。我が家はPOS大から奥多摩方面に一時間程電車を乗り継いだ先にある。駅前には寂れた商店街しかない典型的な郊外の一軒家だ。夜になると虫の鳴き声まで聞こえてくる。俺が小学校の頃に、市役所に勤める父が小ぢんまりとした中古住宅を購入して、現在に至る。


 隣の部屋の襖を開けて部屋の灯りを点けると、五畳程の広さの和室に簡素な仏壇がある。いつものように両膝をついて正座をした。

 仏壇を前に、手を合わせてから線香を灯す。

 位牌のとなりに飾られた小さな写真。

 写真の主は、どことなく目元が俺に似ている。

 それは、六歳離れた俺の兄貴だ。


 兄貴は二十四歳の若さでこの世からいなくなった。


「冷めないうちに食べなさいよ」


 隣の部屋から母さんの声が聞こえた。なんだかんだスーパーのバイトは体力勝負なので腹が減っていた。リビングに戻ると、空腹に導かれるままに夜飯のハンバーグに食らいつく。


「バイトが楽しいの?」


 母さんはテーブルの向かいに陣取り、頬杖をついて質問してきた。

 当初、モリモリフーズで働くことに難色を示された。理由は単純。自宅から離れた場所で働くと帰り時間が遅くなるからだ。絶対に地元でバイトしなさい。そんな反対を押し切り、帰宅時間を毎日欠かさず連絡することを条件に許可が下りた。


「まあ、そうかな。楽しいけど」

「けど?」

「いやいや、なんでそんな興味津々なのよ」みそ汁を片手に、突っ込む。

「あーら、ごめんなさい。あんたの楽しそうな顔なんて久しぶりに見たからさ」

「そうか?」自分でも自覚しているのだが、親からそんなこと言われるのが恥ずかしくもあり、あえて言ってみた。



「ねえねえ、あんたが働いてるスーパーにセイルさんって人いるの?」



 あやうく、飲みかけのみそ汁を噴き出すところであった。

「いやいや、何で彼女の名前知っているの?」

「あれ? あんたの彼女なのかい?」

「ごめん、言い方を間違えた。彼女って言い方に深い意味はないよ。母さんはセイルさんを知ってるの?」

「知ってるよ」

 だってと、母さんはテーブルの脇に置かれた自分のスマホを俺の前に突き出した。



「『今日のセイルさん』の人と同じところで働いてるんでしょ?」



 軽く眩暈がした。今日のセイルさん、まじですげー。その知名度、老若男女問わずかよ。

「あんたがバイト楽しい理由って、この人でしょ」

「いやいや、なんだよそれ。彼女メインで働いているわけないだろ」


 正直、バイトのモチベーションの大部分がそれなんだが、親にそんなことも言うのも恥ずかしいので全力で否定する。


「まあ、そうね。あんた、そんなタイプじゃないし」

「なんだよそれ」

「ごめんごめん。でもこの人、なんか有名な人みたいだね。こんな写真集みたいな特集もされてるし。なんか芸能人みたいな人ね」

「みたいだね。でも、その写真は全部盗撮だって言ってたよ」

 ほうと目を細めると、スマホを次々とスクロールさせていく。

「てゆうか、なんでそのファンサイト知ってるのよ」

「だって、あんたが大学の近くのスーパーで働くって聞いたから、心配だし、どんな店か調べたのよ。そしたら『今日のセイルさん』が出てきたわけ」


 ちなみに俺は大学生。しかも三年生にもなるのにバイトで親から心配されるとは。門限といい、過保護というか……。まあ、そうなったのも仕方ないと思っているんだけど。流石に首筋がむず痒い。


「ねえねえ、セイルさんってどんな人なの?」

「いや、普通にいい人だよ」

「ふーん、そうなんだ」母さんは意味深に口角をあげた。なんとなく仕草が徳梅さんに似てる。

「まあ、普通にっていうか凄い人だよ。母さんはエンドって知ってる?」

「エンド? なにそれ」

「ようは売り出しコーナーみたいなスペース。大概スーパーの目立つ場所に『でん』と構えてる場所があるでしょ。目玉商品が山積みになってたり。その売り場作りの天才みたいな人だよ」

「なんだかすごそうな人ね」


 母親の関心をよそに、先ほどの発言を思い返す。天才とは少し違うな。


「ごめん、天才は言い間違えた。なんていうか……。その……、仕事に情熱を注いでる人だよ。それに、心から楽しんでるっていうか、生き生きしてるし、溌溂というか、尊敬出来る人だよ。店長も含めて売り場のみんなが彼女を頼りにしてるしさ。お店の人だけじゃなくてメーカーからも一目置かれてるんだよ。そのファンサイトの写真ではクールそうに見えるんだけど、実際の彼女はいい人だよ。親切で、一生懸命仕事を教えてくれ……」



「ふーん」



 はっとなり、母さんを見つめるとニヤニヤしているのがわかった。無意識のうちに喋りすぎた。普段から思っていることは、こうも易々と口から垂れ流されるのかと恐ろしくもある。

「やっぱり、あんたが楽しそうなのって、その人がいるからじゃない」

「いやいや、そんなんじゃないよ」

 これ以上付き合うと面倒だ。米とみそ汁を猛スピードでかきこみ、一気に夜飯を平らげた。もう疲れたし自分の部屋で、適当にスマホいじって寝よう。

「ごちそうさま」と席を立ち、台所で食器を水に浸ける。そそくさと二階の自室に退散しようとする俺の背中に、母さんはぼそりとつぶやいた。



「ほどほどにね」



 一瞬だけ立ち止まり、再び階段を上がる。俺はその言葉の意味が理解できた。



 わかってるって。その言葉は幾度となく聞いたよ。でも、いつまでもそれでいいのかって疑ってる自分がいる。あの日から、ずっと心に黒い靄がかかったままだ。そんな気持ちのまま大人になって本当にいいのかって。



 そう思ったのは、きっと――。



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