第一章 じゃあ、よろしくね

第2話 棚森創

「なあなあ、棚森たなもり――」

「ん――」

棚森 創たなもり つくるくんよ、聞いてくれるかい?」


 彼は何か自分の主張をしたいときには、必ず、俺をフルネームで呼んでくる。気のない返事をしたときなんか、語尾を強めてなおさらだ。


「なあ、このままだと俺たち就職できなくね?」

「もう、そんな時期だっけ?」

「あっという間だぜ。俺らのモラトリアムなんて、もうすぐジエンドだよ」


 俺は、東京都多摩地区にある私立経営心理大学(Psychology Of System University)、通称POS大に通う三年生。

 経営学の講義そっちのけで、ぼんやりとノートに適当に目についた人物のイラストを描いていた。教授の顔。隣で暇そうにペンを回している友人、智良志ちらしの顔――などなど。


「棚森、相変わらず絵がうまいな。でも、俺とか教授なんか描いてもなんにもなんないぜ」

「別に、暇だからだよ」

「教授の顔なんかより、これ描いてくれよ」


 彼はスマホを取りだすと、最近はまっているyoutubeアニメを見せてきた。それは、可愛い魔女が妖しげなラーメン屋を開店する『魔女のラーメンいかがですか』というアニメだ。最近人気が出てきて、アニメだけに留まらず、ノベライズや映画など様々なメディアミックスが予定されている。一瞬、可愛らしい魔女のキャラクター『ラメンちゃん』が丼ぶり片手に、こちらに向かって「にひひ」とウィンクしてきたように思えた。

 いや――ような気がした、だけだ。


 俺の大学生活は無味乾燥としたものだった。


 サークル、ゼミ、課外活動。

 大学生活において、青春を謳歌する三大活動を一切やっていない。


 だらだらと自宅から一時間程かけて大学に通うだけ。やっていることといえば、俺と同じく暇を持て余している智良志と、やれ最近のゲームの実況動画がどうだとか、彼の好きなアニメが面白いだの、どうでもいい会話に興じるだけだった。


 こんなアニメみたいな可愛い子なんて、俺の傍にはいないよな。

 時は無常に過ぎていく。ため息を吐いて呆けっとしても誰も待ってはくれない。もう既に大学三年後期授業も開始されている。


――モラトリアムなんて、もうすぐジエンドだよ。 


 今さらながら、彼の一言にぞっとしてしまった。

 ほとんど誰も聞いてないような講義が終わると、智良志は両手を机について勢いよく立ち上がり、こう宣言した。


「おれ、何か始めるわ」


 無精ひげ。毎日よれよれのネルシャツ。お世辞にもカッコいいとはいえない彼に後光が射し、その横顔が一瞬だけ眩しく見えた。智良志


 でも、何を始めたらいい?


 今さらサークル、ゼミに入るのは遅すぎる気もする。サークルにおいてはすでに仲良しグループも形成されているし、だいいち、向こうからしても今まで碌な大学生活を過ごしていない俺なんか、人としてつまらないしお断りだろう。それに、ゼミに至っては入室面接を落ちたぐらいだ。落選理由は単純明快。単位もぎりぎりだし、不勉強な態度を見透かされたからだ。


 このままだと何もしないまま学生生活が終わってしまう。こんなんでは就職面接なんか突破出来るはずもない。就職が全てではない。それこそブラック企業なんかに勤めてしまっては、いい未来が描けるはずもない。だが、何もない俺には就職以外の道がないことも事実だ。


 俺はスマホに『就職に有利な課外活動』と打ち込み、検索を始めた。

 結果は以下の通り。


①ボランティア

②インターンシップ

③アルバイト


 ボランティアは俺のなかで速攻否定された。そんな崇高なものが、到底自分に出来るとは思えない。次にインターンシップも消えた。自分でいうのも何だが、俺には何の特技もない。持っている資格は普通自動車免許と、講義の一環で取らされた簿記三級ぐらいしかない。となると、残すはアルバイトか。


 俺のバイト歴は以下の様に寂しい限りだ。お歳暮の梱包作業、年末年始の郵便配達など、どれも一時の金稼ぎ目的だけだった。小銭を稼いで、無くなったら再び短期バイトを繰り返す。こんなんでは就職面接において何のアピールにもならない。



 てゆうか、就職うんぬんより俺の青春って……。



 がっくしと頭を垂れる。軽く虚しさと眩暈を感じた。

 きゃっきゃっと楽し気に談笑している学生グループを横目に、肩を落としながら大学を後にした。とぼとぼと下を向いて、何も考えず大通りを歩いていくうちに、いつの間にかPOS大の最寄り駅を通り越して、一度も降りたことがない次の駅まで歩いていた。


 あーあ、つまんねえな。


 そんなぼやきは数えるのもいやになるぐらいに心の中で吐いてきた。

 肉体的にも精神的にもすっかり渇いてしまった。適当な飲み物でも買おうと、目についた食品スーパー、モリモリフーズに入った。

 この店に入ったのはただの偶然。本当にそれだけだった。

 しかし、そのとき俺の目に飛び込んできたもの。きっと、俺はその光景を生涯忘れないだろう。

 今ならこう言える。



 あの時から全ては始まったんだ――。



 それは、目を見張るぐらいに趣向を凝らした商品陳列と、その横で腕を組み、凛と佇むひとりの美しい女性であった。



 そうだ。俺はこの場所で彼女と出会ったんだ。



 第一章「じゃあ、よろしくね」開始――


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