第3話 徳梅聖流
四十代後半、少し色黒で恰幅の良い
「じゃあ、わからないことがあったら徳梅さんに訊いてね」
目の前には、右手で額の汗を拭う
彼女は「ふうっ」と一呼吸置いて、「わかりました」とだけ返事をした。
月並みだが、美人という表現が一番しっくりくる。ちょっとその辺にはいないような美貌の持ち主だ。
あまりの容姿に、思わずつま先から頭まで舐めるように見てしまった。
俺の偏見かもしれないが、こんなスーパーで働くより、CAとか秘書とかいくらでも働き口はあるのではないか。
そんな俺のいやらしい視線に気づいたのか、徳梅さんは目を細めて訝しむ。
「棚森です。よろしくお願いします」
ごまかすような笑顔で挨拶をした。
「……」
疑いは晴れない。おおよそ初対面の仕事仲間に向けられる類のものではない冷めた表情。それに――身長160cmほどの、決して長身でもない彼女だが、何とも言えぬ堂々たる迫力が感じられる。
「じゃあ、徳梅さん。彼のことよろしくね」
角場店長はそう言い残してバックヤードに去っていった。
二人きりになると、暫しの沈黙が訪れた。
静まり返った空気に飽きたように、今度は彼女が舐めるような目つきで、俺の全身をくまなく見てくる。なまじ美人なだけに、こちらが品定めされているようで無駄に緊張してしまう。
「スーパーで働いたことある?」
「いえ、ないです」
「未経験ね」彼女はぼそりとつぶやいた。
あの日のことは強い衝撃となり鮮明に記憶に残っている。入店と同時に目に飛び込んできたのは、見たこともない商品陳列と、その横で佇むひとりの美しい女性であった。それはまるで荘厳な絵画のようであり、一瞬で心を鷲掴みにされてしまった。自分でもよく分からない感情に突き動かされ、そのまま店内をぐるぐる歩き回り、店長らしき人を見つけて懇願した。
「この店でバイトは募集していますか?」
今時、飛び込みでバイトの申し込みをするやつも珍しいが、角場店長も「やってるよ。今、人手不足だからね」と軽い口調で応えて、即面接となった。
結果は採用。
「いつから働ける?」「スーパーで働いたことある?」「時給は○○円だから」
簡単な事務連絡の後、「あとは徳梅さんに聞いて。すぐにわかるよ。彼女は目立つから」とだけ言われた。
こうして俺は食品スーパー、モリモリフーズ多摩城下店で働きはじめたわけだ。ちなみに多摩城下という店名は、そのまま駅名にもなっている。戦国時代、この地に簡素な平城が設けられていたことに由来するそうだ。あまりに防御力が低く、敵に攻められたらあっという間に占領され、その逆も然り。奪われては奪いかえす、多摩地域有数の攻城戦が繰り広げられていたらしい。現在は当時の面影はなく、マンション、商店街が建ち並ぶ、至って平和などこにでもある郊外都市だ。
徳梅さんは腕を組み、額から頬に流れる艶やかな黒髪を耳にかける。
「じゃあ……とりあえず商品補充からよろしくね」
「わかりました。でも、どうやってやるんですか?」
「先入れ先出しよ」徳梅さんはシンプルに答えた。
「何ですかそれ」
「ほんと、何も知らないんだね」
「すいません、未経験なんで」
「まあ、名前の通りよ。先に仕入れた商品、つまり古い商品を先に出すのよ。商品補充の際には、新しい日付を奥に入れて期限の近い商品を前に出すってことね」
「なるほどですね」
「それでもお客さんってよく見てるから、棚の後ろから取っていくけどね。ばれちゃうのよ」
徳梅さんは先ほどまでの張り付いた顔が嘘かのようにケラケラ笑った。
「じゃあ、早速やってもらおうかな」
「は、はい」
返答すると同時に、商品段ボールが山盛り積まれた二段台車ごと、どんと渡される。
「じゃあ、よろしくね」
片手をあげて颯爽と持ち場に戻ろうとする彼女にどうしても訊きたいことがあった。
「あのっ!」
「ん?」彼女は振り返る。「なに?」と透き通るような声で言った。
「店の入り口から見える売り場、めちゃくちゃ派手な売り場って徳梅さんが作ったんですか?」
「エンドのこと?」
「すいません、エンドってよくわからないんですが、多分そのことだと思います。あの一番目立つ売り場のことです」
「そうよ」
やっぱりそうだったんだ。
あの売り場。あれは、まるで――映画のワンシーンのようだった。暫し時を忘れて、その光景に見惚れてしまった。エンドに展開されている圧倒的な造形物の迫力に気圧されて、無意識のうちにその光景をスマホで写真に収めていた。
煌めく回想から現在に戻り――興奮気味にこう問いかけた。
「俺も出来ますかね? あんな売り場」
「出来るんじゃない。やろうと思えば」
「わかりましたっ!」
思った以上の声のボリュームになってしまった。傍から見ればうざいぐらいに目が欄欄としていたかもしれない。やろうと思えば出来る。そんな単純かつシンプルな本質を、当たり前のように返されたことにひどく高揚してしまった。
そんな俺を見て、彼女は子供でもみるかのように笑う。
「いつか、あなたのエンドを見せてよ」
その笑顔は眩しく、心なしか頬が赤く上気していた。
どこか熱を帯びたその眼差しに、一気に心拍数が跳ね上がる。
「じゃあ、よろしくね」彼女はそう言い残して立ち去ろうとするが、俺の元から二、三歩離れたあと、何かを確かめるように振り返った。
「そういえば、さっきあなた私の胸じろじろ見てたでしょ」
「いえ」
そこは明確に否定した。
なぜなら、そこはそれほどでもなかったからだ。
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